スーパーファイヤープロレスリングを語る・その2 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

1993年12月に発売された3作目となるファイナルバウトにて、遂にと言うかようやくと言うか、容量が12Mビットになり、技のモーションなどが大幅に追加された。4人まで同時にプレイ出来るバトルロイヤルが初めて搭載されたバージョンでもあった訳だが、やはり最大の売りはバックアップ対応となり、SFC版としては初となる、待望のエディットモードが搭載された事である。

 

この時点では身体のサイズにより使える技が決まっており、後のシリーズに比べるとまだ自由度は低いものであったのだが、それでも自身の分身を操れる楽しさと言ったらなかったものだった。ただ、ゲーム自体も十分楽しかったのであるが、個人的に言えばファミ通から発売された攻略本の印象が大きかった。レスラー紹介がモデルとなった実際のレスラーのプロフィールそのままであり、下手な名鑑よりも秀逸な出来となっていたからである。

 

そしてそれからちょうど1年後の1994年12月、SFC版4作目となったスペシャルが満を持して発売。シリーズ4作目にして、遂に最大容量の32メガビットを使用し、レスラーのモーションは大幅に増加、当時の家庭用の格ゲーなみのモーションの滑らかさを実現した。そして、ベイダーやビガロなどの体型を再現した、釣りパンツグラフィックのLLサイズが新たに登場し、グラフィックのひな型は4種類となったまさにスペシャル版が発売されたのだ。

 

それまでのカクカクとした紙芝居テイストのモーションからの進化は非常に大きく、キャラクターとリングの比率はそのままながらもまるで別ゲームであるかのような滑らかさを誇った。そして、技をかけるタイミングも変わり、ロックアップする瞬間にボタンを押すようになったため、前と比べるとかなりタイミングを掴みやすくなった事も挙げられる。

 

そして、それ以上にこのスペシャルの大きな売りは、斎藤文彦氏監修のストーリーモードが搭載された事だろう。大体実際のプロレス界の流れの通り進んではいくのだが、途中U系を選択した場合は、明らかに悪意に満ちた安生と宮戸の二人をモデルとしたレスラーが悪役として登場する。これは、同年4月のUインターの1億円トーナメント事件を思いっきり皮肉ったものであり、他団体のレスラーとファンを一気に敵に回した出来事であったのだが、それを知っているリアルのファンであればニヤリとしたものだった。

 

この解釈によれば、「参加しないことを理解したうえで、他団体の価値を下げる」のが狙いであったという事らしいのだが、この事件の黒幕である鈴木氏の著書によれば本気で一人ぐらいは参加してくれる、と信じ込んでいたそうである。まあ、後のUWFインターの神宮球場の川田参戦のエピソードからも、業界の事情にはあまり精通していなかったようにも見えるのであるが、この戦略はUインターにとっては何のプラスにもならずに評判を貶めただけに過ぎなかった。

 

そして、この主人公は途中、山本小鉄氏をモデルとした師匠から、若本スペシャル78という、アルゼンチンバックブリーカーから垂直に落とす荒業を伝授されるのであるが、これはまさに小橋建太が後にここ一番の必殺技として繰り出していたバーニングハンマーそのものである。こちらの方が公開は早く、またゲーム好きの小橋の事だから、これを参考にしたのか興味深い所である。

 

そして、さらに一年後の1995年、ファイナルバウトから2年経ちようやく本当の最終作であるXが発売された。遂にレスラーの身体の細かい部位までパーツが設定され、かつサポーター類も自由に付けれる事が出来るようになった事から、レスラーのグラフィックが別ゲームであるかのように劇的な進化を遂げた。

 

レスラーとリングの比率も実際に近いものとなり、それまで発売された全プロレスゲームの中においても頂点を極めたかのような出来を誇ったものである。ただ、タイミング的に次世代機に乗り換える時期と重なったせいもあるのかも知れないが、実は個人的に言えばスペシャルほどやり込みはしなかったように思える。

 

スペシャルの場合は勝ち抜き戦などはないのであるが、試合数をこなせばこなすほどエディット技が増えていく仕様だったので、とにかくU系の強いキャラクターを作成し、相手を次々と秒殺していく楽しみがあったからだ。それに比べると、Xはよりプロレスに近づいた事もあるせいか、逆にそういう楽しみは減り、爽快感が減ったせいがあるのかも知れない。プロレスとしての再現性は明らかに後者なのであるが、ゲームはゲームならではの楽しみ方も存在するので、その辺りでギャップを感じてしまったのかもしれない。

 

他にはファイプロの女子バージョンもSFC版で2作ほど発売されたが、いずれもスルーした。1992年ぐらいから女子プロのプチブームが始まり、25周年の横浜アリーナ大会は良くも悪くも伝説の大会として今なお語り継がれるほどであったのであるが、対抗戦のやりすぎなおかげで新鮮味が薄れ、1994年のドーム大会を迎えた頃はすでに斜陽の影が差していた。

 

1996年、初のポリゴンを使用したファイプロがPS用ソフトとして発売されたが、私自身はプレイはした事はないものの、雑誌などの評価を読む限りではファンには受け入れられなかったようである。以降、2度と3Dでリリースされる事はなくなり、1996年年末にはセガサターンでリリースされた。当然、私も買ったのであるが、ゲーム性が大分異なっており、またSSとしては長いロードに辟易もしたため、あっさりと売却してしまった。

こののち、ドリームキャストにおいて発売されるが、こちらは発売とほぼ同時にDC生産終了の憂き目にあう。結局、ハードを王道のPS、PS2へと移し、ヒューマンの倒産から発売元をスパイクに移すも、新日本プロレスが暗黒期に突入した事もあってPS2版のリターンズを持ってシリーズはいったん凍結されてしまう。

 

そして2017年、Steam用ソフトとしてファイプロワールドとして12年ぶりに復活、翌年にはPS4ソフトとして発売されたが、長い長い開発ブランクもあるせいか不具合が勃発しまくるといういきなりのトラブルに見舞われてしまう。最近は安定しているようであるが、新日本プロレスのレスラーが実名で登場するとは言っても、プロレスゲームは名前もへったくれもないために、正直団体公認である事により縛りが生まれてしまうのであれば、昔の方が良かったように思えてしまう。

 

なので、結局昔のようにハマる事はなかったものの、それでもプロレスゲームと言えば今でもファイプロである。SFC時代はソフトが高かった事もあり、FFなどのRPGを除けば、それこそ1年中、ストIIとファイプロのローテーションだけでプレイしていったものだった。