格闘技を経験するということ。 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

1993年11月、アメリカでUFCが始まった頃は、まだ日本でもプロレス最強幻想なるものが根強く残っており、その流れからいわゆるUWF系と呼ばれた格闘技思想に近い団体も人気を得ていた頃であった。

 

その中で最も先進性が高かったのが、かの船木誠勝率いたパンクラスであった訳だが、その弊害は大きく、選手が次々とケガで離脱していくなど、早々と興行の限界を迎えてしまう。結局、何故プロレスが今のスタイルになったかを、20世紀末にして思い知らされるだけの現状となってしまった訳であったのだが、当時はまだ普通のプロレス自体もまだ幻想が保たれていた時代であり、ファンにとっては何故パンクラスだけがこうも怪我人が続出するのか謎でしかなかった。

 

と言う訳で、常にコンプレックスを抱いていたプロレスファンにとって、「実際に闘えばプロレスラーは強い」と言うのが最後の心のよりどころであったのだから、1990年代半ばと言うのはその幻想がどんどん打ち砕かれていき、これでもかと言うほど現実が白日の下にさらされていったという、まさにファンにとっては悪夢のような時が続いていった。

 

それを救ってくれたのが桜庭和志であった訳であり、最終的には怨敵とも言えたグレイシー一族を代表するホイス・グレイシーまで撃破してしまい、かろうじて最強幻想と言うのは保たれてはいったのかも知れないが、それはあくまで桜庭和志が強いのであり、プロレスラー全体がそうではなかった事が言うまでもない。

 

そして、翌年に発売されたいわゆる高橋本において、最強幻想と言うのは完全に崩壊され、世の中の流れは完全に総合格闘技寄りとなり、新日本プロレスは歴史的にも最悪な暗黒時代へと突入してしまう。私自身も、これで本当にプロレスは終わったな、と思ったものであるが、2006年のフジテレビのPRIDE放映打ち切りから雲行きは怪しくなっていく。翌年、PRIDEが完全に崩壊すると、残されたスタッフによって枝分かれしていき、かろうじて地上波の放映は存続はされてくが、それもいつの間にか終了し、逆にブシロード傘下になった新日本プロレスが息を吹き返していったのだから分からないものである。

 

そして、2010年代は再びプロレスの時代となっていくのであるが、当然かつてのような最強幻想などは皆無であり、ファンもMMAとは別物と言う認識で見ており、選手もイケメンを揃えるというビジュアル重視の時代となった。歴代のスターの顔ぶれを見ても分かるよう、かっこよくなくてはスターに慣れないのがプロレス界なのであるが、昨今はより顕著になっており、いくらレスリングの実力があろうと顔に恵まれなければお笑いかヒール役になるしかないのが現状だ。

 

もちろん、技そのもののレベルは高く、特に2017年1月に行われたオカダカズチカVSケニー・オメガの試合などは未だに見てしまうほどであるが、それでもかつての殺伐とした、いざとなれば何かあるかも知れない、と言うかつてのプロレスに求めていたスリルなどは皆無だ。

そういう時代に育った私にとって、やはり今のプロレスには若干の物足りなさを感じているのも事実。かつ、今なおかつてのプロレスラーの武勇伝に、心を馳せていくのも間違いない。なので、ブルース・リーをはじめとして、他の格闘技に興味を抱いた事もあるにせよ、前述のようにそれ以上にプロレス愛が強すぎた私は、とてもプロレスの敵である他の格闘技を習おうとは心にも思わなかった。

 

しかし、ある程度年齢を重ね、プロレスのみではなく、これほどまでにブルース・リーも尊敬しているにも関わらず、自己流で鍛えただけでまるで格闘技経験がないというのはコンプレックスであった。そこで、10年以上前にかつての名キックボクサーである前田憲作氏のジムに通い、ようやく解消となったのだが、さすがに十代の頃のような純粋さはなく、また明らかにレベルの違うジム生とのスパーリングも、視力が悪いという事もあり嫌気がさしてしまったので、数回通っただけでやめてしまった。

 

しかし、それでも良い事はあった。ここで初めてミット打ちなるものをやったのであるが、それなりに鍛えていたからかどうかは不明であるが、やたらとパンチが強いと褒められたのである。当然、それは誇ってよいべきなのであるが、そう言われた直後から相手を殴るのが怖くなってしまったのだ。

 

よく、プロレスラーの新弟子は自分がやられる事によって、どこを攻めたら危ないかを身をもって体験する、イコール相手にもしないようになる、と言うのを学ぶらしいが、まさにそれと同じことである。自分の拳を凶器、つまり素手で人を殺せるという事を認識する事により、素人に手出しして自分の人生を無駄にする、と言う事がなくなったからだ。

 

元来、割と短気な自分は結構やばい瞬間もあったのだが、その度に「今やったら確実に相手は死んでしまう」と自分に言い聞かせる事によって耐えてきたのだ。もちろん、今なお許せない人間も存在するものの、さすがにそのために自由を失う覚悟までないので、今なお耐えている。当たり前であるが、いざそうなったとしたらスマホも使う事が出来ないので、何もせずただひたすら時が経つのを待つだけ、とかなんて生活になったらそれこそ後悔しかない。なので、期間は短いながらも、前田道場で得た経験は無駄ではなかったと思う。

 

ただ、実際にいくら打撃を鍛えても、素人が興奮した相手を一撃で仕留める、と言うのはなかなか難しいようである。そういう時に最も頼りになるのは、やはりチョークであろう。晩年、アントニオ猪木はスリーパーホールドを決め技としていたが、古舘伊知郎氏の話によれば、かつて旅館でヤクザとトラブルになった時、条件反射的に速攻でスリーパーを決めたらしく、やはりいざ実戦となり最も威力を発揮するのが絞め技と言う事なのだろう。ただ、当然の事ながら絞めすぎると簡単に人は死ぬので、正当防衛が成立しない限り手を出すのは禁止である。