今週、とうとう映画「鬼滅の刃 無限列車編」を鑑賞した。ぶっちゃけ言うと、先月16日の公開日まで鬼滅のきの字も知らなかった私であったが、さすがに初日から異常なまでの大ヒットを記録するともなれば気にならない訳がなかった。しかし、劇場版はテレビ版の続き、単行本で言えば7,8巻に当たるエピソードと言う事で、まずはそれから見始める事にしていった。
私はネットフリックスで視聴していったが、現時点ではAmazonプライムとHuluでも視聴する事が出来る。おそらく、ネットに精通している人であればどれか一つぐらいは加入しているであろうサービスであるはずだから、私と同じように映画版でその存在を知り視聴していった人たちも相当数に上がるだろう。この辺りがテレビ版の再放送や、ビデオなどのリリースを待つしかなかったエヴァンゲリオンの頃とは決定的に異なる点である。
ただ、正直最初の数話はあまりのめりこめず、また舞台は大正時代の日本とは言え、個性的な苗字や名前のキャラが多いものだから、漫画未読の私としてはその辺りでかなりつまずいた。なので、途中で挫折しそうになったのであるが、蹴鞠を使う鬼辺りからなかなか面白いかな、と思うようになりはじめ、そして善逸と伊之助の登場以降はすんなり最後まで完走出来た。そして、全話視聴後も少し流しで見ていた初期のエピソードも改めて見始め、そしてストーリーと登場人物への理解力をさらに深めるために日本人でありながら日本語字幕付きで鑑賞もしていった。
当然、26話終了後はすぐにでも映画館に行きたかったのであるが、日程的にすぐにとはいかずそれから1週間ほどかかってしまったのであるが、11月を迎えてようやく地元のイオンシネマの最大のスクリーンで鑑賞する事が出来た。知り合いの中にはすでに数人鑑賞済みの人がいたのであるが、うち一人の方が「大号泣」とまで言っており、ニュースでも同様の人たちが何人も居たのであるが、なかなかそのレベルまで行くと人間「本当にそこまで泣けるのか?」と言う疑いの感情も出てきてしまうのが必然である。「もし自分が泣けなかったらどうしよう?」とまで思ったものであるが、ふたを開けてみれば私も同様であった。
見てきた映画の本数自体大したことないので、自分の意見などは全く参考にはならないのだが、とりあえず自分が見てきた映画の中で実際に涙したと言えば、順不同に「力道山」「ロッキー」「42」「フォレスト・ガンプ」あたり、特に「フォレスト・ガンプ」も嗚咽レベルまで行ったほどなのであるが、正直この「鬼滅の刃 無限列車編」に関してはそれまでのどの作品も及ばないレベルのものだった。
映画を見て、ようやく原作の7.8巻以降も読めるようになった事もあり、その後すぐにkindleでコミック全巻大人買いした。これで完結まで一気に読める、と勇んでしまったが、コミック自体はまだ続刊中であり、12月に発売される23巻が最終だという。今から待ち遠しくてたまらないのであるが、それは他の多くの人も同様みたいで何と本屋では品切れ続出中だという。kindleで買えばいつでもどこでも読めるのに、と思わざるを得ないのであるが、クレジットを使えない子供たちはそれらを買うしかないし、また電子のデータではなく、これほどまでの作品であれば形に残しておきたい、と言う気持ちも良くわかる。
原作の無限列車以降はもちろん未アニメ化であるが、多少難解な部分もあるものの、それこそ一気に22巻まで読破してしまったほどの面白さであった。これなら大ヒットしたのも納得なのであるが、では過去のヒット作と比べて一体何が優れているのか?単純にストーリーが面白いのもあるが、個人的な意見としては、主人公の竈門炭治郎が登場せずとも物足りなくない個性的なキャラクターの魅力、どうやって技名を考えたのかと思わざるを得ない必殺技の数々、一見どうしようもない悪党の鬼ですら悲しい過去があるという切なさ、そして生きる事に対する強いメッセージ性がある、と言う事などが挙げられるのではないかと思う。
自分が知る限り、週刊少年ジャンプ発の漫画で、「日本人であれば知らない者がいない」レベルまで到達したのは正直「ドクター・スランプ」ぐらいであったかと思う。「キン肉マン」はほとんどが十代男子だったし、「ドラゴンボール」も最後まで非常に高い人気を誇っていたものの、高値安定過ぎてそれを超えた「ブーム」は巻き起こす事が出来なかったので、認知度は高くとも、とても「鬼滅の刃」レベルの社会現象にまでは至らなかった。
そういう訳でヒットの要因は多くあったのは間違いないが、それでもここまでの社会現象となる事を予見できた人はさすがにいなかったのではないかとは思う。しかし、アニメと漫画全てに目を通せば、少なくともこれは人気が出るのも納得だな、となるはずなので、私のように本来であればブームに背を向ける人たちも、食わず嫌いをせずに鑑賞してもらいたいものである。