「ドラゴンクエストIII」を境に、ファミコンRPGの難易度は次第に緩やかになっていき、いつしかRPGというジャンルそのものが「時間をかければ誰でもクリア出来るもの」という認識となっていった。それはあながち間違いではないのであるが、実は当時はまだまだそうではなかった。1987年の年末には遂にファミコンにおいて「ウィザードリィ」が発売される。もちろん、オリジナルのPC版よりかは遥かに難易度は落ちているとは言え、当時はオートマッピングもなく、自力でクリアとなるとさすがに一筋縄とはいかなかった。
そして、同月にはあの「ファイナルファンタジー」も発売された。さほど難易度に言及された記憶はないが、こちらはフィールド型RPGにも関わらず、MPが「ウィザードリィ」で採用された「呪文のレベルごとに使用回数が決まっている」方式が採用されている。しかも、使用回数自体も最高で9回に制限されており、当然高レベルの呪文となると数回唱えただけでMP切れとなってしまうため、従来のドラクエ方式に慣れたプレイヤーにとってはかなり煩わしく感じたものだった。
よって、前述のようにファミコンRPGと言えど、まだまだプレイヤーの努力なしでは到底クリアまで及ばないゲームも多かったのであるが、当時はドラクエの存在があまりにも巨大すぎたがために、先述のようなある種の誤解を生んでしまったのだろう。私の記憶にある限り、「時間さえかければ」という認識が定着していったのは、ストーリー重視のRPGが中心となったFFIV以降あたりではなかったかと思う。
しかし同時期、RPGとは別に新たなるヒットジャンルがファミコンにおいて生まれた。それは1986年の「プロ野球ファミリースタジアム」をきっかけとした野球ゲームである。この初代ファミスタが200万本超え、そして1987年6月に発売された伝説的クソゲーである「燃えろ‼︎プロ野球」がこれまた150万本超えの大ヒット。これに味を占めたゲーム業界は、翌年数匹目のどじょうを狙って各社から野球ゲームが乱発していくようになった。
結局、パワプロが発売されるまでに生き残ったのは、やはりファミスタシリーズと、毛色の異なるベストプレープロ野球程度であったのだが、難易度を高める事なく誰もが楽しめるこの野球ゲームというジャンルのおかげもあり、ファミコン黎明期のような高難易度のゲームはほぼ息を潜めていったかと思う。
しかし、その反面アーケードでは相変わらず難易度高騰化が止まなかった。それが最も顕著に現れたのは、やはり1989年ではなかっただろうか。その代名詞的な存在と言えるのが、やはりあの「グラディウスIII」ではなかったかと思う。グラIIにおける長時間プレイがかなり問題となったのか、このグラIIIは理不尽極まりない難易度で発売される事となった。高難易度は決してグラIIIだけの問題ではなかったのだが、ネームバリューがあまりにも大きすぎたための宿命であったのかと思う。
この辺りになると、少なくともシューティングゲームに関しては一般人にはお話にならないレベルの域にまで達していた。前にも触れたと思うが、グラIIIに至っては1周10面まであるのに、3面まで到達しただけでもギャラリーがつく、という領域であった。しかも、発売から1年半が過ぎた頃になってもこれだったのだから恐れ入る。結局、一部の狂信的なファンは除き、難易度を上げれば上げただけユーザーも離れていく、という悪しき見本となってしまったのであるが、同時期に発売されたカプコンのあるゲームは、難易度が同様に高いにも関わらず、高インカムを達成する事に成功した。言うまでもなく、ベルトスクロールの代名詞である「ファイナルファイト」である。
こちらもワンコインでクリアするとなると一筋縄ではいかず、その証拠に1度目のハイスコアではクリアは出なかった記憶がある。しかし、クリアをするだけであれば、ひたすらお金を注ぎ込めばかならずラストまで行けるようになっている。当時のゲーセンでは、あらかじめ1000円分ほど両替しておき、筐体の上に山積みにしている光景がどこでも見られたものだった。もちろん、ワンコインでしか見られないおまけ画面もあるのであるが、一般人にはどうでもいいこと。このように、シューティングでは非常に難しかった難易度とインカムの両立を、簡単に成し遂げてしまったのがこのファイナルファイトであったのだ。
それを参考にした訳でもないとは思うが、1990年春に発売された「パロディウスだ!」でも似たようなシステムが採用された。グラディウスを源流とするシリーズでは初めてコンティニューを採用し、また死ねば死ぬほど難易度が下がるシステムも搭載された。これにより、ただエンディングだけを見たいのであれば、ひたすらコインを注ぎ込めば必ず見れるようになっている。逆に、ワンコインで一周となるとかなりの難儀なので、いわゆるマニアと一般層両方に受けた稀有な存在となったのだ。その証拠に、ゲーセンでは2年近くも見かける事ができ、また家庭用にも多く移植された事からも、シリーズ中でも最も成功した部類となり、その後は独立したシリーズとして展開されていった。
そして、翌1991年、再びマニアと一般層に記録的なヒットを記録した伝説的格闘ゲームが発売される。もちろん、カプコンから発売された「ストリートファイターII」である。