ファミコンの野球ゲームについて語る。 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

ファミコンにおける初の野球ゲームは、言うまでもなく任天堂の「ベースボール」である。個人の選手データも何もなく、守備も送球以外はオートマチックと、極めてシンプルなシステムではあったが、当時はこれ以外の選択肢は存在しなかったため、野球ゲームと言えばこれ以外はなかった。

 

ゲーム自体も非常に著名ではあるが、それ以上に有名だったかも知れないのは超スローボールの裏技だった。最初はマルチコネクタの何番かのピンをクリップか何かで触れてみる、というものであったが、端子を直接触れるというのはファミコン本体に刺激を与える行為であるためにすぐに禁止令が出された。そこで一時期は禁じてとなったのだが、ジョイスティックが発売されてからは本体とスティックの上下をそれぞれ別に入れる、という格好で復活、時代を代表する裏技のひとつであった。

 

そして1986年12月、革命的な野球ゲームがリリースされる。言わずもがな、初代ファミスタこと「プロ野球ファミリースタジアム」である。個別選手データ、全てマニュアルの操作、そして初代でほぼ完成されたと言っていいゲームバランスなど、まさに野球ゲームの歴史を変えた伝説的な名作と言って良かった。

 

あまりにも有名なので、今更色々語るつもりはないが、1人用はもちろんの事、対戦ツールとしても非常に重宝され、ネット対戦などないこの当時、知り合いの家に集まって、もしくは友人を呼んでは対戦に熱中したものである。

 

それから半年後、ファミスタにはなかったリアルさを追求したゲームが発売された。これも言うまでもないがかの「燃えろ!!プロ野球」である。今でこそ伝説的なクソゲーとして有名であるが、野球中継を元にしたメイン画面のインパクトは物凄く、発売前の期待値は大変に高かったものである。当然、当時愛読していたファミリーコンピューターマガジンでも大特集が組まれていき、全12+1球団のデータが掲載された冊子まで付録されていたほどである。しかし、当然スタッフたちはそのクソゲーぶりを知りつつそんな記事を書いている訳であり、さすがに後ろめたさがあっただろう。

 

因みに、一般的にはファミスタと同時期に発売された「たけしの挑戦状」が、史上最悪のクソゲーとされているが、あれは本質的なバカゲーに近いものであり、また先鋭的な要素もいくつか含まれた「挑戦的な」作品でもあったため、個人的には一般的クソゲー枠とは異なるものだと思っているが、この「燃えプロ」に関してはまぎれもないクソゲーである。当時、中古に関しては個人商店がちらほら出てきた程度であったが、買って速攻売却したと言う人たちがすでに少なからずいたほどである。

 

野球ゲーム初の音声合成、12球団採用など、評価すべき点も多いのであるが、やはりゲームバランスとテンポの悪さはどうにもならず、結局皆が皆ファミスタに戻っていった。そしてさらに半年後、待望のファミスタの続編である1987年度版がリリースされる。こちらは一部チーム編成が異なったのに加え、メジャーリーガーズことMチームが参戦する。当時、日本のファンにはほとんど馴染みがなかったMLBのチームがなぜ、というのは疑問であったが、おそらくは160キロ以上の投手を登場させたかった、そして燃えプロのホーナーを超える61本の選手を出したかったのかと勝手に想像している。

 

ネットもない当時、選手のデータを集めるだけでも大変であったかと思うが、Mチームに関しては当時の有名どころばかりであり、今検索してもそれは実感出来るだろう。システム的にはバッターボックスの一番前に出る事が出来なくなり、また打球がいまいち飛ばなくなったので、一気に打低となっているが、ゲーム的にはやはり大味な打高の方が面白いものだ。

 

