セガサターンを愛す・その8 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

1998年、まだまだ元気で全盛を迎えていたPS陣営とは対照的に、すでにSSは斜陽の影を迎えていた。それはもう一目瞭然であり、もはやどうにも埋めようのない差が生じていたものだったが、同時に家庭用ハードの末期というのはハードの限界を超えたかのようなゲームが生まれてくるものである。もちろんSSも例外ではなく、売り上げ本数とは対照的に、いくつかの伝説的なゲームがこの年に生まれる事となった。

 

まずは1月に発売された「街」だ。いわゆるサウンドノベルであり、全編実写という手間がかけられたゲームという事もあったせいか、各ゲーム雑誌ではそれなりに大きく扱われていた。しかし、この「サウンドノベル」というジャンル自体がニッチなものであり、さらに雌雄を結せられたSSというハードというハンデもあったため、セールス的には振るわなく、商業的には成功とは言えなかった。

 

当時、まるでそのジャンルに興味がなかった私としては、当然スルーしてしまったのだが、後年ソフトを集めていた時になってようやくプレイした。まあ詳しい事はゲームカタログなどを読んでいただくとして、主人公らの人生が絡まり合うそのゲーム性は非常に素晴らしく、大概の人たちはハマる事請け合いである。普段ゲームをしていてメモする事など皆無である私が、チャートを記録しつつプレイしていったほどだ。

 

そして、アーケードの登場から遅れる事ほぼ2年、一度は死にかけた「シューティングゲーム」を復活させた立役者である「バトルガレッガ」が遂に発売。これまでの縦画面ゲームは、どうしても画面比率などの問題があったものの、このSS版はそれらを出来る限り配慮した作りとなっており、今なおSS屈指のシューティングゲームとして名高く、のちにプレミアも付くほどとなったものだ。

 

そして7月、SSどころか20世紀を代表しようかという大傑作シューティングゲームが発売された。言うまでもなく、トレジャーの伝説的シューティングである「レイディアントシルバーガン」である。アーケードの稼働から2ヶ月の移植、しかも完全版というオペレーター激怒のリリースとなってしまった事は議論を呼んだが、それまでのシューティングゲームへのオマージュとも言えるこのゲームはあまりにも緻密であり気品が高く、そしてそのカリスマ性と美しいBGMは、プレイした者たち全てをRSの世界に魅了させていった。

 

もちろん、シューティングというニッチな市場に加えてハード末期というハンデがあった以上、セールス的には3万本程度という結果に終わった。しかし、廃盤となって以降もその評価は上がるばかりであり、そしてファンが手放さない傾向があったという事からも中古市場の値は上がるばかり、瞬く間に定価以上で取引される事となっていった。

 

私は当時も専門誌を購読していたので、当然発売前からその名は知っていた。しかし、当時はそこまでシューティングに固執はしていなかったのであるが、2001年にSSのソフト収集を行っていた頃から探し始め、そしてその年末に遂に地元で購入する事が出来たのだ。9800円ほどしたと思うのだが、すでに秋葉原では14800円以上は当たり前だったので、それでも安く購入出来た方なのだ。

 

さすがに最初は上手くはプレイ出来なかったものの、後日秋葉原で偶然同人ビデオを見つけ、それを参考にしてからはそれはそれは時間を忘れてハマっていったものである。おおよそ1ヶ月は継続してプレイしていったと思うが、結果的にプレイ時間は軽く100時間を超えていった。FFVIIで78時間、ドラクエVIIIでは80時間という記録があるものの、それらは長時間プレイを前提としたRPGである。シューティングで100時間超えなどこれまでなかったのではないだろうか。この辺りが、私がRSを「20世紀を代表するゲーム」と言って憚らない理由である。

 

そして、もっと重要な事実として、XboxOneで「バトルガレッガ」がリリースされるまでの18年間、セガサターンこそがこの2大シューティングゲームを両方プレイ出来る「世界で唯一のハード」だったのである。正直、その事実だけでも私的には「この2本だけでPSソフト1000本以上の価値がある」と思ったほどだ。

 

前述のよう、プレイするだけならXboxOneか、XboxSeriesX/Sを購入する方が手っ取り早いものの、それでもSSユーザーとしては、この2本を独占的にプレイ出来るという優越感は何物にも変え難いものだった。