香港初渡航から10年。 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

すでに先月の話となるが、2月19日で香港初渡航からちょうど10年を迎えた。奇遇にも、この日は力道山・木村組VSシャープ兄弟という、日本初のプロレス国際試合が行われた日であり、そして2015年以来私とほぼ毎回会ってもらっている香港の友人の誕生日でもあるという、私にとって色々縁のある日でもあるのだ。

 

この日の事に関しては、おそらく当時リアルタイムですでに触れられているとは思うのだが、10年経った今でもはっきりと覚えている。今であれば少しでもお金をケチるために、香港国際空港からは大抵空港バスを使用していくのであるが、この時に関してはさすがに初心者だけあって、九龍まで一直線のエアポートエクスプレスに乗車した。この路線は、ランタオ島北部の海沿いに引かれているのであるが、反対側の車窓はほとんど山である。一般的な香港のイメージとしては、天まで届くかのようなビル群と、煌びやかなネオンサインのネイザン・ロードなどが思い浮かばれるはずなので、この山山山な車窓はなんとなくだが非常に新鮮な風景だった。

 

九龍と香港駅からは、AE乗客専用のシャトルバスが運行されているのであるが、この時は一刻も香港の街を歩きたかったので、それを使わずわざわざ出口から徒歩でBPインターナショナルホテルを目指していった。しかし、この九龍駅というのは徒歩での移動がほとんど考慮されておらず、マップ上では十分程度の距離であるにも関わらず迷いに迷い、結局50分ぐらいの時間を無駄にしてしまったかと思う。この時、事前に待ち合わせをお願いしていた現地の方に待ってもらっていたのであるが、いくらロビーで椅子に座ってもらっていたとは言え、さすがに物凄い罪悪感が沸いてしまったものだった。

 

そのあとはオクトパスカードを購入してもらい、定番中の定番であるビクトリアピークへと案内してもらった。ちょうど雨上がりという事もあって、その夜景はまさにダイヤモンドの如く、これまでの人生の中でも最も美しい光景のひとつだった。有名な「100万ドルの夜景」というのは実は日本でのみ通用する呼称なのであるが、一瞬で何故そう呼ばれているのかが理解できるほど、本当に綺麗、それに尽きた。あいにく、当時はまだスマホを持っておらず、さらにフィリピンで購入したデジカメも安物だったので、その夜景は完璧には撮影出来なかったのは残念であったのだが。

 

そのあとはYau Ma Tei付近へと連れて行ってもらい、ローカルなお店で広東料理を頼んでもらったのだが、どれも筆舌に尽くしがたいぐらいの美味しさであった。香港料理は世界的にも有名だとは思うのだが、こちらも何故そう呼ばれているのか一瞬で理解したほど美味だった。そして、最後のスポットは、待望のアベニューオブスターズだ。すでに午後10時を回っていたので、ブルース・リー銅像も暗めではっきりとは見えなかったのであるが、これが香港での最大の目的のひとつであっただけに、ようやく念願叶った気持だったものだ。

 

午後11時前ぐらいに別れたのであるが、彼女の家は新界のかなり北部の方だったので、いくら夜が遅い香港人とは言ってもさすがに申し訳なさ、そしてありがたさが身に染みたものだった。翌日は完全ひとりであり、前日回る事の出来なかった香港島のCentralからCauseway Bayまでをトラムに乗りながらぶらぶら移動していった。昼間にホテルに戻り一休みした後、今度はネイザンロードを徒歩で北上していき、Mong KokのSino CentreやLady’s Marketなどの定番スポットを歩いて行った。

 

そして、他の楽しみとしては、現地でDVDやブルーレイを購入する事であり、この時は当時公開されたばかりのBruce Lee My Brotherや、まだ未購入だったNTSC版のBruce Lee The LegendのDVDなどを購入していった。当然の事ながら、それ以前はオンラインストアでしか香港DVDを購入した事がなかったので、当たり前とは言え、当たり前のように目の前に香港オリジナルDVDが並んでいる光景は非常に興奮したものである。

 

前述のよう、この時はまだiPhoneを使用しておらず、iPod touchしか持っていなかったのであるが、スマホの普及率は遥かに日本を凌いでおり、当時日本ではまだまだ発展途上だった街中Wi-Fiもかなり普及、しかもセブンイレブンではWi-Fiが一定期間使用し放題のプリペイドカードまで発売されており、少なくともITに関しては日本よりも数年先を行っていた感覚だった。マクドナルドもすでにマックカフェが開店していたし、まるでスタバのようなクオリティのドリンクにも至って感動、こちらもしばらくは香港旅行の楽しみだったものである。それまでは、アジアではやはり日本が最先端だと信じ切っていたこともあり、その現実を目の当たりにしてからは日本って実はたいしたこともなかったんだ、と悔い改めたものである。

 

そしてその年の秋、トランジットではなく本格的に香港旅行を始めるようになり、現時点で実に15回もの渡航回数を数えるほどとなってしまった。あいにく、2020年の昨年は10年ぶりに叶わずとなってしまったが、飛行機に乗らなかった事自体も実に11年ぶりの事となってしまった。おそらく、今年も難しいと思われるので、来年以降もし海外旅行がフリーになったら、マレーシアなど他に行きたい国もあれ、やはりは真っ先に香港へと戻りたいものである。それほど、私の人生は香港を抜きにはもう語れないほど、第2の故郷的な存在なのである。