英語が出来る人は頭が良いのか・その3 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

割と身近な人が「来年こそは英語を勉強しなきゃ」と呟いているのを聞いた。それはそれで個人の自由なのだが、問題なのは同じ事をかれこれ5年前から言い続けている事である。と言う事は、当然その間言い続けておきながら全く実行に移せていない、と言う事だ。

 

今はどうにもならないが、来年の何月にはどこどこへ行こう、とか言うのであれば今からプランを立てるのはわかる。しかし、英語の勉強は季節やタイミングとは全く関係ない。日本語話者にとって、英語を習得するというのは大変な時間と労力がかかる。だからこそ余計に、勉強しようと思うのであればそれこそ今この瞬間から始めてしかるべきなのである。

 

しかし、前述のようにその人は毎年同じ事を繰り返すばかりで、一向にまともに英語の習得を実行するには至ってはいない。おそらく、来年の今頃も同じ事を呟いているのであろう。

 

そして、実に3回目となる今回のお題である。前回でほぼ結論は出たのであるが、やっぱりノンネイティブ、特に言語間距離の関係から習得に大幅な時間がかかるとされるアジア系言語話者にとって、英語をマスターするのは簡単な事ではない。最近、YouTubeのビデオで、小学4年生で英検1級取得、中学生となった現在は普通話を勉強中でなおかつほぼ日常会話に不自由しないレベルというスーパー中学生が紹介されたのを見たか、それはあくまでも例外中の例外であり、普通の人間であれば脳内翻訳なしで英語の日常会話が出来るようになるまで、最低でも1年以上はかかるものだ。

 

今であれば、毎日出来るオンライン英会話なるものが存在するので、もう少しその期間は短縮出来るかも知れない。しかし、やってみると分かるのだが、毎日とは謳っていても、質の良い先生などそうそう毎日は予約は出来ないものだ。そこを妥協出来れば別であるが、レビュースコアが0.05ぐらいの違いであっても教師のレベルは如実に違ってくるので、そう簡単に割り切れるものでもない。

 

とは言っても、最初は全く話せずとも、1日50分のレッスンとして、最低週4回も受けていれば、半年後ぐらいにはその効果が出てくるものであり、とりあえず簡単な日常会話程度であればこなせるようにはなっていく。しかし、ある程度話せるようにはなっても、語彙力を身につけていかない限りいつまで経っても幼児レベルの英語しか話せない。もちろん、義務教育で英語が存在する以上、英語の語彙力が完全にゼロ、と言う成人の日本人は皆無であるとは思うのだが、当然皆が皆学生時代英語の成績が良かった、という訳では決してない。それどころか、苦手だった、という人の方が多いのではないだろうか。

 

私も最初はその一人であったのであるが、何故そうなのかと問われれば、単純に英語の勉強そのものが当時の私にとっては非常に難しいものだったからである。既出の通り、英語と日本語は言語体系そのものが全く異なるので、難しいと思うのが言わば当然なのである。で、今回私が言いたかった事と言えばまさにそれであり、ではその難しすぎる英語の壁を乗り越えるには果たしてどうすれば良いのか、のであるが、もちろん答えはひとつしかない。ひたすら勉強である。

 

正直、実際にフィリピンへ行くまでは、大多数の日本人と同じように、会話に文法力は不要、みたいなステレオタイプでいたので、ほぼ会話ばかりにフォーカスしていた。しかし、フィリピンに渡ってからは人が変わったように勉強し、全ての授業を皆勤したのはもちろんの事、毎日の宿題も欠かさず、授業がない土曜日ですら引きこもってディクテーションなどをしたものだった。

 

帰国してからはさすがにそこまでの環境は望めなかったし、英語の勉強ばかりにフォーカスともいかなかったので、ペース自体は落ちたものの、それでも英語のみでは理解しきれなかった文法を、日本語の文法書でカバーしたし、またiPadを購入してからは我慢してでもCNNやBBCなどの英語ニュースを読むようにしていった。正直、よくもまあ止めなかったものだな、と我ながら思うが、今こうして洋書やWikipediaを日本語を読むようにして読めるようになったのも、全ては毎日の積み重ねがあったからこそである。

 

で、最低でもTOEICを800以上記録した大抵の日本人、そして同じく漢字文化圏のノンネイティブの人たちも、おそらく自分と同じように大変な労力と時間を英語の勉強に費やしてきた事であろう。それだけの勉強量をこなせてきた、普通に考えたらイコール頭は良い、飛び抜けて良くはなくとも少なくともバカではないだろう。実際、TOEIC700以上の人たちは、総じて会話に知性が感じられたものであり、知性が低い事を証明する一つの項目である群れを好む、と言う人たちも概して少なかった。

 

前も触れたよう、「自分さえ出来たのだから」英語の習得は「努力すれば誰しもが出来る事」だとずっと思っていた。基本的にそのスタンスは今でも変わりはないのであるが、ふとこれまでを振り返った時、「これまで物凄い量の時間を勉強に費やしてきた」事にも気づいた。つまり、今でもたまに「どうやって英語をマスターしたの?」とか聞かれるが、答えはひとつ、学問に王道なしという事で、「ひたすら勉強」する事以外ないのである。もちろん、効率的なメソッド自体は存在するものの、英語の習得に「勉強」は避けては通れない事には全く変わりはない。つまりはNo study, no English.だ。そして、勉強する事自体、脳の活性化と知性や知識の向上にもつながる、結果として、「ノンネイティブの英語話者=頭が良い」と言う方程式が出来上がるという事だ。

 

他に英会話のみをマスターする方式として、かの有名な「スピードラーニング」なども存在する。前にも触れたよう、香港のMTRのアナウンスを繰り返し聞く度に、広東語や普通話の意味も分かってくるようになるので、メソッドとしては間違いではないだろう。しかし、それだけでは決して英会話は話せるようにはならない。インプットだけではなく、アウトプットも言語習得には重要な要素である事からなのだが、それ以上に「聞き流すだけ」という文句に釣られるような人間が、英語習得に必要な知性とモチベーションを要しているとは思えないからなのである。