初代バーチャファイターが登場した時、3Dポリゴンで描かれた「人間」が格闘している姿には大変な衝撃を受けたものだったが、それとは別に勝利時に実際に話す台詞もちょっとした話題となった。とは言っても、主人公であるアキラの「十年早いんだよ!」程度であったのだが、初代バーチャと言えばこれも同時にイメージされるぐらいのインパクトはあったかと思う。
それから1年後に、圧倒的なグラフィック向上を果たした「バーチャファイター2」が発売されるのであるが、こちらは勝利ボイスが2種類となり、アキラは前作同様の「十年早いんだよ!」に加え、「もっと、強い奴と、闘いたい!」が新たに加わった。正直、格ゲープレイヤーとしては、単純に弱い相手が来てくれた方が嬉しい。もちろん、強い相手の方が技術的な向上には繋がるのではあるが、現在のストVで言えばリーグポイント、さらに当時であれば対戦ごとにワンコインがかかっているのだから、尚更だ。
ただし、実際に肌を触れて闘いあう格闘家にとってはアキラのような心情になる事も確からしく、それをもっとも端的に表したのが1999年4月、名古屋レインボーホールにて行われた「桜庭和志VSビクトー・ベウフォード」であろう。ビクトーはブラジリアン柔術の実力者であり、YouTubeにおけるUFCのダイジェストなどにも見れるよう、かのヴァンダレイ・シウバをKOしたほどの実力者であり、どう考えても弱いわけがない。
しかし、この日はコンディションが悪かったのかどうかは不明であるが、終始桜庭のペースであり、最終的には自ら尻餅をつき注意を受けるなど、ほぼ戦意喪失気味であった。結局、桜庭の判定勝利に終わったのであるが、その時のマイクが「次はもっと強い人とやってみたいと思います」だった。プロレスファン的には、解説の谷川貞治が語ったように、これまで散々MMAのリングでプロレスラーがいいように蹂躙されてきたのを見ていた訳だから、桜庭が面白いようにビクトーを殴り、蹴り、そして踏みつける姿は、それはそれはもう拍手喝采であり、大変溜飲が下がったものだった。
プロレスというのはどこの世界においても勧善懲悪のストーリーであるが、この時に観客と視聴者が抱いた感情はおそらく力道山時代のそれ、に近かったのではないだろうか。この時の私は若干プロレスから離れており、深夜のテレビを見る程度であったのだが、この試合はリングの魂か何かで拝見し、ダイジェストながらそれはそれは興奮したものだった。
ただし、客を沸かせ「いい試合」をする事が「プロレスラー」の使命である事が理念として身についている桜庭にとって、一方的に逃げ回るビクトーとの試合は納得いかなかったようであり、このマイクは挑発でもなく本音だろう。当然、ブラジル勢は激怒、以降も強敵ばかりぶつけてくるのであるが全て返り討ち、そして同年11月には遂にグレイシーの本家の一族の一人であるホイラーとの試合にまでこぎつけた。
これまで、本家グレイシーに勝利した日本人は一人もいなかったが、勢いに乗る桜庭にはかなわず、プロレス的に言えば「チキンウイング・アームロック」の体制でレフェリーストップに追い込んだ。当然、グレイシー側は猛抗議ではあったが、誰がどう見てもあの状態から抜け出す事は不可能ぐらい完璧に極まっていたため、受け入れられずはずもなく実質桜庭の完全勝利と言えた。
ここから2000年にかけての桜庭はまさに伝説であり、日本のファンにおいては最も幸福な時代であったとも思うのであるが、1997年年末の「プロレスラーは本当は強いんです!」から上記の「次はもっと強い人とやってみたいと思います」、そしてホイラー戦直後の「次はお兄さん僕と勝負してください!」は今なお我々の心を震わせる名台詞だ。
さすがに一般人的には、誰かと一線を交える事はあるはずもないので、実際にそれを体感する事は出来ないが、その代わり仕事でならいくらでも似たような経験を積む事が出来る。基本、出来ない人間は出来る人間について来れるはずもないので、当然出来る人間が合わせなけばならないのは普通だ。しかし、それは出来る人間にとっては苦痛な事この上ないし、さらに出来る人間は割と苦労もせずに仕事を覚えてこれる事が普通なので、出来ない人間が何故出来ない事が理解出来ない。
元新日本プロレスレフェリーのミスター高橋曰く、「アントニオ猪木は自らが天才過ぎるため、”なんで出来ねえんだ!”と選手が出来ない事が理解出来ない」と触れていたし、おそらくイチローなども周りに対しては似たような感情を抱いていたのではないかと想像する。もちろんイチローも努力の人であった訳だが、それだけではあの途方もない記録など達成出来るはずもない。本人曰く、「自分は監督には向いてない。人望ないから」と引退会見で自虐的に語っていたが、実際にコーチなどのオファーもないと思われる。恐れ多い、というのもあるだろうが、あまりにも本人のレベルが違いすぎるので、おそらく教えた所で並の選手が理解し、身につけていけるものとは到底思えないからだ。
都合よく、同じレベルの人間のみで固まる事が出来ればそれが一番良いのであるが、世の中はどうしてもそうそううまくいかない事例もある。ぶっちゃけ言うと、出来なくてもそこそこの給料が貰えるのであれば、出来ない方が羨ましい、と思う事もしょっちゅうだ。そういう時にどうやって自分と立ち向かうか、うまく精神のコントロールをするかが、現代人の課題のひとつなのではないかと思う。