長らく小田原線と江ノ島線の分岐点という認識しかなかった小田急線の相模大野駅が、現在のように発展していったきっかけというのは1990年秋に伊勢丹相模大野店が開店してから辺りであったかと思う。惜しくも2019年9月に閉店してしまい、現在はまだ取り壊しの最中なのであるが、その存在をさらに高めたのは、翌年にTBSにて放送された「デパート!夏物語」と、その続編の「秋物語」であった。
正直、ストーリー自体は大して面白いものでもなかったが、それでも自宅からわずか7キロ程度の場所が全国ネットドラマのロケーションとなった事は素直に嬉しかったものだった。私自身、いつ最初に相模大野店に足を運んだかはさっぱり覚えてはいないが、一応ドラマを見て既視感はあったため、それなりに早いうちに行ったのだとは思う。
この頃から駅周辺も急激に発展していったのだが、それでも小田急沿線民が遊ぶ街と言ったら町田か本厚木が常だった。そんな自分が、初めて相模大野駅で降りる事となったのは、ファミコン通信において当時日本に20店舗ぐらいしか設置店のなかったナムコの3画面レースゲームである「ドライバーズアイ」が、プレイシティキャロット相模大野店に設置されていた事を知ったからである。
もっとも、私はレースゲームはやらない人であったので、メインの目的はそのPC相模大野そのものである。プレイシティキャロットと言えば、往年のゲーマーが真っ先に思い浮かべるのが、今なおナムコ巣鴨店として現役である「プレイシティキャロット巣鴨店」である。当時、すでに改装済みであり、「ゲーマーから一般層へ」という方針展開中であり、そのあおりからゲーメストのハイスコア掲載店から撤退したり(のち復帰)していた頃でもあるので、往年のゲーマーからは失望されてはいたのであるが、その有名な系列店がほぼ地元にある以上、足を運ばずにはいられなかった。
現在も残る、北口を出てすぐのパチンコ屋の地下1階に存在していたのであるが、とにかく中は綺麗であり、もちろん筐体のメンテも完璧、さらには50インチぐらいのプロジェクターでファイナルファイト、のちストリートファイターIIがプレイ可能と、少なくとも当時で言えば町田のプレイタウンYOU2と双璧をなす美しいゲーセンであった。1プレイ100円というのは学生には高かったので、そうそう長居はしなかったものの、50円ゲーセンでは席が空かない新作などをプレイするにはうってつけの場所であった。
そのほかにも数か所に相模大野にはゲーセンがあり、例のスクランブル交差点の目の前にあるライオンズ相模大野がある場所に、かつては2階建てのゲーセンがあった。ただ、こちらはゲーマーよりも一般層狙いのお店であり、筐体の数も多くはなかったためほとんど居る事はなかった。そして、そのすぐ傍にある、現在サイクルスポット相模大野が入居しているビルの1階にもゲーセンがあり、ここは筐体中心だったためにストIIの対戦などをしていた記憶がある。そして、現在ボーノ相模大野が建っている辺りに、少し怪しげな雑居ビルがあったのであるが、この1Fにもゲーセンがあり、カプコンワールド2などをプレイした記憶がある。
しかし、いずれのゲーセンも100円であったがために、余程レアなゲームでもなければ長居する事はなかったかと思う。ただ、相模大野はゲーマーにとってはそれなりに良い環境であり、PC相模大野目当て以降はそれなりの頻度で通い詰めたものである。現在、快活クラブのあるビルにはサトームセンが2000年頃まで出店していたのであるが、ここの最上階にはゲームとCDの売り場があり、PCエンジンやメガドライブのマイナーなゲームまで扱っていたため、他ではなかなか入手できないゲームなどの最後の切り札だった。ここで買ったゲームと言えば、PCECD-ROM用の「アドベンチャークイズ・ハテナ?の大冒険」や、ゲームボーイの「ウィザードリィ外伝II」、メガCDの「ナイトストライカー」、そしてPCEアーケードカードと対応ソフトである「餓狼伝説2」などであり、いずれのゲームも近所のゲームショップでは買えなかったものばかりだった。
そして、本厚木をローカルとするCDショップの「TAHARA」もこの近くに出店しており、ここはゲームのCDとビデオが非常に豊富で、ストリートファイターIIのビデオはもちろんの事、コナミのシューティングベストなどのビデオも結構な間残っていたものである。ここは割とすぐに閉店してしまったのが残念であるが、ネット通販など存在しない当時としては非常に重宝したお店である。
その後、相模大野はさらに発展し、1996年頃にはステーションスクエア、2013年頃にはボーノ相模大野と、私的には自転車屋も豊富なこと、そして成田空港へと向かう空港バス乗り場の始点まであるなど、隣の町田以上に重要な駅前となったものだった。反面、ゲーセンはどんどん閉店してしまい、また、町田にヨドバシカメラが出来て以降はサトームセンも撤退、中古ゲーム屋も全滅と、ゲームに関して言えば不遇な街とはなってはしまったのだけれども、まあそれは隣の町田に行けば全て満たされるので、わざわざ大野に求める事はないのである。