ゲーメストのお店・マルゲ屋。 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

少し前、ゲームのCDとビデオについて触れたが、前者は比較的容易に店のCDショップで入手出来たのに対し、ビデオを扱っているお店はかなり稀だった。私の場合は、相模大野に存在したTAHARAや、町田と本厚木のミロードに存在したCDショップが比較的ゲームビデオの扱いが豊富であったので、購入に苦労はしなかったのであるが、おそらくかなりの人はそんな環境には恵まれてはいなかったかと思われる。

 

まあ、大抵のお店は注文すれば取り寄せてはくれるのであるが、そんな環境を知っては知らずか、当時唯一のアーケードゲーム専門誌であった「ゲーメスト」には、読者サービス部という通販コーナーが存在していた。毎回ある程度の商品が紹介されているのであるが、当然入手性が悪くかつ単価の高いゲームビデオと言うのは目玉商品のひとつであり、ゲーメストを読み始めた頃などは羨望の眼差しで眺めていたものだった。

 

前にも触れたよう、「グラディウスIII」と、「パロディウスだ!」のビデオは、流通の良いキングレコード発売という事もあって、それぞれ町田と本厚木のCDショップで予約もせずに入手する事が出来た。しかし、どうしても欲しかった「グラディウスII」のビデオに関しては、すでに発売から3年以上経っていた事もあって、店頭では一度も見かける事が出来ず、これだけは最終手段として初めてゲーメストの通販を利用した。

 

今なら通販と言えばネットであり、それこそAmazonやヨドバシなどは注文の翌日に届いたりもするが、もちろん当時は全くそうではなかった。まず、支払いが口座振替である。もはやほとんどの人には馴染みがないだろうが、毎回ゲーメストには専用の用紙が付属しており、これに商品名を書いて郵便局で現金と共に申し込む。手順としてはこれだけなのだが、確か送り先にお金が反映されるまで最低でも3日程度はかかるのだ。

 

そして、無事入金はされたとしても、おそらくはほとんどが手作業で処理がなされていたと思うので、それから実際に商品が届くまでが長い長い。自分の場合はおそらく2週間ぐらいはかかったかと思う。今なら米Amazonのスタンダードシッピングでもそのぐらいで届くかぐらいなのだから、今で言えば海外通販ぐらいの手間と時間を要した、という事だ。なんとものどかな時代であったかと思うのだが、とにかくその当時はそれが普通だった。

 

そんなゲーメストが、遂に1990年年末にリアル店舗を、編集部が存在する東京・神田に開店させる。その名もマルゲ屋、正式な表記は◯の中にゲでそう読むのであるが、当然その表記は不可能なのでここではマルゲ屋としておく。

 

当時の私からすれば、東京に行くというのはまだまだ敷居が高く、また前述したように、地元のCD屋は比較的ビデオの品揃えまでもが良かった事もあって、わざわざそんな所まで行く必然性はなかった。そんな私が来店を決意したのは、地元でどうしても見つける事が出来なかった「ワルキューレの伝説」のCDを買うためであった。これは1500円に過ぎないので、それを買うためだけにわざわざ往復の電車賃1000円以上出してまで、と今なら思うのであるが、単純にいちゲーメスト読者として行ってみたい、というのもあったのかも知れない。そして、1992年の11月、遂にひとりでマルゲ屋へと足を運んだ。

 

当時はGoogleマップはもちろん、ケータイすらなかった時代であったので、頼りになるのは紙の地図だけである。幸い、1991年のある号には、編集部周辺の神田のマップが付属していたので、それだけを頼りとして現地へと向かった。現地までは神田駅からほぼ一直線だったので迷う事はなかったのであるが、恐ろしいほどに人気がなく、人とすれ違う事すら皆無だった記憶がある。なんでここまで静かなのか、と不思議に思ったものだったが、単純に日曜日はいつもこんなもんだったかららしい。

 

編集部のビルは記憶にないが、上記のようにお店にはあっさり着いた。狭いお店は所狭しとゲームグッズが置かれており、もちろんCDやビデオの品揃えもそれまで見た中ではダントツ、もはや「ないものはない」レベルであったかと思う。さすがに廃盤となっていたアルファレコードのCDなどはなかったものの、それでもすでに廃盤であったはずの「グラディウス」や「沙羅曼蛇」のアポロン盤シングルCDがまだ売っていたのには驚いたものだ。私は前者は地元、後者はおそらくこちらで購入したかと思うが、アルファレコードとの権利の兼ね合いか、原音にかなりのエフェクトが加わっており、純粋なサントラとしては使えないかなり今ひとつな代物であった。

