セガサターンを愛す・その1 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

前回セガサターンに触れた際、私が生涯の中でも最も愛したハードであるにも関わらずたった1記事のみで終わってしまっていたため、ここでは改めて語っていこうかと思う。まずは説明するまでもないが、セガサターンの名前が雑誌に出始めたのは大体1993年の終わり頃ではなかったかと思う。この辺りは記憶が曖昧なのであるが、いわゆる1994年初頭に発売された3DOを皮切りとした次世代機戦争を担った一角のひとつだった。

 

その対抗馬が、遂にゲーム機市場に参戦したソニーが立ち上げたSCEのプレイステーションと、PCEから引き続き参戦のPC-FXであった。当時、私が最も好んだハードはアーケードの移植が最も充実していたPCEだったので、自然な流れでPCEの専門誌、特にPCエンジンFANはほぼ毎月購入してきた。つまり、必然的にPC-FXの情報を真っ先に得ていたのであるが、スペックを見た瞬間に「これはダメだろう」と思ったものだ。Wikipediaでも見てくれれば一目瞭然であるが、ほぼPCESGにムービー再生機能をつけただけのものに近く、スプライトも内蔵音源も他者とは比較にならないほどのショボさだったのだ。

 

正直、アーケードではリッジレーサーやデイトナUSAの3Dゲームが真っ盛りの時代、よくもまあこんなハードを出そうと思ったものであるが、いちユーザーにそう思われている時点で失敗は約束されたものだった。となると、やはり期待は当時仮題のサターンであった訳なのだが、初代PSのサードパーティがあまりにも豪華であり、特にコナミはゲーセンで大ヒットを記録していた「極上パロディウス」がローンチとして発売される事が決定しており、私の物欲も高まっていったものだった。

 

ただ、「極上パロディウス」はSPステージをワンコインクリアをするぐらいまではやり込んでいったのであるが、その直後ぐらいに急にゲームに冷めてしまい、ゲーメストをはじめとしてゲーム雑誌を読む事自体やめてしまった。なので、なんと次世代機発売直前の盛り上がりというのはそこまで体験していなかったのである。また、SFCが25000円で発売されたのに対し、SSが44800円、PSが39800円と、スペックを考えれば妥当ではあったとはいえ、それでもさすがに当時の学生には高い買い物であったので、いずれもすぐに買う事はなかったのだ。

 

なので、しばらくゲームはSFCのレトロゲームをプレイするのみであり、次世代機戦争前夜とも言える1995年はほとんどゲーム業界に無関心に等しかったのである。なので、正直その当時のゲーム業界がどうだったのかは全く知らない。そんな私がゲームに再び興味を抱き始めたのは、かのナムコミュージアムのCMであり、そしてグラディウスデラックスパックのリリースだった。前者はPS、後者はマルチ展開、イコールPS一台買えば両方プレイできる、という訳で自然な流れでPSを選択していった。つまり、この時点でさえもまだSSには無関心だったのである。

 

そんな私がSSに興味を抱いたきっかけは、PS版の「極上パロディウスだ!」に不満があったからだ。ローンチなのでやむを得ない部分もあるとは言え、処理落ちや一部背景の違いに不満は拭えなかった。それがSSでは解消されているとなれば、これは買うしかない。当時、SSはわずか20000円と、完全に赤字覚悟の価格で販売されていたのであるが、白バージョンがどうも好きにならず、やはり当時雑誌を読んでいて馴染みのあった初期のグレーを中古で購入した。ゲームハードを中古で購入したのはこの時が初めてであったが、なんとなくセガのハードは頑丈そうなイメージがあったので不安はなかった。もちろん極パロと共にである。

 

正直、極パロ程度であればそこまでハードに依存する違いはなかったとは思うのであるが、やはりSS版の方が圧倒的に出来がよく、さらに当時コンポジット入力しかなかった私は、SSの発色の良さまで気に入ったものだった。ついでにバーチャファイター2も買ったのであるが、こちらも操作が複雑な鉄拳2よりも楽しめた。まあ、アーケード版をプレイしていなかったからこそ、違いが気にならなかったのが大きかったとは思うのであるが、という訳でこの辺りで完全にSSにシフトしていったのだ。

 

当然、グラディウスに関してもSS版も購入した。PS版はグラIIにおいて、ステージの切り替え時に一瞬画面がストップしてしまうのだが、SS版はアーケード版のままであり、さらにモアイ面でBGMが途切れる事もなかった。つまりはこちらの方が出来が良かった、という事である。256x224の解像度を持たないSSは、それがナチュラルに再現出来ないというデメリットはあったものの、いわゆるピクセルパーフェクトの画面比率で満足していたので、普通にデフォルトでプレイしていたので問題はなかった。

 

そして、ナムコミュージアムに対抗してか、セガもセガエイジスシリーズを立ち上げ、スペースハリアーやアフターバーナーII、そしてアウトランやファンタジーゾーンをリリースしていった。それぞれ3800円とリーズナブルであったが、1本に最低でも5本以上、そして圧倒的な資料まで収録された前者と比べると、かなり割高に思えたのも事実だ。もちろんクオリティは完璧ではあったものの、その辺りにセガの商売の下手さが垣間見得てしまったように思える。

 

この年に関しては、まだPSもそう一般層にアピールはしておらず、私の天邪鬼な性質が垣間見られる事もなかったので、両ハードいずれも満遍なく楽しめていったと思う。なので、特にSS大好き、という訳でもなかったのであるが、翌年以降、その傾向が一気に強くなっていく事になるのだ。