秋葉原探索記 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

関東在住の人間にとって、レトロゲーム収集の最終手段が秋葉原である。そんな体験記を綴っていく。

 

かなり前の話になるが、今も秋葉原に店舗を構えるオノデンのCMが頻繁に流されており、かつそのソングがかなり強烈であったので、まるで秋葉原の知識がない当時であっても、「秋葉原=電気街」というのは自然に頭にインプットされてきた。そして、1990年代にはファミコン通信などが、秋葉原における中古ゲーム店の特集を行ったりした事もあって、同時に「秋葉原=ゲームの街でもある」という認識を得た。ソフマップという店名を知ったのもこれがきっかけである。

 

当時はまだ初代ファミコンが現役の頃であったのだが、それでもぼちぼち高額な中古ソフトは存在していた。とは言ってももちろん出まわりの良いドラクエやファミスタのような有名どころではなく、囲碁と言った出まわりが少ない、かつユーザーが大人なため手放さない傾向があるソフトが高額取引されていた。また、ファミコン雑誌でもほとんど取り上げられず、その存在自体ほとんどの人が知らないと言われた「アイアムアティーチャー」などもすでに幻のソフトに近い存在であった。

 

で、それらも含めて、当時最も高額取引されていたファミコンソフトはかの「オールナイトニッポンスーパーマリオブラザーズ」だ。詳細はググれば一目瞭然なのだが、当時はまだ深夜放送を聞けるような年頃でもなかったため、最低でも20前後以上の年代でないとその存在自体知らなかったと思う。相場ははっきりとは覚えてないが、まあ大体30000円前後といった所だった記憶がある。

 

ただ、当時は中古ファミコン市場が全盛であり、地元にもそれなりに中古屋が存在していたため、あえて遠出する事はなかった。そんな自分が秋葉原へ行くきっかけとなったのは、PCEのSUPERCD-ROM2がきっかけである。当時、ストリートファイターIIが大人気であり、当然私もハマっていたのだが、その初代の「ストリートファイター」の移植は、PCECD-ROMのローンチソフトであった「ファイティングストリート」のみであった。

 

紹介を見る限り、かなりアーケードに忠実な移植に思えたので、どうしても欲しかったのであるがすでに発売から3年以上、しかもCD-ROM2黎明期だけあって出回りも良いとは言えなかったため、これだけはどうしても地元で見つける事が出来なかった。そこで、親友と一緒にすでに行き慣れた新宿にまで行ったのだが、量販店やゲーセンは豊富なものの、実は駅周辺には中古屋は皆無。そこで、じゃあ思い切って行ってみるか、と言う事で秋葉原へ行ったのが最初だ。

 

当然、マップなど所有していなかったため、しらみつぶしに歩いて探すしかない。当時の光景はほとんど覚えていないが、どこの店へ行ってもなかなか置いておらず、何件か回った後にようやく1本だけ中古が売っているのを発見できたのだ。その後、別のお店で天外魔境も購入したのだが、まあ本当にゲームがずらりと置いてある光景はまさにパラダイスそのものであった。

 

ただ、肝心のゲームの出来自体はいまひとつであり、元々6ボタンのゲームを2ボタンにアレンジしているのと、さらにコマンド入力のタイミングもアーケード版と同等なため、十字キーでは必殺技などまるで出せず、波動拳ですら苦しかったのだ。さすがにサウンドに関しては大迫力であったものの、敵のアルゴリズムも微妙に違うし、ゲーム性という点では今ひとつであった。まあ、本来のアーケード版自体、圧力センサー版で遊ばないと微妙だったりもしたのであるが。

 

そして、天外魔境であるが、当時はすでに天外魔境IIの体験版はプレイしていた。それでさすがにCD-ROMだな、と圧倒されたのであるが、そのイメージがあったため、坂本龍一氏作曲のBGM以外はほとんど内蔵音源、そしてバッファRAMの関係上ショボいフィールドグラフィックと細かい読み込みに、はっきり言ってがっかりさせられた。戦闘シーンはさすがに綺麗であったが、そこまでに6秒のアクセス、そしてなんともショボい戦闘BGMにテンポの悪い展開と、結局最後までやり通す事は出来なかった。

 

それから2年後ぐらいに、戦闘シーンへのアクセスが改善されたSUPERCD-ROM2版が懸賞?か何かでリリースされ、私も中古で売っている所は見た事があるのであるが、あいにく今更天外魔境?という事で買ってはいない。ただ、現在PS3のPCEアーカイブスでプレイできるバージョンがそれなので、一応元のオリジナルよりかは快適にはプレイは出来る。しかし、それでも最後まではまるでやっていないのであるが。

