ゲームと英語 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

ビデオゲームが生まれたのはアメリカであり、当然プログラムも英語なのだからゲームの基本となる文字はどこの国であろうとアルファベットが基本である。当然、事実上スペースインベーダーにより「ビデオゲーム」という概念が広まったここ日本においてももちろんであり、つまりは「ビデオゲームの言語イコール英語」であった。

 

この辺りは前にも触れたが、もちろんそれはファミコンにおいてもそうであり、表示される文字は全てアルファベットでかつ英語、初めて日本語表記が使われたのは、任天堂の「麻雀」や「ベースボール」であったとされる。当然、それらは実用的なものというよりも、あくまで「記号」に近いものだったから、事実上初めて実用的に日本語フォントが採用されたのは、かの有名な「ポートピア連続殺人事件」であった。

 

そのポートピアでさえも、ひらがなは全部存在するが、カタカナは堀井雄二氏曰く「よく使うカタカナ20文字」に限られ、よって本来カタカナであるべき一部の表記がひらがなのままだったりする。これはドラクエIの開発時にも採用され、以降続編が出るにつれてそれは増えて行ったものの、IVに至ってまですら全てではなく、キャラの名前がひらがなオンリーだったのもそれが理由であった。結局、全ての文字が使えるようになったのはなんと6年後のドラクエVの事である。

 

という訳で、もちろんアーケードの初期はリアルでは知らないものの、私が子供の頃は「ゲームの文字=読めないアルファベットの羅列」というのは常識であった。当時のゲームと言うのはゼビウスなどのいわゆるループゲームがほとんどであり、いわゆるエンディングなどは存在しないのも常識であったのだが、初めてそれらしいものをつけたのはナムコであったかと思う。

 

記憶にある限り、まともな「エンディング」と言うものが初めて存在したのは、同ナムコの超名作「ドルアーガの塔」だ。アーケード版は祝福のメッセージのみであったが、ファミコン版ではそれに加えスタッフロールまで存在した。さらに、裏ドルアーガにおいては今度はキャラクター紹介と言う凝りよう。一般的にはその翌年に発売された「ドラゴンクエスト」という認識が強いが、以上のように歴史的にはドルアーガが最初である。

 

しかし、当時の私はローマ字すら習っていなかったため、何が書いてあるのやらさっぱり分からなかった。一応、攻略本には明記はしてあったのであるが、そもそもSTAFFの読みも意味も分からないのだからどうしようもない。さらに、当時のゲーム業界は引き抜き対策のため、プログラマーの実名を出すというのはご法度であったため全て変名であり、さらに意味不明に拍車をかけた。なので、今思えば任天堂の宮本茂さんはともかく、EvezooENDこと遠藤雅伸さんが公に出ていた、と言うのは驚くべき事だったのかも知れない。まあ、それだけゼビウスが爆発的なヒットを記録した事の証明なのかも知れないが、ゲームデザイナーという職業がゲーマーに認知されたのは氏の功績である。

 

話を戻すが、当時は取材規制などは皆無の時代であり、ドルアーガのエンディングもどこの本でも見る事が出来た。なので、クリアする前に私もすでに見ていたのであるが、週刊少年ジャンプの説明により裏ドルアーガのYOU ARE PERFECT PLAYER!!だけは読みも意味も理解する事が出来た。よって、私が初めて理解した英語のセンテンスがこれである。しかし、これも正確には正しくない。言うまでもないが、YOU ARE A PERFECT PLAYER.が正しい。

 

いくら文字が英語オンリーとは言っても、開発しているのはほぼ日本人オンリーであり、海外に展開される時のみ現地のネイティブのチェックが入るだけであったのだから、ゲーム業界初期の時代はスペルミスや簡潔すぎる英語表現があまりにも多かった。これは後追いで知ったのだが、東亜プランのゼロウイングによるYour bese are belong to us.などはその典型であろう。ストリートファイターIIの海外版も、勝利メッセージは一種類のみであったし、エンディングもかなり簡素だ。そして昇龍拳をSHENG LONGと訳してしまい、海外ではこれがリュウの師匠、隠しキャラではないかと話題にもなったらしい。

 

若干話を戻すが、以上のように日本のゲームにおいても英語オンリーであったので、初期の任天堂のファミコンゲームなどは日本版と海外版でほぼ違いはなかったかと思う。かのスーパーマリオブラザーズにおいても、日本語表記はゼロであったので、アメリカ版との違いはないであろう。これも当時は全く意味不明であったが、当然今となっては単純明快であり、「こんなシンプルな文法だったんだ」と思ってしまうものだ。

 

しかし、日本語がオリジナルとして制作された「ゼルダの伝説」が、北米版NESに移植される際、当然メッセージも全て翻訳された。プレイどころか画面も当時拝見した事はないのであるが、普通に考えてそのまま販売される訳がないので、おそらくこれが初めて日本のゲームがローカライズされた最初ではないかと思う。そして、その「日本からの北米版ローカライズ」を一躍有名にしたのが、「Dragon Warrior」として1989年に発売された、NES版「ドラゴンクエスト」であった。

 

これはファミ通でも紹介されたので、記憶している人も多いであろう。もっとも、この時は英語云々よりも、容量が増えたためにグラフィックの向上、そしてバッテリーバックアップとなった事の方が話題になったのであるが。もちろん、当時は画面写真のみであったが、大分後になってその機会を得た。「ウィザードリィ」などに比べるとかなり読みづらいフォントであるのだが、それ以前に厄介なのは古英語が採用されている事だ。つまりYouがThouになっていたりする。日本語で言えばそなた、とか余とかに近いのであろうが、最初はさっぱり意味不明だった。まあそれ以外は普通に読めるのであるが、全て現代語になったのはIVからであったと思う。

 

近年では多言語設定が当たり前になったので、どこの地域だろうとソフトや本体設定でいくらでも言語設定が出来る。それが出来ずとも、今ではAmazonで北米版が購入できるようになったので、それでDSのドラクエIVや、PS3のFFXIIIなども購入したものだ。あいにく、前者はファミコン版をさらに濃くしたローカル英語が使われ、さらに意味不明になったおかげで途中でやめてしまったのであるが、まあゲームで英語に触れられる、というのは一石二鳥である。

 

因みに、DSと言えば「英語漬け」なるゲームが大ヒットを記録し、私も2作ほど買ったのであるが、ゲームとしてはよく出来ているとは言え、ぶっちゃけこれだけで英語をマスターするのは無理だろう。繰り返しになるが、英語というのはひたすら地道に勉強していかないと決して身につかないものなので、あくまで自身の実力をおさらいするために使用するだけのものだと思う。

 

それを言ったら身も蓋もないのであるが、まあとりあえずは子供の頃は全く意味不明だったアルファベットの羅列を、今になって見返してみると新たな発見が多くなかなか面白いものだ。これも、英語話者のゲーマーにとってひとつの楽しみではないか、と思う。