そして1988年夏、野球ゲームが一気に4つもリリースされる。その先鞭を切ったのは、タイトーの「究極ハリキリスタジアム」であった。こちらは「ファミコン必勝本」が異常にプッシュしており、実際そこそこはヒットはしたようであるが、それまでほとんど野球ゲームのノウハウがなかったタイトーだからか、ファミスタと比べるとゲームバランスがかなり今ひとつであり、その売りは奇抜さだけであった。しかし、野球ゲームとして初めてバックアップが搭載されたので、エディットなどはかなり充実していたかと思う。

 

2作目は、パソコンの「ベストナインプロ野球」をベースとした、ファミコン史上初のアクション要素ゼロの「ベストプレープロ野球」である。こちらは自らが監督となって指示を行うのだが、それよりも完全に自由にパラメータを弄れるので、架空のチームを作成して観戦していくだけでも十分楽しめた。ただ、必ず全試合見なければならず、最低でも10分はかかってしまうので、結局130試合完走した事はなかった。この点に関しては、続編のIIで改善されていく。

 

3作目は、日テレ系列のVAPから発売された「スーパーリアルベースボール」である。これまでの野球ゲームになかったリアル性を全て取り入れた野心的な作品であり、個人的な期待値も高かったのであるが、実際にゲームとしてみるとかなり今ひとつであり、リアル性を追求しただけではゲームにならないという事を証明しただけであった。また、実際のプロ野球では巨人の呂明賜の登場、バースの解雇などで大揺れであったが、7月発売のため当然前者は登場しておらず、後者はゲームの登場時は当然日本には居なかった。

 

4作目は、1年ぶりの新作である「燃えろ!!プロ野球88決定版」だ。前作の問題点がほぼ完全に修正されており、また選手のフォームも現実を模し、特に村田兆治をモデルとした選手は本当にそのままで感動したものだった。ゲームとしてもかなり完成度が高く、普通に楽しめるゲームであったが、そのためか逆に話題にはならず、今でもあまり後世には語られる事がないような気もする。

 

また、ここまで触れるのを忘れてしまっていたが、ファミコンで無許諾で4文字以内の実名が使用されたのはファミスタ87が当面の間最後となり、87年12月にリリースされたコナミの「エキサイティングベースボール」以降全て無許諾ゲームは変名となってしまった。こちらのゲームはディスクでリリースされ、その機能を活かしたエディットモードが大きな売りであったが、プロチームと対戦するまでの道のりがあまりにも長く、最後まで到達した人は多くはなかったのではないかと思う。また、一度ゲームが機能しなくなる不具合があり、新品に変えてもらった事すらもあった。つまりは問題作という事であり、今ではほとんど語られる事もない。のちにパワプロで大ブレイクするコナミとは思えないクソゲーであった。

 

年末にはファミスタ88が発売されるが、ほぼ焼き直しだった前作とは異なり、こちらは大きくリニューアルされ、ようやく12球団が揃う事となったが、当然全て変名となった。翌年には、夏で唯一のリリースとなった「ファミスタ89開幕版!!」が登場。なぜこの時点でリリースされたかは不明であるが、「ファミスタ」が正式タイトルになったのはこちらが初である。年末には90がリリースされるが、ここから翌年の西暦がつくようになる。まあ雑誌よろしく、こちらの方が鮮度があるという事だろう。多分。

 

以降、私が購入したものはファミスタとベストプレーの続編のみであり、前者は91まで、後者はIIと90、そして後年のスペシャルである。その時代でも色々他社からリリースはされていたとは思うが、野球ゲームのブームも一段落し、結局ファミスタ一択という雰囲気になったので、売り上げも芳しくはなかったのではないだろうか。

 

そして、そのファミスタはスーパーファミコン1作目から遂に実名となり、ファミコン版も93年度版から実名となったが、その頃はすでに野球ゲームへの興味は薄れていたので購入はしていない。しかし、それだけに成績も現実のものに合わせなければならない、もしくはそのままとなってしまったため、そういう意味では毎年ステータスが楽しみだった初期の頃の方が懐かしく思えたものである。