PCエンジンを愛す・その6 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

すっかり触れるのを忘れていたが、1989年年末にPCEの新機種が一気に3つも発表された。その先鞭を切ったのはPCエンジンシャトルである。拡張バスを排除した廉価版との売りであり、定価は18800円ほどであったかと思う。確かに定価ベースでは6000円もの値下がりはしてはいるのだが、当時の量販店では初代PCEがそのぐらい、もしくは以下程度で売られていたはずなので、拡張バスなしというリスクを負ってまで買うような代物ではなかった。

 

そして、続いて発表されたのが、PCエンジンコアグラフィックスと、かのPCエンジンスーパーグラフィックスである。前者は基本的には出力をRF端子から、標準でコンポジットにしただけの代物である。1989年当時ともなると、さすがにコンポジット程度であれば搭載しているテレビが増えてきたので、まあそういう事であろう。因みに廉価版のシャトルもコンポジットが基本である。

 

そして、後者が曰く付きのある意味伝説的ハードとも言えるPCエンジンスーパーグラフィックスである。本体サイズが非常に大きく、さらに定価も39800円と、当時としては規格外とも言えるハードであった。PCEの最大の弱点とも言えたのが、BGが1枚という所にあり、これはアーケードの移植が多いPCEとしては割と致命的な弱点でもあった。スプライトも64個という、数自体はファミコンと同じであったが、こちらはかなりサイズが豊富であるので、前者ほどの弊害はなかったものだが、それでも多ければ多い方が決まっている。

 

という訳で、それら2大弱点を解消したのがこのPCESGであった。つまり、のちのPS4Proや、XboxOneXのような事を32年もの昔にすでに行っていた訳である。あまりにも時代が早過ぎたと言えばそれまでだが、致命的とも言えたのは、いくらグラフィックが2倍となった所で、「ソフトが対応していなければ普通のPCEと走らせるのと何も変わらない」という事であった。これは単にグラフィックスのチップがもう一つ搭載されているだけの話であるからため、1つのチップがパワーアップして描画能力を2倍にしている訳ではないからなのである。

 

つまりはソフトが両対応さえしていれば使えるのだが、なんとそれは「ダライアスプラス」のみであった。当然、Huカードである以上内蔵音源のみなので、チラツキを除けば「スーパーダライアス」を上回っている点は何もない。そして、専用ソフトは5本発売されたが、当然SG以外では起動する事すらできない。つまり、PCEを名乗りながら普通のPCEでは起動出来ないという訳であり、このあたりがエンハンスド対応の現行ハードとは完全に異なる部分である。

 

当然、商業的に大失敗。後にCD-ROM一体型が発売され、CD-ROMがメインとなるとほぼ完全にその役割を終える事となった。一応、専用ソフトのリリースは1991年の「1941」まで続いてはいたが、当然ハードを牽引するほどのタイトルでもなかったため、SGユーザーに対しての「詫び」みたいなものだったのだろう。