メガドライブを語る・その2 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

1991年12月、メガドライブのCD-ROMユニットであるメガCDが遂に発売された。49800円と、こちらもかなりの高額であったものの、実質ほぼCDを付けただけのPCEとは異なり、こちらはPCM音源やスプライトの拡大縮小機能など、MD本体をパワーアップさせるチップも搭載されていた。そして、バッファRAMも、SUPERCD-ROM2のそれを軽く超える6Mビットと、家庭用としては当時最高であり、さらにレンズの読み込み精度も高くエラーが皆無という、PCEのそれを遥かに凌駕する機能であった。

 

しかし、ソフトあってのハードの事、相変わらずそれがセガのウィークポイントであった。とてもではないが、イースや天外魔境IIのように、ハードごと買わせてしまえるようなローンチソフトは存在せず、また、CDがあってナンボであったPCEと比べて、まだまだROMだけでも十分だった事も普及の妨げとなった。

 

それがゲーマーの注目を集め始めたのが、1993年初頭になり、ニンジャウォーリアーズにファイナルファイト、そしてなんとナイトストライカーの移植が発表されてからだ。前2作はともかく、当時の家庭用ではどう考えても移植は不可能、とされたナイトストライカーの移植が遂に実現する、というのだ。その頃、ちょうど本厚木のゲーセンでナイストをやり込んでいた事もあって、私にとっても夢のような知らせであった。

 

これらが決め手となって、同年の5月頭に遂に購入を果たしたのであるが、それでもセールス自体は好転しなかった。それも当然、確かにナイトストライカーは伝説的なゲームではあるが、ストIIのように幅広い層に受け入れられた訳ではなく、全国で333台しか出回らなかった事もあって、明らかにゲーセンマニア向けのゲームであった。おそらく、家庭用しか知らない人たちにとっては、「なにそれ」という感覚であっただろう。ニンジャウォーリアーズとファイナルファイトに至っても、すでに発売から3年以上が過ぎており、すでに旬はとうに過ぎていた。それらに期待する方が無理というものだ。

 

それでも、過去の異色に比べれば遥かに出来は良かった。ニンウォリは別にROMカセットでも出来たと思うのであるが、苦し紛れにつけたオープニングとアレンジBGMの出来が非常に良く、これらだけでも価値はあったと思う。ファイナルファイトはキャラの頭身がアーケードそのままであり、さらに2人同時プレイまで可能だった。スプライトが80個制限のMDでよくもまあここまで、と言った渾身の移植である。しかし、パンチが遅い、という最大の欠点があり、またハガーのバックドロップの一部にバグがある事もあって、操作感覚はアーケードのそれとはまるで異なっていた。なのでかなり問題はあったのであるが、それでも画面サイズやSEがアーケードそのまま、というのは感動したし、もちろんSFCでカットされた4面も存在している。

 

ナイトストライカーはかなり力技な移植であったのだが、それでも家庭でプレイ出来るという価値は大きかった。しかし、今思うとこの3つのためだけに29800円、おそらく5000円ほどディスカウントはあったとは思うのだが、やはり割高と言わざるを得なかった。さらに、100万台以上普及したPCEのそれと比べて、MCDはわずか30万台程度であったと言われる。結局、MCD2以降もラインナップはROM中心であり、その後買ったソフトと言えば「シルフィード」と、相当後になっての「餓狼伝説SPECIAL」しかなかった。

 

まあ、シルフィードに至っては、SFCの「スターフォックス」を遥かに超えるクオリティの3Dポリゴンシューティングであり、これはMCD2を所有していて良かったな、と素直に思える作品であったとは思う。当時はバーチャファイターも発売される前であり、テクスチャなしのカクカクポリゴンが当たり前であったから、これでもゲーセン並みのクオリティだったのだ。

 

そして、同年遂にストリートファイターIIダッシュが発売される。最初はダッシュのみであったのだが、最後発なだけにターボの要素も入れられた。しかし、契約上ターボの名称はタイトルには使えなかったので、「エキサイトモード」と改められたが、さすがにキャラ調整にまでは版権は関われないので、内容はターボそのものである。そして、MD版は当時家庭用最高の24メガビットROMが採用された。これにより、家庭用では初めてオープニングシーンが再現されたが、ぶっちゃけそれ以外のプラス4メガビットの利点はよくわかっていない。

 

翌年にはまさかのスーパーストリートファイターIIの移植、しかもこちらも歴代最高、SFCのそれを遥かに上回る40MビットROMカセットとして発売された。SFC版は開始音声に欠落があったのに対し、こちらは全て再現されている。おそらく、SFC版は必殺技以外のボイスは全てBGMが止まった状態なので、おそらくその間ファイルを解凍しているのだろう。その影響で、ラウンド開始時のボイスが削減されたと思うのだが、正直最初は不良品かと思ったものだった。また、オープニングのリュウのモーションも、MD版はアーケード版そのままである。

 

購入自体は中古で数ヶ月後であったのだが、所々削除があるSFC版に比べると、当時の自分的にはこちらの方が快適であり、おそらくMD史上で最もプレイしたゲームのひとつではなかったかと思う。この当時になると、HORIも出来はおもちゃに近いながらも、3機種でプレイ可能なマルチスティックを発売していたため、全機種で使いまわしたものである。もちろん、今のように純正コンを繋げる、なんてないのだから、まだまだおおらかな時代であった。

 

ただ、SFCはファイヤープロレスリングシリーズや、その後のドラクエVI、そしてドラクエIIIのリメイク、PCEはアーケードカードの格ゲーなど、それから2年ぐらいはプレイはしていったのであるが、MDに関してはストIIに飽きるとほぼ起動はなくなってしまったかと思う。1994年には、北米市場を狙ったメガドライブ延命策である、「SUPER32X」も発売されたが、日米両国で大コケ、全く普及しないまま1年持たずに終わってしまった。素直にセガサターンにバトンタッチ出来れば良かったのだが、この辺りの判断のあやふやさもセガらしいと言えばセガらしい。

 

以上のように、当時は自分としても常にSFCやPCEの後塵を拝するハードという感じであり、PCEのようにメインに踊り出る事はほとんどなければ、当然セガマニアになる事もなかった。カプコンはほぼストIIだけとは言え、かなり力を入れてくれたのだが、それに対し、すでに述べたようナムコやタイトー、そしてコナミのラインナップがいまひとつマイナー感があっただけに、もう少し力を入れてもらっていれば、と今更ながら思う。