クローズアップ現代〜新日本プロレス特集 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

去る2018年7月19日、かのNHK、クローズアップ現代において、何とプロレスの特集がなされた。一応お堅いイメージのあるNHKではあるが、大河ドラマには多くのレスラーが出演、ラジオではかつてプロレステーマ曲オンリーの企画なども放送するなど、意外とプロレス好きな一面もあるのは通なら知るところ。

 

しかし、放送形態は変化しつつも、今回はクローズアップ現代という看板番組で丸々プロレスの特集、しかも22時からとなれば、その待遇たるや破格のもの。業界にとってもファンにとっても光栄な事である事には間違いはなかった。

 

そこで焦点となったのが、「なぜ今プロレスなのか」と言う事だ。ゲストである3人はそれぞれのプロレス感においての思いを熱く語ってくれたが、個人的には核心に触れているとまでは思えなかった。何故そうなのか、その自分の思いを綴ってみようと思う。

 

長年プロレスを見ている自分にとって、新日本プロレスの凋落の理由と言うのは容易に思いつく事が出来る。まずはやはり、90年台半ばからの格闘技の台頭だ。かつて、常に八百長と言う言葉と闘って来た我々にとって、最も溜飲が下がる瞬間と言えばプロレスラーが他の格闘技に勝利した瞬間だ。しかし、今では多くの人がご存知のよう、極一部を除けばそれも全てプロレスであった。しかし、93年11月の黒船UFCをきっかけに、プロレスラーは否応無くリアルファイトの上に立たされる事となり、連戦敗北を喫していた。それは後、桜庭和志という一人のヒーローが我々の屈辱を晴らしてくれる事となったが、それは皮肉にもPRIDEの人気にさらに拍車がかかっただけであり、さらにはどういう訳か新日本のオーナーであるはずのアントニオ猪木までもがPRIDEのエグゼクティブプロデューサーに就任、結果大衆の興味は完全にそちらに移り、プロレス業界は完全に客を奪われる格好となってしまったのだ。

 

その流れにあせったか新日本、リング上では藤田や安田にスポットライトが当てられ格闘技風プロレスを展開していくが、結局はプロレスである以上本物にかなうわけがなく結果的にプロレスへの偏見を助長するだけとなってしまった。さらに、レギュラー枠ならまだしも、「負けたら引退」の高視聴率を受けてのゴールデンタイムでの放送でその茶番劇を披露するはめとなってしまい、余計に世間に与えたネガティブイメージは大きいものとなってしまった。以上のようにPRIDEの台頭と、その流れに下手に迎合してしまった新日本の自爆がまずは大きな要因として挙げられる。

 

そして、やはりは何と言っても2001年12月に、元新日本プロレスのレフェリーであったミスター高橋氏が突如として出版した業界最大の暴露本、「流血の魔術、最強の演技。すべてのプロレスはショーである」だ。これは発売前から2chでも話題沸騰であり、私も発売日にすぐに購入したものだったが、「プロレスの勝ち負けはあらかじめ全て決まっている」という、「そうかもしれない」と思っていたけども、「そうではないと信じたい」と言う自分を含むファン心理に、決定的なダメージと失望感を与える事となってしまった。

 

本人は「これ以上隠し通すのは無理だし、WWEも映画を通じてカミングアウトしているのだから、あくまで業界への提言」と綺麗事を言っていたはしたが、今でこそ一理あるしそれは正しかった、と思える節もあるものの、当時としては業界を干された側の恨みつらみによる暴露本、以外の何物でもなかった。

 

もちろん、新日本を始め業界は完全黙秘を決め込んでいたが、時系列に微妙な部分こそあれ「勝敗が決まっている」と言うのは動かしようのない事実であるし、それを分かっていながらプロレスに夢中になれ、なんて出来る訳もなかった。

 

