A級シューターの条件。 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

日本において、世の中にプロゲーマーという概念を浸透させた第一人者がかのウメハラ氏だけあって、アーケードゲームの華というのは対戦格闘というイメージが強かった。まあ、実際1991年に初代ストIIが発売されて以降、ヒット作品のほとんどがその系統であったので、それはまあ当然と言えば当然なのであるが、格ゲー以前のゲーセンのヒーローと言えば当然シューティングゲーマーであった。

 

ストII全盛期、突如としてシューティング特集がゲーメストにおいて組まれた事があった。売り上げは惨敗であったらしいが、ストIIにハマりながらもやはり根底ではシューティングが好きな私としては素直に嬉しい特集であった。そこで、シューティングゲームが抜群に上手い人を「A級シューター」と称していた。正直、この単語自体見た事ないし、またこれ以降もないので、一般的にはほとんど浸透せずに終わってしまったのであるが、とりあえず私の中では認知されていった。

 

そこで、色々それに該当する条件が並べられていたのであるが、まず年齢は16〜21歳とあった。当然、若いうちの方が動体視力は高いので、妥当だとは思うのだが、実際はこれ以上の人たちでも異常に上手い人たちは多く存在していた。つまり、この雑誌が発売された1991年時点では、まだスペースインベーダーの登場から13年しか経っていない頃である。つまり、ゲーマーの平均年齢自体グッと若かった頃であったので、30、40のゲーマーなどはほとんどいなかったのだ。ミカドの配信などを見ても、かつての著名なゲーマーが今でも上手かったりするし、その辺はやはりセンスが大きく占めるのだと思われる。

 

そして、A級シューターとしての指針であるが、ひとまず1943を初プレイ大和というのがあった。私はセガサターン版においてそれなりにやり込んでいったのだが、さすがに初プレイ大和というのはハードルは高かった。それでも一応ワンコインで大和までは行けたのだが、その圧倒的な火力の前にはあっさり撃沈。今プレイすると大和どころか前半面で終わってしまうぐらいなので、いかに当時の自分が上手だったのか実感出来る。

 

そして、当時はもちろんYouTubeなどはなかったので、スーパープレイを見るためには著名なゲーセンに行くか、ビデオを購入するしかなかった。前者に関しては、町田にジャレコの直営であるYOU2と、タイトー直営であるプレジャーキャッスルが存在していたので、よく足を運んだのであるが、そうそうお目にかかれるものではなかった。一度だけ、かつての著名なゲーメストライターが「出たな‼︎ツインビー」をプレイしている所に遭遇した事があったものの、それだけである。

 

それから一時、格ゲーの台頭によってかなりシューティングは下火となってしまったが、やはりシューティングゲームはゲーセンの華、と考える人はまだまだ多く、1990年代前半は彩京やセイブ開発が支え、そして中期以降はバトルガレッガや怒首領蜂などのヒットによりシューティング人気は復活する。この辺りのゲームからは今でもYouTubeでスーパープレイが見れるとは思うが、やはり圧倒的な弾幕を前にすり抜けていく姿というのは圧倒されるものだ。こういう人を惹きつけるプレイをみる度に、やはりアーケードの王様はシューティングゲームである、と今でも信じずにはいられないものである。