ゲームの難易度について語る・その1 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

家庭用ゲームが登場する以前、ビデオゲームと言えばそれはそのままアーケードゲームをさした。一応、アメリカにおいてはPCの流れもあったのであるが、日本では一部のマニアがAppleIIを購入していたぐらいのものだったので、日本における電子ゲームの源流はアーケードと言ってほぼ間違いではない。

 

そして、当然の事ながらアーケードゲームはワンプレイごとに100円かかっている訳であり、ゲーマー的にはいかにそれで長時間プレイ出来るかの勝負となる。しかし、メーカーやオペレーターにとっては真逆であり、いかに短時間で終わってもらい、かつ連続でプレイしてもらえるかが全てだ。という訳で、その辺りの理由がアーケードゲームが高難易度であった最大の理由だ。しかし、一度買えば何度でもプレイ出来る代わりに、一本のカートリッジが高額な家庭用ゲームにおいては、その限りではないはずである。

 

しかし、黎明期はメーカーもその辺りの事情は考慮していなかったせいか、ほとんどの家庭用ゲームはアーケードそのままに近い難易度で移植された。また、当時は容量が非常に小さく、その限られた中で長く遊んでもらう必要もあったたために、家庭用オリジナルのゲームでさえも高難易度のものがほとんどだったのだ。

 

そう言う訳で、今の感覚で当時のゲームをプレイしたら、おそらくほとんどのゲームは速攻で投げてしまう事だろう。例えば、ニンテンドーオンラインにおいてSFCのスーパーマリオコレクションが配信されたが、この時に久々に初代スーマリをプレイした。もちろん、当時何度もクリアしたゲームなので、攻略法などはある程度は覚えているつもりであったが、それでもワールド8は一筋縄ではいかなかった。あらかじめ無限増殖をしていたので、辛うじてクリア自体は出来たのであったが、予備知識なしでは投げていた事確実である。

 

誰でもやり込めさえすればクリア出来る初代でさえこの調子なのだから、超高難易度の2など今さらやる気が出るはずもない。当時、あまりの難しさに発狂しそうになったほどだったが、近所の方々らが先にクリアしていたので、彼らのプレイを参考に、発売から2ヶ月ぐらい経った頃にようやくクリア出来たかと思う。それでも、当時の基準で考えてもこの難易度は異常だった。天下の任天堂が、これほどまでに難しいゲームを出していた事など今では信じられないような話である。

 

その難易度が頂点を極めたファミコンソフトと言えば、やはり「たけしの挑戦状」だろう。「謎を解けるか、一億人」のコピーから分かるよう、難易度を前面に押し出したゲームであったのだから、その難易度は常軌を逸していたものだ。今でもクソゲーと言えば真っ先にこのゲームの名前が上がるほどであるが、個人的な意見を言えば、元々従来のゲーム的な面白さなどは一切考慮せずに制作されているゲームであるはずなので、クソゲーというよりもバカゲーと言った感じであろう。一応、ゲームクリアに必要なヒントは全て台詞に含まれているので、ハンググライダーの難易度が異常に高い事を除けば自力クリアも不可能ではない。

 

その1ヶ月後に発売された「ドラゴンクエストII」も、今なおシリーズ最難関とされているほど、家庭用においても難しいというのは当たり前の風潮となっていった。ただ、その頃からメガビットROMが増えて余裕が出来ていた事、またゲームのセールス自体も比較的頭打ちとなってきた事などもあり、次第に難易度が低下しフレンドリーな傾向になっていったかと思う。ドラクエIIをリアルタイムでプレイしていた人であれば、ほとんどの人にとってドラクエIIIはやけに簡単に思えた事だろう。

 

しかし、一度買って貰えばメーカーとしてはそれで終わりな家庭用とは異なり、ワンプレイ100円が基本なアーケードではそうもいかなかった。さらに、この頃はワンプレイ50円のゲーセンも増えてきた頃でもある。当然、倍のインカムを取らなければ元はとれない。まあ、その分回転率は高かったはずなので、トータルな儲けはさほど変わらなかったかも知れないのだが、いずれにしてもゲーセン側としては早く終わってもらう以外にはない。当然、メーカーやゲーセン側とすれば、攻略法イコール長くプレイ出来る方法を紹介しているゲーメストなどは時には目障りな存在ともなった。その辺りの影響もあり、グラディウスIIが突然2周目の攻略から開始されたり、またR-TYPEIIなどは紹介にとどまり、攻略が一切許可されなかったりもした。