プレイステーション2を語る。 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

PS2の発売当時はネットに接続出来る機器と言えばPCのみであり、しかもまだそれなりに価格もしたので現在の普及率には全く及ばない時代であったのだが、それでもネット予約開始直後にサーバーがダウンしたほどアクセスが殺到した事は、かのニュースステーションでも報道されるなど、一般メディアからも注目されていた。

 

そして、当時はまだローンチと言えばアーケードのヒット作が主流な時代であったのだが、初代PSやSSの頃と比べれば多少インパクトに欠けるものがあり、記憶にある限りでは鉄拳TGぐらいであったかと思う。その代わり、まだまだ現役であった初代PSのソフトがほぼ動く後方互換、そして何と言ってもDVDプレイヤー搭載と言う、この2つの売りが何といっても最大の強みだった。

 

私的には、遂に「燃えよドラゴン」が英語字幕で見れる、と言うだけでも、DVDには大変魅力を感じたものであったが、ローンチ時期の専用ソフトにもひとつだけどうしても欲しいソフトがあった。言うまでもなく、「グラディウスIII&IV~復活の神話~」である。1999年の年末頃、たまたまある雑誌の発売予定表を見て知ったのであるが、その異常な難易度からグラIIIだけは絶対に移植されないだろう、と諦めていたので、まさか最新ハードのPS2に移植されるとは夢にも思わなかったものだった。もちろん、すぐにでも欲しかったのであるが、あいにく当時も今のPS5のような状況に近く、店頭で普通に買えるようになるまでには数ヵ月はかかったかと思う。

 

結局、買えたのは翌年の1月の事だった。初代のバージョンはリージョンが無効に出来ると話題になったが、私の買ったのはすでに15000番台とすでに修正済みのバージョンであった。もちろん、同時購入ソフトはそのグラIII&IVであり、DVDももちろん「燃えよドラゴン」であった。その頃は、以前の記事で扱ったPC-TV454を使用していたため、PS2ももちろんそれにRGB出力で接続したものだ。グラIIIは初代PSと同様、15KHzのRGB出力そのままであったため、スコア位置が若干家庭用向けにずれていた以外は、ほぼアーケード版そのままだったため、それはそれはえらく感動したものだった。しかし、このPS2版には操作遅延と言う致命的な欠点があった。おそらく基板をエミュレートしての移植と思われるため、それが原因だとは思うのであるが、ブラウン管時代にはまるで無縁であった遅延と言う存在を知ったのはそのグラIIIが最初だった。

 

まあその遅延にもめげず、グラIIIはもちろんの事、グラIVもそれなりにプレイしていったものであったが、他のPS2ソフトはいまいち心に響かず、まだ初代PSを中心にプレイしていた。市場自体も、2000年にはドラクエVII、そして2001年にはドラクエIVのリメイクが発売されるなど、少なくともFFXが発売されるぐらいまでは初代の市場もかなり開けていたので、正直自分的にもまだまだ初代PSで十分な部分があった。

 

さらに、2003年3月に「英語は絶対勉強するな」と出会って以来、本格的に英語の勉強を始めると対照的にゲームとは疎遠になり、それ以降どの程度PS2をプレイしていったのかほぼ記憶にない。DVDソフト自体は香港映画を中心に購入していったため、DVDプレイヤーとしての使用頻度は高かったはずなのであるが、おそらくほぼそれオンリーであったと思う。そして、専用DVDプレイヤーが1万円台から買えるようになり、さらにリージョンフリーの需要が高まってからは、DVDプレイヤーとして使用する事すらなくなってしまった。

 

そのように、酷使しまくった初代PSと比較するとかなり対照的となってしまったのであるが、シューティング市場もそれなりに活発だったのが救いだった。その先鞭をつけたのは、2003年4月に発売された「怒首領蜂大往生」だ。攻略DVD付きと言う売りもあったとは言え、それなりのセールスを記録したのだろう。以降、「虫姫さま」や「エスプガルーダ」と言ったケイブの弾幕ものも、相次いで発売され、それに触発されたか、彩京の過去作もいくつか発売されていったのだが、ストライカーズシリーズのように何故か初代PS版の方が出来が良かったソフトもあったようである。

 

そして、かつてセガサターンで展開された、SEGAAGESシリーズもPS2で改めて展開されていく。初期は、スペースハリアーやアウトランをPS2の機能でリメイクしたバージョンが中心であったが、次第にアーケードを忠実に移植、にシフトしていく。中でも、史上初めてのアーケード版の完全移植を実現させた「テトリス」や、「バーチャファイター2」などにはゲーマーは歓喜したものだった。

 

