PCエンジンを愛す・その4 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

CD-ROM2ユニットを雑誌で見た時は、本当にこんなものが発売されるのか、とすら思ったほどであったが、案外あっさりと同年の10月に発売された。元々コア構想というものがあり、このCD-ROMユニットに関してもほぼハードと同時進行で設計されていたとは思うのだが、それでもハード発売からたったの1年であっさり発売とは思わなかったものだ。

 

しかし、実は私はこの当時、ゲームにはほとんど触れていなかったので発売当時や前夜の詳細は全く記憶にない。前にも触れたが、当時は「ダッシュ!四駆郎」の影響もありとにかくミニ四駆が大人気であり、さらに単価がゲームのそれに比べると断然安い事もあり、割と小遣いでなんとかなる、というのも要因として大きかった。

 

もっとも、CD-ROM2の発売を知った所でどうにもならなかった。言うまでもなく、当時の定価57300円では到底子供達には手が届く代物ではなかったからである。また、超目玉の天外魔境はまるで間に合わず、ローンチが弱かったのも大きかった。一応、目玉的には当時唯一の初代ストリートファイターの移植であった「ファイティングストリート」や、デモとしての役割がメインだった「ビックリマン大事界」などがあったものの、さすがに60000円もの代物を買わせるような力はなかった。

 

しかし、そうは言うても世の中金持ちは居るわけで、当時それほど仲が良い訳ではなかったクラスメイトの1人が所有していたのには驚きだった。もしかしたら親がマニアだっただけかも知れないが、さすがに60000円もの代物を買うというのは夢物語であった。

 

翌年4月、ひょんな事からそれまで全く目を通した事がなかった「ファミコン通信」の合併号を手に取り、それ以降コンスタントに購入するようになっていった。当時のゲーム雑誌のシェアは不明であるが、まだ子供向けであり、客観的な記事しか載せなかった「ファミマガ」よりも、主観的なインプレッションや、またゲーム以外の記事も充実しているファミ通はそれは新鮮であり、他のゲーム雑誌よりも断然面白いと感じたものだ。

 

もちろん、「ファミコン通信」の名前の通り、任天堂ハードメインではあったが、それ以外のハードも紹介され、すでに総合雑誌としての形は整えられ始めていた。もちろん、PCEとMDもレビュー対象とされたため、そこから両ハードの情報もコンスタントに得ていく事となったのだ。

 

そして6月、遂に「天外魔境」が発売される。1989年末時点でのハードの普及台数は確か8万台ほどだったようなので、一体どれだけの人間が楽しめたのかは定かではないが、おそらくCD-ROM2所有者のほとんどが購入していった事だろう。私の近所でも、見た目20前後のいかにもゲーマーな人が購入していったのを見た事があるので、正直羨望の眼差しで見ていたものだ。