 

その後、地元の相模原と本厚木のゲームショップで、新品でファイティングストリートが売られていたのを見るとさすがにショックであったが、どちらとも初めて訪れるお店だったし、当時の行動範囲からはかなり外れていたのでまあ仕方がなかった。とりあえず、一緒にいてくれた友人は「経験だよ」と言ってくれたが、確かに私を初めて秋葉原と導いてくれただけでも良しである。

 

しかし、その後は行動範囲が広がったがために、地元でも十分揃える事が出来たために、10年近く足を運ぶ事がなかった。そして再度足を運んだのが2000年の1月、同じくレトロゲームのためである。当時、セガサターンのミッションスティックを購入出来た事をきっかけに、SS版のナイトストライカーがどうしても欲しくなった。実は、かつて一度購入経験のあるソフトであったのだが、PS版よりかはマシな出来なのに、個人的にはどうも納得いかず売却してしまったのだ。それを、アナログスティック購入をきっかけとして、再度購入意欲が湧いたという訳だった。

 

しかし、1度目に購入した1997年当時より、ドリームキャスト発売後のSSの市場は完全に縮小、そしてプレミアソフトなどの収集も開始された事により、レアゲームは瞬く間に市場から消えようとしていた。そういう訳で、地元ではどうしても見つける事が出来ず、最終手段として久々へ秋葉原と向かった。画像を検索すれば分かると思うが、電気街口の前にはまだ何故かバスケットボールコートがあった時代である。当然、ヨドバシなど影も形もない時代の事だ。

 

結局、見つける事は出来なかったものの、それに関する記憶はほとんどない。ぶっちゃけ全く覚えていないのであるが、それはおそらくゲーム探索以上に思い出深い出来事があったからである。当時、秋葉原Heyもゲーセンミカドもない時代、レトロゲームのメッカと言われたゲーセンが秋葉原にたたずむ「トライアミューズメントタワー」であった。その上層階がシューティングゲームのエリアなのだが、そこにはご丁寧にグラディウスシリーズコーナーが目玉としてあったのだ。

 

ライフフォースはなかったが、それ以外は全て設置されていた。もちろん、かつて熱狂したグラディウスIIIも。実にプレイする機会を得たのは8年半ぶりの事である。選んだのはD装備であったが、軽く3面、5面とクリアしていき、当時最高だった6面もあっさりクリア出来てしまった。ツインレーザーには不利とされる7面で死ぬだろう、と思いきやこれもクリア、8面もクリアし、なんと9面までノーミスで来てしまった。

 

自身初のキューブ体験であったが、さすがにここを初見クリアなど不可能に近いので、ゲームオーバーとなってしまったが、これで再び自身のゲーマー熱に火がついたのは確かだった。最近、アーケードアーカイブスで久々にプレイしたが、何度も3面や5面でゲームオーバーになり、9面まで到達するのにかなり時間を要したため、いかに当時の自分がゲームが上手かったかのか改めて実感したものだった。

 

翌年、セガサターンのプレミアソフト収集を行うようになると、たまに秋葉原に赴いたりもしたのであるが、モノ自体は豊富でも当然相場は最高値のため、買ったのはたまたま未開封品ながら格安だったSSの「ストリートファイターZERO3・拡張RAM同梱版」程度だったと思う。まだ「レイディアントシルバーガン」が中古で14800円ほどで買えた頃だ。それでも十分高いのであるが、現在スーパーポテトでは3万が当たり前、未開封だと4万を超えるのだから、今思えばそれでも安いのである。また、現在中古で13万円で売られている「心霊呪殺師太郎丸」は、当時別の店で3万円であった。これを所有している人間などサターンマニアしかいないのだから、今後さらに相場は上がるだろう。また、ここまでSSのソフトが高額になったのも、もちろん時代の流れもあるだろうが、外国人コレクターの存在である。海外ではサターンの出回りが悪く、ほぼ日本市場のみであったので、海外のコレクターは日本版を収集する以外ないのだ。

 

現在はさすがにプレミアソフト収集という事はないし、ソフトの購入自体DLオンリーなので、ソフト目当てに秋葉原へ赴く事は皆無である。大体、千石電商でアケコンパーツをチェックし、秋葉原HEYへ行き、時間があればBEEPやスーパーポテトへ、もっと時間があれば秋葉原ヨドバシへ、といった感じである。当時とは随分街並みも変化したし、どに何が存在したのかも覚えてはいない。それでも、今なおゲーマーを最もワクワクさせてくれる街に変わりはないのだ。