初代Xboxを語る | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

新世代機の予約が早々と終了するなど、過去1番の盛り上がりを見せているのが2020年11月発売予定のXbox Series X/Sである。後方互換性と、基本性能の高さを考慮したら、個人的にはPS5よりもこちらの方が現時点では遥かに楽しみでもあったりする。ただ、Oneが日本では全く売れなかったため、今回もそれほどでもないだろう、とたかをくくっていたら、前述のようにあっという間に初回分は売り切れてしまったため、あいにく年内に購入できるかどうかは怪しい所となってしまった。

 

それはさておき、初代Xboxが日本で発売されたのは2002年の2月である。しかし、言わずもがなここ日本は任天堂とソニーのホームタウンであり、和製RPGが発売される見込みはないであろう初代Xboxに関心を示す日本人は多いとは言えなかったと思う。PCではWindowsが事実上のデファクトスタンダードとなっており、すでにマイクロソフトの製品群なしでは我々の生活は成り立たないレベルまで到達してはいたのであるが、だからと言ってゲーム機にまで関心を抱く人は多くはなかったのだ。

 

個人的には、PS2に関しては初代ほどやりこんだゲームは少なかったのではあるが、この2002年当時はまだゲームはコンスタントにプレイしており、特に当時プレミアム価格が付き始めていたセガサターンのゲーム収集にいそしみ、それこそ神奈川県内のゲームショップをあらかた探し回っていったほどである。ただ、そんな自分であってもXboxへの関心は低かった。確かに、私もかのビル・ゲイツ氏がわざわざ来日し、いいともにまで出演してXboxをアピールしていたのは記憶にあるものの、それだけでわざわざ4万円近いゲームハードを購入しよう、なんて思う人は皆無であろう。私自身もゲーム雑誌すら読んでいなかったし、Xbox関連で記憶にあるのはそのぐらいだ。

 

しかし、そんな私も3年後ぐらいになり、市内のノジマと一体型のソフマップで中古で6000円弱ぐらいになった時に購入した。洋ゲーが中心な初代Xbox、特に欲しいタイトルもなかった自分が何故購入したか、それはずばりエミュレーターの存在である。PentiumIIIベースの733MHz、64MBのメモリを積んだ、当時としては最高のスペックを誇った初代Xbox、これはちょっとした2000年前後のPC並である。当時エミュレーターと言えばほぼPCオンリーであったが、それでも今は懐かしきドリームキャスト専用のBleem!などが秋葉原で出回っていた。当然、DCよりも遥かに高性能である初代Xbox、これをエミュレーターとして使えれば最高なのに、と思わないはずがない。それは世界中のゲーマーたちもそうだったようであり、そしてそれを具現化してくれたのがEvolutionXである。

 

XboxでMAMEをはじめ、ファミコン、PCE、メガドライブのソフトが家庭用ハードで動く。これはまさに夢のハードであるが、さすがにちょっとした内部改造が必須であり、機械素人には敷居の高い導入であった。しかし、世の中にはそれを生業としている人たちも居る訳であり、ヤフオクで持ち込みの改造を請け負ってくれている人たちがいたのだ。当然、利用しない手はないので、これでめでたく自身のXboxもEvolutionXが可能となったのだ。

 

初代のHDDはわずか8GBであったが、レトロゲームの容量を考えたら十分である。当然、プレイにはアケコンも必須であるが、偶然ソフマップでPSコントローラーが使える変換機を購入して事なきを得た。今であれば変換機イコール遅延は避けられないのであるが、当時はまだゲーム独自端子を使用していた事、そして遅延ゼロのブラウン管テレビの時代だった事もあり、違和感は特に感じずプレイ出来ていたと思う。よって、これで長年の夢であったコンソール機でエミュレーターをプレイする、が実現出来たのだ。

 

しかし、エミュレーター用のPCではPentiumIVの2GHz以上が当たり前の時代、さすがに初代のCPUでは力不足を感じる事はままあった。また、MAMEでは480iまでしか出力出来ないので、1080pまで表示出来たXboxであってもSD画質でしかプレイする事が出来ず、操作性の面もあり少なくともMAMEに関してはいまひとつ利便性は低かったように思う。その反面、コンソール機ではHD画質が可能であり、もちろん速度も完璧であった。

 

肝心の専用ゲームは、1本だけ購入した覚えがあるもののほとんどプレイする事はなかった。次第にゲーム自体もやらなくなり、さらにやたらと本体が巨大なだけあって次第に邪魔にもなり、コンソールで正式にレトロゲームがリリースされるようになると物置行きとなってしまったが、以上のように個人的には初めて実用化レベルのエミュレーターを積んだコンソールと言う事で、記憶に残るハードであった。