 

それで、無事本来の目的であったワルキューレのCDは買う事は出来た。しかし、せっかく神田まで来たのにそれだけは、という事で、プレイした事すらないのにもかかわらず「イシターの復活」の下敷きなどを買った記憶がある。当時はまだテレホンカードが主流な時代であったが、さすがにそれは高いので、下敷きで妥協したのだ。

 

また、小型の筐体が2台ほど置かれており、何が入っていたかは覚えてはいないが大体ストII、もしくはSNKの格ゲーが入っていた記憶がある。当時のゲーメストは、かなりSNKをプッシュしていたので、おそらく一台は龍虎の拳であったかと思う。しかし、当時はまだストII以外の格ゲーはまだパクリ、亜流と言うイメージも強かったので、まだ後の餓狼やサムスピのようなヒットには至らなかったように思える。

 

それから、しばらく神田の街を探索してみたが、ゲーメストの編集部があると言うだけあり、ゲーセンもそれなりに存在していた。ライター陣の行きつけは「ジャックアンドベティ神田」と言うお店であったそうだが、私が最初に行ったのはそことは違う2階建てのゲーセンであったかと思う。そこで、何故か置いてあったゼビウスをプレイしたのだが、純粋なアーケード版をプレイするのは、幼少時の初プレイ以来実に8年ぶりほどの事であり、かつ13エリアまで進む事が出来た。

 

家庭用とは異なり、アーケードゲームの1周クリアというのは非常に敷居が高く、当時の私でもワンコイン1周を達成していたのは「沙羅曼蛇」だけであったと思う。なので、この13エリアというのは当時の私にとっては十分であり、8年ぶりながらここまで行けた、というのはちょっとした自信となったものだった。その後、ジャックアンドベティにも行ったが、こちらはレトロゲーム枠がなく、めぼしいゲームもなかったために滞在する事はなかったのだが、確かにゲーメストに書いてあったように、上に電車が通るたびに画面の色が変わったのは事実だった。

 

この周辺は地図にはなかったので、完全にノープランで歩き回った、という事になるのだが、この時に得た経験は非常に刺激的なものであり、その後何年経っても印象深い経験としてまま思い出す事もしばしばであった。この見知らぬ街を歩く刺激、楽しさが、後のフィリピンでの経験にも繋がっていったのであり、いわば私の旅好きの原点であると言えるのだが、もちろんそれに気付くのは十数年後の事であり、その当時は露とも気づかなかったものだった。

 

その翌年1月ぐらいに、また何かを買いにお店へと赴き、ちょうど餓狼伝説2の対戦大会をやっていたのでしばらく見物していたのであるが、当時まだ餓狼2はプレイすらまともに始める前だったので、ほとんど何も分からないままモニターを見上げていただけであった。その後もしばらくゲーマー人生は続いていくのであるが、神田や神保町のゲーセンには友人を引き連れて行った記憶があるのだけれども、お店自体はほとんど記憶にない。その頃になると、大きめなCD屋であれば、まず間違いなくゲームコーナーが独立して設置されていたため、ほとんど購入には不便はしなかったためだろう。また、高校生になってからは、学校帰りに寄れる小規模なCD屋でも、それなりにゲームのCDが置いてあったりもしたため、尚更であった。覚えている限り、そこでは餓狼伝説SPECIALのサントラを購入した事があった。

 

バーチャファイター2が紹介された時とほぼ同時期にゲーメストを買うのを突如として止めてしまったため、当然お店に赴く事もなくなった。1996年、ゲーメスト創刊10周年記念号だけは買ったのを覚えてはいるが、おそらくそれが最後に購入したゲーメストであったかと思う。そして3年後、次号予告を出しておきながら突然の新声社の倒産によりゲーメストも予告なき廃刊、無論、お店もとうの昔に存在しない。

 

結局、マルゲ屋に通ったのは3回にも満たない回数であったかも知れないが、それでも「ゲームグッズだけのお店」など他に存在しなかった当時は、まさにアーケードゲーマーの聖地であり、それだけに今なお非常に思い出深い出来事として心に刻まれているものだ。中古品中心と言えど、今で言えば秋葉原のBEEPなどは店内の広さも含め、それに近い雰囲気を醸し出しているので、そこを訪れる度に必然的にマルゲ屋の事も思い出してしまうと言うものだ。