世間一般では肩身の狭い思いをし続けてきたプロレスファンにとって、大きな味方、時には誇りともなってくれるのがプロレス好きな有名人である。全てをあげたらキリがないので、ひとまず個人的に印象に残った方々を挙げていこう。
同じくお客さんに受ける事が全てである事からか、心なしかお笑い芸人のプロレスファン率が高いような気がする。その代表格が、石橋貴明と南原清隆の二人であろう。前者は、おそらく春一番よりも前に猪木のモノマネをし、猪木のベストバウトに日本プロレス時代のドリー・ファンク・ジュニア戦を挙げるほどの猪木信者である。しかし、決して猪木、新日本系だけではなく、全日本プロレスの武道館大会にも足を運んでいたし、「みなさんのおかげです」の名物コーナーだった学園ものでは、プロレス研究会所属の「人間発電所」…と書いてブルーノ・サンマルチノというキャラクターまで演じたりなど、プロレスネタには枚挙にいとまがない。
そして、後者はプロレス好きが高じて、1994年から2000年春にかけて「リングの魂」という、私の知る限り史上初のプロレス・格闘技バラエティ番組の司会を担当していた。当時は活字プロレス全盛であり、プロレス雑誌を読まないとほとんど情報を得る事が出来ないぐらい、プロレスがどんどんサブカル化していった時代であったので、地上波での露出というのは大変貴重な機会であったのだ。まあ、1年後には深夜枠へと移ってしまったので、一般人が見る機会は減ってはしまったのであるが、それでも深夜としてはまだ見やすい時間でもあったので、これでプロレスを知った人はそれなりに居たのではないかと思う。
ただ、高橋本でかなりショックを受けたらしく、それでプロレスファンを止めたという噂が絶えなかった。ショックを受けたという話は、実際に本人がラジオで語っているのを聞いた覚えが間違いなくあるので、これは事実ではあるものの、近年では内藤哲也のプロフェッショナルの話を、オードリーの若林氏と話したりもしていたらしいので、完全に離れたという訳でもないらしい。多くのファンと同じく、一時はPRIDEなどへと興味が移ったものの、改めてプロレスの良さを知り戻ってきた、という事もあるかも知れない。
そして、個人的に嬉しかったのは、日本が誇るサザンオールスターズの桑田佳祐である。1993年の年越しライブが初めてテレビで見たサザンのライブであったのだが、その締めくくりに猪木の代名詞でもある1、2、3ダー!をやっていた。その時はなんで?としか思わなかったのであるが、のちにクラスメイトに聞くと普通にプロレスファンであったらしい。実際、名著とされる「ただの歌詩じゃねえかこんなもん」では「実は私、シンガー・ソング・プロレスラーなんですよ、本当は」と言っているし、一番かっこいいレスラーはアントニオ猪木とも言っている。そして、そのアントニオ猪木とは、「太陽は罪な奴」のPVで初めて共演を果たしている。
ただ、猪木信者というだけではなく、未だに続いている「やさしい夜遊び」においては、馬場さんが亡くなられた際などは丸々1時間追悼に時間を割いたという事もあった。当時は毎週聞いていた訳ではないが、その回の放送はたまたま聞いており、音楽の話などは全く無視して、ひたすら馬場さんについて語りまくる桑田佳祐のプロレスへの思いにひたすら嬉しくなったものである。
そして、プロレスファンの究極とも言える存在は、秋篠宮様と、雅子さま、つまりは現皇后陛下の2人であるかと思う。かつて、立花なんとかという文化人は、プロレスは品性に欠けたものが見るもの、という痛烈な非難を浴びせた事があるのだが、恐れ多い皇族の方々までもが楽しめるものという時点で、それは全く説得力にかけた的外れな意見である事が分かると言うものだ。秋篠宮様に関しては、学生時代に週刊プロレスを毎週読んでいたほどのファンであり、ご成婚なされてからも、新幹線のホームでマサ斎藤に自ら挨拶に出向いたというエピソードがあるほどだ。
雅子さまは思春期の頃に本気で女子プロレスに熱中していたという事であるが、世代的に言っておそらくビューティ・ペアの時代であるかと思う。クラッシュギャルズの時代も含め、当時の女子プロレスブームというのは一般的な女子中高生をも巻き込んでの大ブームであったので、秋篠宮様のようにガチのファンかどうかは定かではない。しかし、一時的ではあってもプロレスに夢中になったのは間違いないので、あれほどの才女が好きだという時点でもう立花なんとかの戯言は荒唐無稽である事が良く分かると言うものだ。
世界にも目を向けると、やはり有名なのは前アメリカ大統領のドナルド・トランプ氏だろう。レッスルマニアにも度々顔を出し、遂には出演までもしてしまったのだから恐れ入る。コロナ禍の最中において、WWEが4大プロスポーツと同様に興行を認められたのも、トランプ大統領でなくては考えられなかったかも知れない。また、アジアに目を向けると、かのジャッキー・チェンもプロレス好きであり、初代タイガーマスクとのツーショット、そして1992年に新日本が香港遠征をした際には、シティーハンターのロケで骨折していながらも観戦に訪れたほどである。
他にも様々な分野においてプロレスファンというのは存在するものであるが、正直どんなに自分と無関係の分野であっても、プロレスファンと分かると一気に親近感が湧いてしまうというものだ。学生時代でも、プロレスが好きと分かると一気に仲良くなったりするし、そういう一体感というのはプロレスファンならではでないかと思う。