サザンオールスターズを語る・その4 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

1997年になると、前年までの小室ファミリーの勢いは鳴りを潜め始め、CD全体のセールス自体も緩やかに下降していった。サザンもその煽りをモロに受け、「01Messenger~電子狂の歌」や、「BLUE HEAVEN」などのセールスも正直芳しいものではなかったかと思う。

 

ただ、翌年発売された「さくら」が、かなりマニアックかつ実験作的な楽曲群だっただけあって、桑田佳祐自身もセールスは期待していなかったとされる。前年のセールスがあまりにも突出し過ぎ、それで余裕が出来たのか、はたまた売れ線的な曲を書き上げる事に疲れを感じてきたのか、理由は定かではないものの、明らかに「好きな曲を作ろう」という趣が強かったのは確かであったかと思う。

 

途中、当時としては画期的なインターネットライブが開催され、当時としては異例とも言える30万件ものアクセスを記録したという。それは後日、日テレで当時の看板アナであった永井美奈子アナが桑田佳祐本人に「30万あったらしい」と聞かされて、「ええ〜」と驚いていたのを見て知ったのだが、確かにネット黎明期にそれだけのアクセスというのは驚きである。しかも、当時はADSLすら未整備であり、ダイヤルアップ接続の従量課金製がまだ一般的であったはずだから、丸々見た人はそれなりにお金もかかったはずである。当然、回線自体もキロバイト単位なので、映像などはほとんど紙芝居レベルだった。当時ならではのエピソードである。

 

年末には2年連続で年越しライブが開催されたが、こちらは前年にも増して非常にマニアックな選曲となった。最終日に来れるようなファンはそれなりにマニアなので、喜んだ人も多かったかも知れないが、当時行った人のブログや日記などを読む限りは不満も多く、盛り上がりに欠けた面も多かったようである。なぜこのような選曲になったのかは不明だが、やはり前年までの売れ線路線に飽きが生じ、なにか刺激的な事でも行いたかったのだろうか。

 

そして1998年、遂にデビュー20周年を迎える。2月には久々の王道的なラブソングである「LOVE AFFAIR〜秘密のデート」がリリースされた。オリコンでは最高4位で、ミリオンにも届かなかったが、これはコアなファンにとっても今でも人気のあるナンバーのひとつであり、個人的には代表曲のひとつと言っても良いと思う。同時に、過去のシングルも新パッケージでリリースされた。そして、4月には全アルバムが、LPを思い起こさせるパッケージ、かつ業界人によるライナーノート付きで限定リリースされた。リマスタリングはされていないので、改めて全部揃えた人間となると相当コアなファンばかりだったはずである。さすがに私は買い揃える事はなかったが、ブックオフなどで見かけた時にいくつか買った記憶がある。

 

7月には「PARADISE」がリリースされ、その直後にはTBSでサザンの特番が放送された。この時、ファンによるランキングが発表されたのだが、確か3位がミス・ブランニューデイ、2位が真夏の果実、そして1位が希望の轍だった気がする。1と2はランキングの常連とは言え、一般人のアンケートではまず3位には入ってこないであろう「ミス・ブランニューデイ」が来たのはさすがにファンにアンケートをとっただけの事はあった。

 

そして、8月には浜松市において記念ライブが開催された。これはのちにビデオリリースされたので、それで見る事が出来たのであるが、さすがに20周年という事だけあって、前年までのマニアックぶりはなりを潜め、ひたすら王道のセトリだった。私の大好きな「マチルダBABY」を映像で見たのも久々であったのだが、これは歴代でも屈指のマチルダであったかと思う。全体的な満足度も非常に高く、今でもDVDでリリースされているので是非ご覧になって欲しい。

 

10月には2年ぶりとなる「さくら」がリリースされた。しかし、先述の通りに非常にマニアック、かなり聴く人を選ぶアルバムであり、それなりにシングルも収録されているにも関わらず、オリコンではミリオンに届く事はなかった。正直、その当時はサザンに冷めていたのか定かではないが、実は私ですらも発売日に買う事はなかった。実際は、すぐに中古屋で初回盤を購入したのであるが、マニアックだなと思いつつも、さすがにサザンファンを自称するだけあって、聴いていくうちにスルメのようにハマっていったものである。

 

確かに売れ線的な曲は少ない、というか皆無に等しいものの、逆にこれほど有名でありながら、これだけディープな世界観を構築出来るのもサザン、桑田佳祐の持つ側面とも言える訳で、個人的にはかなり聴き入ったアルバムのひとつだった。