2005年12月、PS3とWiiの発売に先駆ける事1年に発売されたのがXboxの次世代機となるXbox360である。当時はPS2でレトロゲームの復刻物を買う程度であり、正直おぼろげな記憶しかないのであるが、はっきりと覚えているのはマイクロソフトが「ハイデフ」と言う言葉をはやらそうとした事である。これだけでは何の意味だかさっぱり意味不明なのだが、なんのことはない、「High-Definition」の略、つまりはHD画質の事である。一応PS2でも1080i出力可能なゲームは存在していたのだが、正式にHDMI端子が採用されたのはこのXbox360が世界初であり、つまりは初めて世界で初めてHD画質に対応したゲーム機、と言うのをアピールしていたのだと思う。
しかし、今ではすっかりHDと言う2文字で意味が通るようになった事からもわかるよう、このハイデフと言う言葉は完全になかった事となっており、死語どころか幻の言葉のような存在となってしまった。普及しなかった理由としては、まず当時はHDテレビそのものが大変高価であり、まだまだアナログSDテレビがメインだった事から、Xbox360のポテンシャルが完全に活かせなかった事が挙げられる。それを裏付けるかのように、初期のモデルは何とHDMI端子そのものが本体に搭載されておらず、オプションの周辺機器が必要であった事が何よりの証である。
日本で家庭用ゲーム機の普及には、国産のRPGの発売が必須な事もあり、その辺りは鳥山明さん自身が出演したCMとして知られた「ブルードラゴン」などからも挙げられるが、正直この時の私はXbox360までに視野を広げられるほどゲームに関心はなく、その後の展開はほとんど記憶にない。2006年末にPS3とWiiが発売されると、案の定Xbox360は3番手に追いやられてしまった。
しかし、ここでマイクロソフトはかつてのゲーマーを取り入れる戦略を展開し始める。それが、Xboxライブアーケードである。最初期はさすがにパックマンやスクランブルなど、1980年代前半のゲームの移植に終始であったが、2007年ぐらいから次第にネオジオのゲームもラインナップに加わり始める。そして、2008年4月、突然、これだけで本体の購入を視野に入れさせるほどのキラーソフトが発売された。それが、トレジャーの伝説的シューティングゲームである「斑鳩」である。
さすがにNAOMIレベルの基板では、エミュレーターではなく純粋な移植であったと思われるが、それまでの大半がクラシックなゲームばかりなだけあって、この斑鳩の登場は非常に衝撃的であった。Wiiも早くから「バーチャルコンソール」と言う、ファミコンを始め、かつてのライバルであったPCEやメガドライブ、さらにはMSXのゲームまでプレイ出来るサービスが開始され、当然のように私も利用したのであるが、性能自体は大きく劣り、しかもSD画質、そして周辺機器で大きな差があったWiiでは、なかなか私としても本腰を入れる事はなかった。
そして、この斑鳩をきっかけとしてなのかは分からないが、この辺りからシューティングゲームの雄であるケイブの弾幕シューティングが続々と移植されていった。ストリートファイターの最新作であるIVは、PS3とXbox360のマルチで発売され、最初はPS3が大会でもメインで使われていったそうであるが、PS3版は格ゲーとしては致命的な入力ラグがXbox360のそれよりも大きく劣り、それが発覚してからはEVOなどでもXbox360版がメインとして起用され、格ゲーのメインコンソールとしての地位も築いていったのだ。
そしてかのウメハラ氏がマッドキャッツと契約した事もあり、Xbox360版用のアケコンも続々とリリースされ、シューティングにおいてもインプットラグが優れていた事もあり、格闘ゲーマー、シューティングゲーマー、そしてかつてのアーケードゲーマーの支持を大きく受ける事に成功、悲願であった日本でのシェアを大きく伸ばす事となったのだ。
私がPS3を購入したのは2008年8月、Wiiが2009年の5月、そしてXbox360エリートが2009年9月と、結局一番遅かった事は事実なのであるが、PS3はほとんどブルーレイ用、WiiはほぼVCオンリー、いずれもまともに新作を購入したのは片手で数える程度だったので、ゲーム自体の購入本数はXbox360がダントツでありメイン機が任天堂とソニー以外となったのは、セガサターン以来の事であった。また、購入時点でかなりの自分好みのゲームが出ていた、と言う事もあるが、もちろん購入のきっかけ、そして最初にDLしたソフトは斑鳩であった。