そんなセガに負けず、カプコンは「アーケードクラシック」、タイトーは「タイトーメモリーズ」をリリースしていく。いずれもレトロゲーマー待望のソフトではあったものの、前者は、初代PS移植済みのタイトルはすべてそれ準拠、と言うのがマイナス点であった。それでも、遂に「ファイナルファイト」が完全移植、と言うのは大きく、それだけのために購入した人も多いはず。後者は「ダライアス外伝」などが初期では大きな売りであったが、如何せん遅延が大きすぎてゲームにならなかった。後の廉価版では改良された、とあるが、それでもまだまだ大きく、おそらくエミュレートの移植ではPS2では如何せんパワー不足であったのだろう。

 

しかし、それでも1本につき25作品も収録されていた「メモリーズ」は太っ腹だった。そして後半最大の目玉が、こちらも史上初めてアーケード版が完全移植された「ナイトストライカー」だ。もちろん、アナログレバー対応であったが、さすがにそれだけではアーケード版の再現には至らず、出来ればフライトスティックでプレイしてみたかったものだったが、それに該当するものが果たしてPS2に存在するのかどうかも不明だったため、結局かなわなかった。しかし、ほぼアーケード版そのもののエミュレートであったため、これだけ目当てな人も多かったことだろう。

 

そしてカプコンはそれ以外でも、「ストリートファイターZERO」や「ヴァンパイア」シリーズを販売してくれた。すでに初代PSなどにも移植済みではあったものの、こちらは全てアーケード準拠の完璧な移植であった。特に、ストZERO2などはBGMが差し替えられていたため、初めてアーケード版オリジナルの音源が流れたのがこれだった。そして、これにならって「餓狼伝説」や「KOF」などの、ネオジオのほとんどの格ゲータイトルも移植された。もちろん、大容量を活かしてネオジオCDのアレンジ曲も収録と言う、アケアカが存在する今となっても価値のある移植であった。

 

コナミにその手のソフトが存在しなかったのは残念であったが、それでも2004年に往年のゲーマー待望のタイトルが発売された。言うまでもなく、「グラディウスV」である。ナンバリング初の家庭用オンリーと言うのは複雑であったが、その出来は非常によく、1周がグラIII以上にかかるという欠点を抱えていながら、内外の評価は極めて高く、今なお大傑作として知られている。PS3のアーカイブスでもプレイ出来るが、今プレイしても古さを感じさせず、これがPS2のスペックで動いていたとは驚きである。

 

また、同じ頃、遂にHORIが三和電子のレバーを使用した「リアルアーケードPRO」を発売したが、これの初代機もPS2用として発売された。現在まで続く本格仕様アケコンの走りなだけあって、これも記憶にとどめておくべき出来事だろう。

 

そんな訳で、世間的には大盛況を誇ったPS2であったが、個人的にはセガサターンのレアソフト収集、そして繰り返しになるが「英語は絶対勉強するな」の影響で英語を本格的に勉強し始めていった事なども重なって、あまりゲームをやりこんだ記憶はないのだ。イコール、印象自体もさほど強くはない。確かにこれまで挙げたゲームはプレイしていったものの、正直格ゲーなどは今更やりこむようなものでもない上、オンライン対戦も気軽には出来ない時代でもあったために、飽きるのも早かった。

 

ただ、それでも上記のように名作は数多すぎる、かつ「グラディウスV」のように、今なおPS2のみでしかプレイできないゲームも存在する。しかし、もちろんではあるが、PS2は正式にはHDMIには対応していない。一応、非公式ではいくらでも存在し、自身も一番出回っている安いやつを所有はしているのであるが、最新のゲーミングモニターに接続しても、どうしても遅延が起きてしまう。以前所有していたプラズマテレビにD端子接続をした際には、さすがにブラウン管には劣るとはいえ、大きな遅延はなかっただけに、昨今のテレビからコンポーネントが消えたのは非常に残念だ。

 

最近買ったLGのテレビにはコンポーネントが搭載されていたので、ようやくまともにプレイできると思いきや、なんとゲーミングレスポンスモードはHDMIオンリー、当該には非対応であったので遅延しまくり、とてもゲームにはならなかった。幸い、グラディウスVに関してはPS3アーカイブス対応なので、もちろんDL購入したものの、やはり遅延が発生してしまう。ゲーミングモニターであればギリギリ許容範囲であるはとは言え、それでもオリジナルの感覚には全くかなわないので、どうにか現行のモニターで遅延ゼロ環境を実現してもらいたいものである。ゲーム熱が再燃した今だからこそ、高画質、大画面で改めてPS2ソフトをじっくり堪能したいものだ。