話は1997年の秋頃に戻るが、当時はPS版の「新日本プロレス闘魂烈伝」というプロレスゲームがそれなりに人気を博していた。その名の通り、新日本プロレスのレスラーが実名で登場するゲームなのであるが、1作目が1995年秋、そして2作目が1996年12月にリリースされ、CMも大々的に放映されるなど、割とプロレスゲームとしては一時代を築いたゲームでもあるのだ。
PSでは3まで発売されたが、特に話題となったのが、遂にアントニオ猪木が実名で登場した2であり、これは20万本ほどのセールスを記録し、商業的にも成功を収めたほどなのだ。それに対し、SSでもほぼ同時期に、次世代機では初めて正統シリーズを受け継いだ「ファイヤープロレスリングS 6MENスクランブル」が発売された。
当然、以前のSFC版より全てにおいて向上していたが、私的にはどうしてもポリゴンの闘魂烈伝より見劣りしたし、何よりロード時間がかなり長めで、テンポの重要なこのシリーズにおいてはどうしても不満は拭えなかったものだった。結局、のちに一旦売却してしまったほどだったのだが、これ以降SSでプロレスゲームがリリースが途絶える事となってしまった。
当時、プロレスの一般的認知度は高いとは言えなかったが、それでもゲーム的には昔から割と重要なジャンルでもあったので、セガ陣営としても色々考えていたのだろう。そこでPSが新日本なら、という訳でセガ自ら開発したのが「全日本プロレス Featuring Virtua」であった。
まだジャイアント馬場生前の話であり、もちろん日テレでも中継され「2大メジャー」とされていた頃の話ではあるのだが、それでも選手や売り上げの規模からいって、事実上新日本が業界ナンバーワン、全日本はその次、というのが通常の認識だった。選手層も厚いとは言えず、当然ゲームにおける選手数も闘魂烈伝のそれに比べると物足りないものだったが、バーチャで培ったゲーム性そのものは非常に作り込まれており、プロレスゲームとしての評価はかなり高いものだった。
実際、プロレスゲームというよりも格ゲーに近いものであったのだが、当時の全日本プロレスのいわゆる四天王プロレス自体それに近いものであったため、それは現実をよく再現していたのではないかと思う。さすがにグラフィックは厳しく、またタッグマッチすら不可能、イコール全日本の看板シリーズである「世界最強タッグ決定リーグ戦」の再現もされはしなかったのだが、ゲーム性はそれを補ってあまりあるものだった。
また、プロレスゲームとしては初めて実際の入場曲が使用されたのも話題となった。実際は日テレ系列のVapが著作権を持つものだけだったとは言え、それでも三沢光晴の「スパルタンX」が流れただけでも感動ものだったのである。のち、ドリームキャストにおいて「ジャイアントグラム」の名前でシリーズ化されていったが、その原点となるこの作品も楽しめたものだった。