当時、私の周りには高学年の知り合いが何人か居たが、彼らがいつの間にかPCEを所有していた。それに影響されて、私もとうとうPCEを親にねだったのである。定価が24800円であった事はすでに触れたが、その当時は近所のお店で19800円で売られていた。さらに当時は消費税がなかったため、20000円でお釣りが来るという事である。と言う訳で、この私もとうとうPCE本体を購入する事となったのだ。同時購入ソフトは当然のことながら「ビックリマンワールド」である。
当時、家庭用のテレビにおいてそれなりにコンポジット端子が搭載され始めていた。にも関わらず、なんとこのPCEはRF端子のみの搭載であった。つまりは、1987年10月の時点では、まだまだコンポジット端子が未搭載のテレビが多かった、という事でもある。当時はゲームのためだけにテレビを買い替えるなどあり得ない話であったので、その辺りを考慮してRF端子としたのだろうが、それでもうちのテレビにはモノラルながらコンポジット端子は搭載されていたのだ。
しかし、PCE本体がRFのみである以上、それを使わざるを得ない。さらに、RF端子がファミコンのものを使いまわせるという事など全く知るよしもなかった。実は、本体を買いに行った時にいた馴染みの店員さんが、「ファミコンのものとは使い回せない」的な趣旨の事を言ってきたという事もあったのであるが、そんな事もあって再び付け替える事となってしまった。
これはまだ電子工作には慣れていない私にとっては一苦労であり、かなりの時間を要する事となってしまった。ただ、当時はHORIのスイッチブースターを使用していたのだが、心なしかPCE用の方が画面が綺麗に感じたので、一応それだけの甲斐はあったとは思う。そしていよいよPCEを起動、同じRF端子ながら、ファミコンの画質を遥かに上回るクオリティにそれは圧倒されたものである。
しかし、アーケードを元にしたビックリマンワールドはいささか難易度が高いものであった。そして、まもなくR-TYPEをも購入するが、こちらは非常に面白くプレイは出来たものの、なんと当時はまだ4MビットROMが未開発であったがために、前半4面のみの収録となっていた。一応、後半が6月に発売はされたのであるが、結局ゲームは画質よりも面白さ重視であり、さらに当時はファミコンの野球ゲームが百花繚乱であったため、結局興味はそちらに移る事となっていった。
一応、PCEでも初の野球ゲームとなる「パワーリーグ」が発売された。まあまあ良い出来ではあったのだが、PCEではコントローラーのコネクタが標準でひとつしかなく、多人数プレイを行うためには周辺機器が必須というトンデモ仕様であったため、余計な出費となってしまった訳である。なぜハドソンが開発に関わっていながらこんな仕様なのかは謎であるが、まあよくそれで一応の普及はしたものである。
そして、この「パワーリーグ」は、夏のキャラバンにおいて唯一のシューティング以外のタイトルとなった。当然、盛り上がりは今ひとつだったようであり、コロコロコミックでの取り上げもあまり大きくはなかったような気もする。というか、むしろこの時期は同じく連載されていた「ダッシュ!四駆郎」の人気が物凄く、特に夏のキャラバンでは「ダッシュ1号・皇帝」の先行販売も実施されていたため、どこも大盛況、完全に話題がそちらに持っていかれた格好となった。