「R-TYPE」の発売により、一気にPCEが活気付いてきたと同時に、PCEの専門誌も創刊されていく。最初に発行されたのは、小学館の増刊であったその名もズバリな「PCエンジン」である。後に月刊化されたが、当時小学館はゲーム雑誌は一切発行していなかったので、それだけでもいかにPCEに力を入れているかが分かるというものだ。
そして、同じ頃、PCEにとって強力な援軍が現れた。アーケードの雄、ナムコの参入である。「妖怪道中記」がその第1弾であったが、当時の私にとってはまだアーケードは馴染みではなかったので、初めて購入したのは「ワールドスタジアム」である。同名のアーケードゲーム移植のようだが、実際はファミスタのグレードアップ版と言って良かった。特にユニフォームがリアルとなり、特に当時の読売ジャイアンツのクリーム色が再現されていたのには感動したものだ。
そして、これ以降も「ギャラガ88」や、「ドラゴンスピリット」などのアーケード移植物を中心に、ハドソンと共にPCEを牽引する役割を担っていく。このように、当時の家庭用の目玉と言えば、やはりアーケードの移植物であった。当時はネットなどなく、もちろん体験版みたいなものも皆無だったので、基本的に発売前のゲームはプレイする事が出来ない。いくら雑誌があろうとも、やはり記事だけではなかなか購入しようと言う気は起きないものだ。
特に新規ハードとなるとハードの出費も嵩むため、そうそう失敗は出来ない。という訳で、新規ハード発売の際はアーケードの大作というのがどうしても必要だったのだ。この頃はすでに家庭用の市場はすでにアーケードを上回っており、オリジナルを知らないプレイヤーがどんどん増え、アーケード軽視の趣も増えてはきた頃ではあったものの、家庭用ハードの普及には必ずアーケードの大作があったからこそ、というのは決して忘れてはならない。
そして、PCEと言えば忘れてはならないのがCD-ROM2である。初夏の頃にはほぼハードの詳細は発表され、もちろん「天外魔境」の存在も公になっていた。これは当時NECが店頭で配布していたプロモーションビデオにも収録されていたが、発売バージョンとはかなり異なっており、キャラクターが2キャラ分のネクロマンサー的な感じだった。なので、つまりは発売バージョンではショボくなってしまったという事であり、それを見た時はがっかりしたものである。
そして、現在ではCD-ROMの容量は700MBというのが基本であるが、当時は540MBと発表されていた。ここで、初めてバイトという単位を目の当たりにした訳である。1メガバイトは8メガビット、という訳で、ビットに直すと4320メガビット。単純に言えばドラクエIIIが2000本以上入ってしまうという事なのだから、当時としては無限大に等しい感覚だった。