PCEの勢いが明らかに出てきたのは、1991年に遂にHuカードとCD-ROM2ユニットの一体型である、PCエンジンDUOを発売したあたりからであったと思う。59800円と相変わらず高額であったが、それでも本体と旧モデルの合計よりかはかなり安くなった。さらに、SUPER CD-ROM2と言う、バッファRAMを2Mビットに増強したスーパーシステムカードのシステムも内蔵済みであり、DUO一台さえあればSG専用ソフト以外のPCEソフトが全て使用可能だった。
PCエンジン本体に付いていた拡張バスは廃止されたので、この時点でいわゆる「コア構想」は完全に放棄した事にもなった。しかし、その結局の所その拡張バスを使用し、さらにそれなりに普及した周辺機器と言えばAVブースターにインターフェースユニット、そして天の声2などのバックアップユニット程度であったので、廃止された所でなんの影響もなかった。
そして、翌年3月に超大作である「天外魔境II」の発売も控えており、私が思う限りではこの辺りから完全にPCEのソフトはCDへとシフトチェンジしていったかと思う。そして、私もとうとうお年玉を駆使し、天外魔境IIが発売される少し前にとうとうSUPERCD-ROMユニットを購入した。このユニットだけでも定価47800円もしたので、DUOと1万円ちょいしか変わらなかった事からも、あまり販売台数は多くなかったと言う。そう思うと、金さえあればDUOを買っておくべきだったかな、と今更ながら思うのであるが、当時はそんな余裕はないし、すでに初代PCE本体も所有していたので、考える余地はなかった。
その時点ですでに中古市場にはそれなりにソフトが出回っていたので、イースシリーズやスーパーダライアスなどをまとめて購入していったものなのだが、CD-ROMの特徴イコール大容量、というイメージしかなかったので、初めてイースIIIをプレイした瞬間に生音が流れてきた時は、それはもう大変な衝撃だったものである。
当時のゲームにおける音源は飛躍的な向上を遂げており、アーケードにおいてはちょうどFM音源からフルPCM音源へと移行するぐらいであったかと思う。PCM音源と言うのはスーパーファミコンにも積まれていた音源として家庭用ユーザーにも知られる事となったチップなのであるが、容量さえあれば理論上はどんな音でも出せる。しかし、SFCはアーケードに比べるとビットレートが低く、さらに当時のROMカセットは1Mバイトが標準であったので、その時点でさえも音色的な制限はかなりのものがあったと思う。
その家庭用における制限の壁を一気に解き放ったのが、このCD-ROMシステムであった。単にCDを再生しているだけなのだから、イコール地球上に存在する音を全て流せるようになったのだ。もちろん、74分という制限つきではあるものの、プログラムに使われる容量などたかがしれていたので、実質ほとんど全ての容量を音に使う事が出来た。
もちろん、容量と音源が向上しただけであり、PCEそのものの性能を引き上げるチップなどは一切搭載されていなかった。一応、ADPCMと漢字ROMなどはユニットに存在していたらしいのであるが、スプライトや背景を強化する機能などは全く搭載されていない。にも関わらず、CD-ROMユニットを装着した初代PCEはまるで別ハードであるかのように生まれ変わり、上記のイースシリーズやスーパーダライアスなど、「これが本当にPCエンジンなのか?」と思えるほど当時の家庭用ハードとしては最高レベルの出来を誇っていたのだ。
その当時はまだメガドライブは購入前であったのだが、SFCのソフトはやたらと高額、かつ比較的子供向けのゲームが多かった事もあり、私のメインハードはほぼPCEへと移行した。その流れを決定づけたのが、1992年12月に発売されたグラディウスIIである。ファミコン版はほぼ完全オリジナル続編であったので、真っ当なアーケード版の移植としては家庭用初であり、それを示すかのようにサブタイトルも付いている。
グラディウスシリーズの移植に飢えていた私は、移植決定の報に大変な衝撃を受け、おそらく人生の中でも最も発売を楽しみにしていたソフトであったかも知れなかった。実際の移植の出来も素晴らしく、初代グラディウスや沙羅曼蛇の移植が余程不評だったのを受けてか、パワーアップゲージをわざわざスプライトで表現している事などからも分かるように徹底的なアーケードへの拘り、それはもうPCEというハードを限界まで駆使しての素晴らしい移植であった。
しかし、ストIIの登場以降、シューティングゲームの市場は狭張るばかりであり、その出来とは裏腹に実際のセールスはいまひとつであったと言う。PCEのCPUはかなり早く、SFCやメガドライブと比較してもシューティングゲームの移植には有利とされており、実際にそれはそうであったのだが、やはり売れないジャンルを制作し続ける訳にもいかないので、この歴代最高レベルの移植作品が、皮肉にもシューティングゲームの衰退を証明する結果となってしまった。
1993年になると新作のほとんどがCD-ROMのゲームとなり、各メーカーもそれを活かすゲーム作りをしていったのであるが、当然PCEそのものの性能は頭打ちであったため、ほとんどのゲームが本編よりもビジュアルに比重を費やす結果となってしまった。もちろん、ハドソンやコナミなどはCD-ROMの性能を最大限に利用したゲーム作りをしていたのであるが、ハードを所有していない人たちからはどうしてもムービーの印象ばかりが残り、結果的にアニメファン御用達のハード、と言うレッテルを貼られてしまった。
そんな状況の1993年の夏、ハドソンがバッファRAMを一気に18Mビットにまで増強する、「アーケードカード」と言うトチ狂った周辺機器を発表する。そこまでの大容量が必要なジャンルと言えばもちろん格ゲー、と言う訳で当時人気絶頂であったSNKの格ゲーを移植するためだけに開発されたカードであった。当時のSFCとPCEの最大容量が20Mビットであった事からも、いかに尋常ではない容量であったかが分かってもらえるだろうか。当時の格ゲーの移植ではまずありえなかった「キャラクターパターンの完全移植」がこれによって実現できる、それだけでも当時の自分は胸踊ったものだった。