それ以外にも度重なる分裂や、アマレス勢を優遇したばかりに華にかける連中ばかりがトップになってしまうなどの要因もあったが、やはり大きな理由としては前述の二つに尽きるだろう。当然、私もその間は一応テレビが見れる時はチェックはしていたものの、PRIDEのように録画するような事は一切なく、興味は完全にPRIDEへと移っていきプロレスへの愛情はほとんど薄れてしまっていたものだった。

 

その間、別の流れとしてはWWEが次第に日本でも評価され始めていき、2003年には深夜放送ながらフジテレビが放映を始めるなど、その結果ロウとスマックダウンの日本公演が実現、という所まで行ってしまったが、それでも2005年を持って放送は打ち切り、日本公演も空席が目立つようになるなどブレイクを果たすところまでは行かなかった。

 

それでも、WWEのディープなファン以外にとってもその存在はプロレスファンの心の拠り所だった。まず、いくら日本ではPRIDEやK-1が人気だったとは言っても、すでに世界120カ国以上で放映され地球規模的な存在となっていたWWEの規模には到底及ぶものではなかった事。そして、歴史上最大のスーパースターのひとり、ザ・ロックがハリウッド俳優としても大成功を収めていた事。当時はもちろん、今もなお格闘技界から100億を超える額を稼ぎ出すハリウッド俳優などは誰一人として誕生していないだけに、「著名なハリウッド俳優のひとりが生粋のWWE出身」と言うのはファンにとってはなんとも誇り高いものだった。

 

そして、「ビヨンド・ザ・マット」などをきっかけとして、WWEのレスラーもストーリーラインなどを平気で語るようになった事から、「プロレスは台本ありき」という大前提を理解した上でファンは楽しんでいた事。実はこれはかなり大きい。つまり、ミスター高橋の言う通り、八百長と言うのは「勝敗を争う競技である事を絶対条件とした上で」成り立つものであり、そうでないプロレスにおいてはその言葉は当てはまるものではないからだ。

 

もちろん、実況やリングの上では勝敗が決まっていないという前提なので、それであれば八百長と言われても仕方ないかも知れないが、「ファンがそれを知った上で見ている」だけでも全然違う。つまり、一般人は今だにファンは信じていると思っているので、八百長という言葉を使えば馬鹿に出来ると信じ込んでいる。なのに、「そうだよ、だから?楽しければいいじゃん?」と返されたら相手はどう思うか?おそらく予想外の返答に黙り込んでしまうだろう。つまり、21世紀の今となっては、我々ファンがそういう人たちを逆に「21世紀にもなって昭和の常識に凝り固まっている知的レベルの低い馬鹿な人間」と認定する事が出来るのだ。

 

実は、数年前に以前いたお店の年配スタッフから八百長と言う言葉を吐かれた事がある。その時は前述のよう、まさか2015年になってそんな発言をする人がいるとは、と固まってしまい反論する事は出来なかったが、所詮昭和の常識にこり固まり、ネットも使えない新しい知識を受け入れる余地もない老い先短い老害の知的レベルなどそんなものなのだろう。猪木や馬場、ブッチャー程度しか知らないであろう老害に今の現状を説明した所で理解出来るはずもなく、したところで時間の無駄なのだから。

 

そして先述の格闘技ブームに話を戻すが、盛者必衰のごとく栄華は長くは続かなかった。2006年に、黒社会との発覚を恐れたフジテレビが突如としてPRIDEの放送を打ち切り。なんとか興行は続けるもスケールダウンは否めず、選手はどんどんUFCに引き抜かれ、翌年遂に解散。分裂後もTBSなどで放送は続けられるも、新たなスターを生み出せないとなっては視聴率は低迷、2010年頃にはゴールデンの大晦日も撤退と、あれほどの栄華を誇った格闘技の終わりは儚かった。

 

実は、この失敗も高橋本とファン意識の変化に触れずには居られない。業界に大ショックを与えた高橋本ではあるが、その反面ファンに対して「プロレスと格闘技は異なるもの」という認識を決定的に植え付けたのは大きかった。つまり、プロレスラーが格闘技に挑む事に対しての意味も価値もゼロとなってしまったからだ。つまり、結果的に言えば高橋本は一時的にはプロレス業界にダメージを与えたが、長い目で見れば格闘技界においてのデメリットの方が遥かに大きかった、という訳でもあったのだ。

