セガサターン、Xbox360と来れば、やはりその原点はPCエンジンだろう、という事でここからはPCEについて改めて語っていこうと思う。PCEが発表されたのは、おそらく1987年8〜9月頃の事である。これはかなり有名な話であるが、ハドソンが大きく開発に関わっていた、というか実質ハドソンのハードであったため、最初はコロコロコミックにおいて大々的に発表された。
よって、子供たちの間では一気に知名度を上げる事に成功した。さらに、同時発売のソフトが、当時社会現象と化しており、ファミコンの売り上げにも多大な打撃を与えたビックリマンシールを題材としたというのも大きかった。実際はご存知のよう、「ワンダーボーイモンスターランド」の移植に過ぎなかった訳だが、本誌ではその事には一切触れる事はなく、それが後々誤解を生む事にもなってしまった。
ただ、いくらコロコロで紹介されたとは言っても、いきなり爆発的な売り上げなどは見込めなかった。理由は単純、価格がファミコンのちょうど1万円プラスの24800円だったからである。今でこそアケコンと同じような価格であるが、普通に考えてバイトも出来ない小中学生には到底手が届く価格ではないのである。また、確かにビックリマンを題材としたゲームには興味が湧いたものの、当時の小中学生のゲームの話題と言えばドラゴンクエストIIIの話題で持ちきりであり、誰もPCEの話などはしなかった。
それ以外にも「桃太郎伝説」などが人気を博していたし、年末には「ファミスタ87年度版」、小学生には高難易度であったが「ファイナルファンタジー」や「ウィザードリィ」などの大作も目白押し、それらラインナップに比べたらやはりPCEなどはほとんど相手にもされなかったのだ。そして、この当時はすでにファミコン通信まで全てのメジャー雑誌が創刊されており、コロコロのゲームに対する影響力が低下していた事もマイナスとなっていた。
そんな地味なPCEが再び話題に上り出したのは、88年1月に発売された邪聖剣ネクロマンサーからである。ドラクエIIIと同じく2Mビットのゲームながら、全モンスターがアニメーションししかも全て背景付きの戦闘と、ファミコンのそれを遥かに凌駕するグラフィックに目を見張らされたものである。さらに当時はCMも放映されており、実際は全然そんな事はなかったが、ホラー要素を含んだ内容もそれなりに話題になっていった。
しかし、翌月にはあのドラクエIIIが発売、と同時に社会現象となったため、再びPCEは話題の外に追いやられていった。私もこの当時、ドラクエIII一色でPCEに関しては記憶が皆無である。そしてそれから1ヶ月、多少はドラクエIIIも落ち着いた頃、ゲーマーの度肝を抜いたソフトが突如として発売された。言うまでもなく、かの「R-TYPE」である。
当時、私は全くそのゲームを知らなかったのであるが、素人目から見てもこれは凄いゲームだな、という事は理解は出来た。そして、ここから本体の売り上げが一気に伸び、私の界隈でも所有者が増えていったのである。