サザンオールスターズについて語る・その2 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

20年以上ファンをやっている方なら分かると思うが、サザンの曲収集において最大の難関となるのが、アルバム未収録のシングルがやたらと多い事である。理由は定かではないが、サザンに限らずに昭和の時代はこのような形式が珍しくなかった。なので、当然アルバムを買うだけでは事たらず、シングルまで別個で買わなければならなかったので、当然その分出費もスペースも嵩むのだ。

 

しかも、そういう曲に限って名曲が多かった。「いなせなロコモーション」や、「チャコの海岸物語」、「ボディ・スペシャルII」、「東京シャッフル」、「Tarako」など、思いつく限りの有名曲でもこれだけあったものだった。

 

「レンタルすれば良いじゃん」となるかも知れないが、当時はMP3プレイヤーなど影も形もなく、MDもあるにはあったが非常に値段が高く高級品の範疇だったため、音楽マニアでもない私にとっては手が届くものではなく、まだまだカセットテープが主流だった時代だったのだ。しかし、当然カセットテープの利便性はCDに大きく劣り、デジタルかつ音質に拘る私にとってはどうしてもそれは受け入れ難いものだった。

 

なので、あくまでCDに拘った。しかし、さすがに全部一気に買うということはなく、ファンになってから購入したのは「ボディ・スペシャルII」ぐらいであったかと思う。これも、「しじみのお味噌汁」で聴いたのだが、当時は「マチルダBABY」に続くぐらいのお気に入りだったものだ。まあ、マチルダ同様、シングル盤だとライブに比べてあまりにもテンションが違ったので、それは正直戸惑ったものであるが、このようにライブの定番曲に限って、シングルのみ、もしくはアルバムのみ、という曲が多かったのも、コレクター泣かせの面があったものだ。

 

もちろん、繰り返しであるが当時はWindows95すら発売されておらず、インターネットなどまだまだ未知の存在だった。つまり、何かを買いに行く際には必ず自身で赴く必要があったので、今のようにiTunesなどで視聴してすぐに購入、など到底出来ない時代であったので、タイトルを知っているだけで聴いたことのない曲などザラだった。ゲームなども当然そうなのであったのだが、サンプルを体験する事なく、いきなりその本体を買う、というのはそれだけ敷居の高い行為だったのだ。

 

それも、未知なる曲を入手し難い理由のひとつであった。そんな1995年7月、突然NHKでサザンの特集が組まれた。そこで、NHKで放送された限りの映像が披露されていったのだが、そこで初めて聴いたうちのひとつが「Tarako」だった。これはPVの映像であったのだが、サビの部分だけでも「かっこいい」と思ったものである。これはオリジナルアルバムどころか、かの「すいか」にすら収録されていなかったので、シングルCDを買う以外の選択肢はなかったのであるが、どうしてもそれだけ、というのは買う気にならず、でもどうしても聞きたかったので、これだけはレンタルした。

 

1998年2月に新パッケージで再発売された際に、ようやくTarakoのシングルCDを購入したのだが、これは今でもお気に入りの楽曲のひとつである。当時はまだ英語は話せなかったのであるが、それでも歌詞を見ればなんとなく言っている事が分かるぐらい簡素な英語であったかと思う。全編英語のシングルは後にも先にもこれだけだし、桑田佳祐自身もあまり好きではないとか言っていたようなので、サザンのシングルとしてはマイナーかも知れないが、前述のように私はお気に入りのひとつで今でも良く聴くものだ。

 

そして、順番は前後するが、Happy!の発売前、久々のシングルである「マンピーのG・SPOT」がリリースされた。正確には・に星マークが入るのであるが、面倒なのでここでは割愛する。ここから4年ぶりに関口氏が復帰、同時に小林武史氏と袂を分ける格好となったので、そういう意味では久々に純サザンオールスターズの復活、と言う意味にもなる訳だ。そのタイトルは物議を醸し、NHKでは放送禁止なのでは、という噂も後に上ったのであるが、そんなことはなく、当時森口博子司会の「ポップジャム」で普通にフルコーラスで披露された。タイトルとサビはともかく、歌詞の内容自体はそんなに卑猥でもない。それを言うなら、「Brown Cherry」や「マイ・フェラ・レディ」の方がよっぽどである。

 

7月には福山雅治主演ドラマの主題歌として「あなただけを〜Summer Heartbreak〜」が発売。これは王道的な夏のラブソングであり、久々のミリオンセールスも記録したのであるが、ファン的にはあまりにも無難過ぎで、今ひとつ印象に薄いシングルであったかも知れない。事実、ライブでの演奏頻度も多くはなく、それなら前述のマンピーの方が遥かに定番である。

 

そして、8月にはみなとみらいで8万人規模の「ホタル・カリフォルニア」と称するライブが開催された。当時はネットなんてないし、イベント自体もプロレスと野球しかなく、つまり容易にチケットが取れるものしか行ったことがなかったので、遥かに入手難易度の高いサザンのチケットなどどう取って良いのか分からなかった。なので、ビデオリリースを待つしかなかったのであるが、それがされないライブなどは当然見る事が出来なかったものだ。