その昔、ウィザードリィマガジンというその名もズバリのムックが発売された時、ファミ通などで知られたかの渋谷洋一氏の2ページに渡るコラムが掲載されていた。そこでは、「面倒臭いと言ったら私が怠け者のように聞こえるが、それは違う。面倒臭いと言うのは、やる気だ。面倒臭いと思うからこそ、改善しようと思考する」と氏が語っていた。
その時はまだ中学生だったので、ふーんそうなのか、程度しか思わなかったのであるが、かのビル・ゲイツも同じような事を語っており、それを見た時に前述の渋谷洋一氏の言葉、そしてそれはもっともだよな、と改めて実感したのである。そして、世の中には言われた事に対して何の疑問も抱かずに忠実に実行するだけの人間と、前述のようにどうにかして効率の良い方法を考え抜く人間の二つが存在するのだ、とも気付いたのだ。
そんな事を考える時点で、当然私は後者の人間である。少ない例のうちのひとつを挙げれば、昔働いたお店では、商品ひとつひとつにラベラーで価格を貼っていた。そのお店は都内でも有数の巨大店舗であったので、そんな事を全ての商品に行うのは大変な労力と時間を費やしてしまう。そこで、当時の店長にフックにバーコードと価格をつけてしまえばどうですか、と提案した所、快く許可してくれた。もちろん、商品をそこから外してしまえば、お客さんには価格はわからなくなる可能性もあるかも知れないが、それもレジで読み取れば分かる事だ。
それから別の環境に身を置いた時にも、明らかに移動の障壁となるものが堂々と置かれている事があった。それをどかせば、少なくとも数歩は楽出来るというのに、それがそこにあるのは当たり前という事なのか、元々いた人たちは何の疑問も抱かずにわざわざ遠回りしてまで余計な体力と時間を無駄にしていたのだ。もちろん、それを少しずらした所で何の問題もない事を理解していたので、私が来た時にそれを実行し、以来それが当たり前となっていった。
上に意見を包み隠さず提案する人間は、時には厄介で面倒な存在となるかも知れない。しかし、私の好きな三国志などでも、劉備、曹操、孫権などはいずれも部下の助言に素直に耳を傾けた英雄ばかりである。対照的に、「官途の戦い」の結果を見ても分かるように、袁紹は部下の助言に一切耳を傾けず、それどころかその部下を曹操と内通していると思い込み、牢にぶち込み、大敗北の原因を自ら作ってしまった。私自身もそんな人間と一緒に働いた事はあったのだが、やはり誰からも信頼されず、その後悲しく遠くに飛ばされてしまったものだった。
そしてもちろん、私のような人間にとって、先述のように言われた事に従うだけの人間とはやはり相性が良いとは言えず、距離を置いたりストレスを感じてしまうものである。しかし、人間の性格の70パーセントはほぼ遺伝で決まってしまうらしいので、考えが異なる人間と出会ったらそれはもう運命として受け入れるしかないのだ。ただ、ぶっちゃけ合わない人間と仲良く出来るほど私は心も広くはないので、それなら誰とも関わらずに生きていける人生を模索しよう、とも考えてしまうのだ。