初代プレイステーションについて語る・その2 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

本体発売後の5日後、遂に待望のグラディウス・デラックスパックが発売。当然発売日に購入したが、当時は今のようにダウンロードはもちろんネットショップ、それ以前にネット自体がまだまだ一般化する前の話であり、自身の足で購入に赴かなければならない時代であった。しかし、任天堂やセガと比べて、当時のSCEの流通は若干謎があり、かなり特定の店舗でなければ扱いはなかったのだ。

 

もちろん、近所でも扱う店はなかったので、結構自転車で遠出して普段馴染みのない店で購入した記憶があるが、とにかくそれでも無事発売日に購入出来た。内容はアーケード版と若干異なる面もあったが、少なくとも家庭用ゲーム機としては最もアーケード版に近い完成度を誇っており、初代のモーニングミュージックが聞こえた瞬間はそれはそれは感動したものだった。

 

その後も過去のアーケードゲームの復刻ものを中心に購入していったが、それだと再現性は高くとも、PSが本来得意としているポリゴンの醍醐味は当然味わう事はできない。そこで購入した初のポリゴンゲームは、これもアーケード版の移植ではあったものの当時の最新作であった鉄拳2だったかと思う。バーチャファイターと比べると大分イロモノ感が強かったが、それでもバーチャの代わりとしては十分遊べた。以降も何作か購入してプレイしていったが、自分的にはグラフィック以外の違いというのは良くわからないぶん飽きも早かったので、結局今でも一番やり込んだのはダントツで鉄拳2だ。

 

しかし、それでもやはりバーチャファイターがプレイできないというジレンマは消えなかった。そして、ローンチソフトとは言え極上パロディウスデラックスパックの出来にも不満を抱いていたので、それよりも出来が良いというセガサターン版に俄然興味が湧いてきた。結局、とうとう9月になってセガサターンを購入し、それからしばらくはそちらがメインとなり、PSとは疎遠になりがちとなってしまった。

 

ただ、世の中の趨勢は圧倒的にPSであった。言うまでもなく、FFVIIの発売が控えていたからである。当初は1996年の12月、つまりはクリスマス商戦真っ只中であったのだが、理由は分からないが翌年の1月31日に延期となった。そして、以前これほどの大作となれば発売日に入手困難に陥るのは普通であったのだが、ここでゲーマーにとっての救世主が出現。当時のスクウェアが中心となって立ち上げた、日本史上初となるゲームのコンビニ流通を実現させた「デジキューブ」である。

 

圧倒的な店舗数を誇るコンビニ、かつ大量生産が容易なディスクメディアともなればそれはそれは容易に予約が可能であり、なんの苦労もなく最も最寄りのセブンイレブンで購入を果たす事が出来た。V以前のドラクエなどは発売される度に行列が話題となっていったものだが、まさかそれから10年も満たない間に全て解決するとは思いもしなかったものだった。一般マスコミなどはそのような混乱を期待していたかも知れず、各局のニュースでも取り扱われもしたのだが、想像以上の静かな発売日に拍子抜けした事だろう。当のゲーマーらがそうなのだから当然である。

 

当然、PS本体の売り上げも一人勝ち。まだセガサターンの市場も確立はされてはいたのだが、前年に比べると売り上げやラインナップの勢いは明らかに落ちていた。だからと言って、PSにもクソゲーは少なくなかったのであるが、ユーザー的にはセーブデータの安定性などを考えても、同タイトルであればPSを選びがちになっていったので、そういう点でも明らかにPSが有利であった。ただ、FFVII以降はPSもしばらくビッグタイトルがなかった記憶があるので、この1997年と言う年は前年と比べたら業界全体の勢いが落ちていたと思う。

 

ただ、ロードの速さや2Dの強さからして、2Dのアーケードゲームの移植、特に格ゲーに関しては拡張RAMのおかげもあり、明らかにサターンの方が強かった。よって、1997年に関しての自分はほとんどサターンばかりを起動していた。それが1998年になり、再びPSを起動するきっかけとなったソフトと言えばRPGの源流である「ウィザードリィ・リルがミンサーガ」であった。

 

ファミコン版以来長らくプレイ出来なかった、待望の初期3部作の移植である。基本は国産PC版ながら、グラフィックとインターフェースはファミコン版準拠、そしてもちろんレスポンスの速さは史上最速レベルと、当時はもちろん、今の基準においても究極の初代ウィザードリィシリーズである事は間違いない。唯一の欠点と言えば、レベルが999でカンストしてしまう事ぐらいだろう。もちろん発売日に購入し、それはかつてファミコン版に熱中した如くやりこんでいったものである。

 

今でも十分遊べるレベルなので、出来れば現行機で移植してもらいたいものだが、著作者らの確執により移植は極めて困難な状態にあるという。のち、Windows版として発売されたPC98版ウィザードリィ・コレクションもすぐに廃盤となってしまい、今では相当なプレミア価格となってしまった。

 

1998年には早くもセガサターンは見切りをつけられ、年末にはドリームキャストが発売されたが、まもなくPS2が発表されるなどSCEの牙城を崩すには全く至らなかった。2000年には遂にPS2が発売するが、当時としては画期的すぎる後方互換性が搭載されたため、さらにドラクエVIIやIVのリメイクも初代PSとして発売されたので、以降もかなりPSのソフトはプレイしていったかと思う。2002年ぐらいになるとさすがにほとんどのソフトがPS2用として発売されていったと思うが、ちょうどその頃英語の勉強をし始めた事により、私のゲーム歴に空白が生じてしまった。そういう訳で、個人的には今でもPS2よりも、初代PSの方が遥かに思い出深いハードなのである。

 

その後、PS3でも後方互換性が搭載されたが、こちらはエミュレーションで動かしている影響か遅延が発生しており、加えて当時のアケコン自体にも遅延が備わってしまっていたため、シューティングなどはとてもプレイ出来る代物ではなかった。PS4用のアケコンになってからは飛躍的に遅延が改善されたのと、テレビのゲームモードの搭載により当初よりかは大分改善されたものの、それでも内部的な遅延がある以上これ以上の改善は望むべくもない。

 

一応、初代PS実機と、RGB接続可能なソニーのベガはまだ所有してはいるのだが、さすがに今更ディスクやメモカを入れ替えしてプレイする気は起こらないものだ。ポリメガという希望の光もあるが、それも多少の遅延が発生するようであるし、なんとかこの先も初代PSがプレイ出来る環境を用意してもらいたいものである。