サザンオールスターズを語る・その3 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

当時はほぼ毎年恒例だった年越しライブが1995年は行われず、代わりにアミューズ主催の単発イベントが行われた。一応桑田佳祐本人は出演し、オリジナル曲も含む数曲が歌唱なされたが、当然サザン単体と比べたらファンには物足りないものだった。

 

そして1996年最初のシングルは、香取慎吾主演のドラマとして採用された「愛の言霊〜Spiritual Message〜」である。サザン本来としても、そして一般的なJ-POPとしても、過去にほとんど例を見ないようなかなり独特、しかし非常に耳に残る楽曲であり、今でも人気の高い曲のひとつである。ただ、前述のよう、小室哲哉が席巻していた当時の売れ線からはかけ離れた曲とも言えたので、セールスが気になる所でもあったのだが、楽々ミリオンを突破する事が出来た。

 

当時はまだまだCDバブルの時代であり、特に前述のよう俗に言う小室ファミリー全盛の年でもあったのだが、その中でもサザンは別格の存在感を見せつけていたかと思う。当時、かの松山千春が「今の何曲が20年後に残っているか」みたいな話をしたそうであるが、確かにあれほどのミリオンを連発した小室であっても、せいぜい安室奈美恵に提供した曲ぐらいしか今では語り継がれていないかも知れない。それを考えたら、今でも語り継がれる楽曲を世の中に示し続けたサザンはやはりレベルが違う事が改めて実感できるというものだ。

 

そして「太陽は罪な奴」を経て、7月20日に4年ぶりのアルバムとなる「Young Love」がリリースされる。「太陽は〜」は、事前にアルバム収録が発表されていた事、そして確かタイアップもなかったような記憶があるので、セールス的にはさほど振るわなかった。しかし、PVでは遂に桑田佳祐が敬愛するアントニオ猪木が初登場し、今でもファンの中では語り草となっている。

 

この「Young Love」は、当時サザン最大のセールスを記録し、1996年だけでも250万枚近いセールスを記録したと思う。ただ、小林武史氏が関わり、コンピューターを駆使した「世に万葉の花が咲くなり」とはかなりテイストが異なり、全般的にアコースティックな感じで、なんとなくだけども桑田ソロのイメージも含まれたアルバムであった気がする。そして、その新作を引っ提げて久々に大規模なライブツアーも組まれるが、当然私は行く事は出来なかった。地元に近い横浜スタジアムでも行われたが、この2日目が台風の影響で延期となり、どこかの民放のニュースでも報道された。当時はまだネットも一般的ではなかったから、テレビの報道を見ていなかった人は無理してでも行って、そこで気付いたのだろうか。当時はそれが当たり前だったとは言え、無理して行った人は気の毒である。

 

そのツアーとは別に、年末にはサザンとしては3年ぶりとなる年越しライブも行われ、TBSで生中継された。TBSによる中継は2000年末まで続いたと記憶があるが、民放で単独ライブが丸々生中継されるなんて、当時でもサザンぐらいだったのではないだろうか。セールス的にはもっと売れている歌手もいるものの、こう言った例は皆無であるため、それだけでもいかにサザンが国民的なバンドであるかが窺い知れるものである。

 

そして、「牛」と命名されたそのライブは、新アルバム発売の年であるにもかかわらず、比較的レアな選曲であった。私の好きな「Tarako」が演奏されたのも久々の事だったらしい。ただ、マニアな選曲はコアなファンは喜びつつも、それでも「勝手にシンドバッド」も「マチルダBABY」も、「ミス・ブランニューデイ」もないセトリは若干物足りなさも感じるのも事実であり、この辺りはキャリアが長いならではの難しさであるかと思う。

 

また、前年末辺りから、桑田佳祐がなんの理由か不明だが髪を伸ばし続けており、これは今でも「愛の言霊」のPVなどでもはっきりと確認できる。が、この年越しライブのMCでは、かなり不評だったとの事であり、1997年にバッサリと切ってからは2度とこのような傾向は見られなくなっていった。