そして、斑鳩がリリースされたとなれば、次は「あれ」に期待をせざるにはいられなかった。トレジャーはアーキテクチャの違いから頑なに移植を否定し続けていたが、とうとう2011年9月にそれは正式にXbox360用ソフトとして我々の前に再度姿を現した。言うまでもなく、20世紀最大級の名作にして伝説中の伝説的名作である「レイディアントシルバーガン」である。唯一の家庭用版であるセガサターン版はあっという間にプレミアと化し、長年入手困難となっていた作品なだけに、世界中のゲーマーたちから大きな歓迎をもって迎えられたものだった。
因みに、Xbox360はディスクゲームもHDDにインストールが可能であった。PCと同様、ゲーム起動時にはディスク必須なためあまり意味をなさないように思えるが、この本体の欠点としてディスク回転時の騒音が異常なほど大きく、インストールなしではプレイ出来ないほど耳障りだったのだ。一応、ロードも早くなるメリットもあるので、おそらくほとんどのユーザーがインストールしてプレイしていったと思う。そのせいもあるのか、既存のゲームもダウンロードで購入できるゲームオンデマンドなるサービスも開始されたが、こちらは現在とは異なり、一部のソフト限定で、またパッケージ版からしばらく待たなければならなかった。
当時の私は形に残せるという理由からパッケージ版に固執していたので、ダウンロードで新作をプレイする事はほとんどなかったが、現在は完全にダウンロード主流となった事もあり、XboxOneXの購入をきっかけに、いくつか未購入だったシューティングゲームを中心にダウンロード購入していった。その中には怒首領蜂最大往生なども含まれていたが、パッケージ版はAmazonでプレミアム価格となっているので、3000円未満で購入できるDL版は非常にありがたかったものだった。
また、ハード購入当時はまだ大型のアケコンがなく、仕方なくマッドキャッツの猫版をセイミツに換装していったりしたものだったが、10月になりようやく初代白TEが発売されたので、一番安い業者から購入した。それでも16000円と言う、HORIの三和電子搭載RAPがまだ12000円ちょいで買えた事を考えたらえらい高い買い物ではあった、それだけの価値はある代物だった。しかし、当時の私はセイミツレバーにかなりの拘りがあり、すぐにそれに換装して使い続けていったものなのだが、近年は三和に完全に慣れ切っていったので、三和に再換装して使用し続けている。
翌年、HORIのプレミアムと通常版が発売され、両方購入したが前者は大きすぎ、後者はデザイン性とフォルムが今一つ合わなかった事もありすぐにヤフオクで売却した。しかし、2019年になってようやく知る事となったのだが、なんとXbox360のアケコンにも遅延の差が大きく存在し、TEは下から数えた方が早いのに対し、なんとHORIのRAPは史上最速レベルで遅延がないアケコンだったのだ。
それであわてて再購入し比較した所、確かに明らかにラグの差は感じた。これで白TEはお役御免となる予定であったのであるが、やはり長年使い続けた往年の名機だけあってそのままにしておくのは惜しい。と言う訳で、秋葉原の千石電商でUFBとケーブルを購入し、マルチアケコンとして生まれ変わる事に成功、貴重なOneのアケコンとしても活躍してくれている。
OneでもXboxの売りである後方互換性は継続され、その中には「斑鳩」も「レイディアントシルバーガン」も含まれ、さらにはM2による「バトルガレッガ」も発売されたため、Oneはこの伝説的3作がプレイできる世界で唯一のコンソールと言う事である。これだけでも買わない理由はないのであるが、やはり日本はRPGが主流であり、シューティングゲームの充実さだけでは他機種の牙城を崩す事は到底出来なかった。一応、現在ではシリーズ最多となる159万台を国内で売り上げた、と言う事であるが、ライバル機のそれと比べたら到底及ぶものではなかった。
これが尾を引いたのかどうかは不明であるが、Oneのリリースは完全に国内はやる気がなく、北米での発売から10か月ほど遅れるという体たらく。PS4も3ヵ月遅れだった事からも分かるよう、当時の日本では完全にポータブル機に主役が入れ替わっており、据え置きの時代は終わった、と言われるほど低調だったとは言え、さすがにこの調子では一般からはもちろん、ゲーマーからもそっぽを向かれる始末であった。
Oneについてもいずれ触れるが、せっかく360である程度のシェアを築いたのに次世代機でこのザマでは、少なくとも一度は360を愛した私としては非常に残念な結果に映ったものだった。360時代は、他の2機種はほとんど眼中にないぐらいにゲームと言えば360と言うぐらいにフォーカスしただけに、次世代は是非巻き返しをしてもらいたいものである。