セガサターンを愛す・その9 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

1998年5月には、かねてから噂になっていたセガの社運を賭けたハードである「ドリームキャスト」が発表。必然的にSS市場からの撤退が示唆されたが、それでもDCが発売されるまではそれなりにソフトはリリースされていった。もちろん、その中には前回で触れた伝説的作品が含まれているのだが、もちろんそれ以外にも名作と言える作品は存在した。

 

まずはなんと言っても、4月に発売された待望の続編「サクラ大戦2」である。2は1を超えられない事もしばしばであるが、この2は1に負けず劣らずの名作であり、発売後の評価も非常に高かった。そして、4MB拡張RAM専用ソフト第2弾の「ヴァンパイアセイヴァー」である。実はヴァンパイアシリーズというのはアーケードではほとんどプレイした事はなかったのだが、この前作に当たるSS版の「ヴァンパイアハンター」の評価が非常に高かったため、否応なくこのセイヴァーに関しても期待は高かった。

 

もちろん、このセイヴァーも非常に出来が良く、そして「X-MEN〜」ほどキャラクターを一気に読み込む必要もないせいか、初回のロード時間も少なくかなり快適にプレイ出来た記憶がある。ゲーム自体は難易度の高さもあってさほどやり込みはしなかったものの、とにかく看板キャラのひとつでもある「リリス」が非常に魅力的であり、滅多に女性キャラを使わない私がそればかり使用していた。

 

のち、PS2、PS3、そしてXbox360にも移植されたので、今ではSS版を引っ張り出す必然性はないものの、それでも2Dに強いSSの面目躍如という格好だった。

 

DCの発売が近づくと、さすがに雑誌の構成などもその情報が中心となり、SSは末期感が漂いはじめていった。因みに、DC最大のキラーソフトはやはりあの「バーチャファイター3tb」であったのだが、当時のゲーマーならご存知のよう、こちらはタイトルのみがずっとSSの発売予定情報に掲載されていた。VF2でさえすでにアーケードとあれほどの差があったのだから、そのさらに上を行くModel3ソフトなど移植出来るはずもない、と誰もが期待はしていなかったのだが、案の定発売中止となりそのままDCへと以降された。

 

もし、本当にリリースされていたらどうなっていたのだろうか、と思うところであるが、これまで一切画面写真の類は発表された事もなかったので、本当に開発していたのかどうか怪しい所である。しかし、のちに公開されたSS版シェンムーの画面などはSSながらもかなりの出来であったので、そちらは出来れば製品化して日の目を見て欲しかったものである。

 

そして同年の夏頃から、カプコンも「カプコンジェネレーション」と称したレトロゲームのオムニバスゲームをリリースし始めていった。当然、PSとのマルチ展開であったものの、違いと言えば画面サイズぐらいのものである。要は、PSはナチュラルで256x224の解像度を持っているのに対し、SSは無理なので縦長風の画面になってしまっていた事だ。個人的にはそれで別に問題ないので、のちにSSのみで全作品揃えていった。

 

ただ、さすがに第5集のストIIシリーズだけは別であった。SSは画面が横長すぎるという欠点はあったものの、ロード時間は本当に一瞬であり、ほぼストレスなくプレイ出来る。それに対し、PSは僅かながらロード画面が発生するほどだったので、これに関してはSSの方が圧倒的に上である。よって、PSには救済処置として簡易セレクトやデモ画面モードが用意されていた。

 

そして、PS版から遅れる事9ヶ月、SSにおいても「ウィザードリィ・リルガミンサーガ」がリリース。こちらはSSのセーブ機能を活かし、PS版にはなかったリアルタイムセーブが導入された。そして、何故かPS版では戦闘曲がモノラルだったが、こちらはステレオかつCD音源でもあるため、こちらもPS版を上回っていた。まあ、結局PSでは続編の「ニューエイジ」が発売され、当然PS版からでしかキャラ転送は出来ないし、そしてSS版はパワーメモリーの不安定さもあるので、結局メインはPS版になるのだけれでも、ただ単に初期シリーズをプレイするだけならSS版の方が気軽だった。