 

しかし、それでもなかなか新日本プロレスの興行成績は向上とはならなかった。当時既に棚橋や中邑はもちろんの事、内藤哲也もデビューを果たして居たが、ぶっちゃけど深夜の放送のみでは世間に届くはずもなく、一般人はおろかかつてのファンにさえプロレスを見ようというきっかけがなかったのだ。

 

それが大きな転換を迎えたのは、もちろんブシロードが買収した2012年だ。大のプロレスファンである木谷会長は、持ち前の資金力を駆使してこれでもかと言うぐらいに世間に発信しまくる。1日何百万人が利用する山手線や、新宿駅にラッピング広告を展開したのがまさにそれだ。当時、世間一般に届くような新日本のレスラーは皆無に等しかったので、個人的にはこっぱずかしささえ覚えてしまったが、実際それでファンになった人も居たようであり、その宣伝効果というのは計り知れない。

 

もちろん、番組で触れられたように暗黒時代でも必死にプロレスを広めようとしていった棚橋選手の功績は大きい。ただ、正直個人的な感想を言ってしまうと、ちょうどブシロードと同じタイミングで凱旋帰国を果たしたオカダ・カズチカの存在を抜きにしては語れない。いわゆるイケメンでさらに高身長、そして当時24歳という若さと抜群の身体能力、まさにプロレス界待望のスターとも言えたオカダ・カズチカの存在は、長年プロレスから離れて居た我々にとって「お?なんか凄い奴が出てきたぞ」と、再び目を向けさせるには十分すぎるほどの逸材だった。

 

そして、我々は改めてプロレスの偉大さに気づく。確かに、完全なガチンコ勝負であったPRIDEやK-1の迫力と興奮は、プロレスのそれを遥かに凌ぐ事もあったのは間違いはない。しかし、その反面判定やレフェリーストップなど、フラストレーションの溜まる結末が多かった事も否めない。さらに、勝敗が全ての世界だと当然の事ながら勝利のみを追求するスタイルになる事は避けられず、その結果最初から最後まで似たような展開に。アマチュアならそれでいい、しかし彼らはプロ、興行におけるプロフェッショナルの広義として「来てくれた客を必ず満足させて帰さなければいけない」と言うのがあるが、これでは所詮良くてセミプロの枠を抜け出すには至らない。

 

対してプロレスはどうだ。確かにプロレスは勝敗は決まっているし、その点における緊張感は格闘技に軍杯が上がってしまう。しかし、プロレスラーにとっての全ては「見にきてくれた客を必ず満足させて帰す事」が全てだ。特に、暗黒時代を経験してきた今の新日本のレスラーたちは、「ここで良い試合を見せないと次は来てくれない」と言う意識が以前と比べると物凄く強い。その結果、ここ数年は日米認定のベストバウトを独占してしまうぐらい、新日本プロレスの試合はいつの間にか世界で最高峰の舞台となっていった。「格闘技は失望する事も多かったが、プロレスは必ず興行を盛り上げて、我々を興奮させ、次もまた見に来よう」と、格闘技の隆盛における長年の暗黒時代を経ながらも、ようやく我々はプロレスの本当の素晴らしさを理解するに至ったのである。

 

これまで、新日本プロレスは公式にはプロレスの真実を公にはしていない。しかし、プロレスである以上世界のどこに言っても一緒、WWEも新日本もプロレスのなんたるかは同じだ。正直、新規のファンがどれぐらいプロレスの内情を知っているかは分からないが、これだけネットが発達した時代なんだからいずれ真実を知るだろう。でも、知った所で関係ないし、世間が八百長と言った所でそれはもう頭が致命的に悪い人間の発言にしか過ぎない。

 

つまり、冒頭の「なぜ今プロレスなのか」と言う私としての結論は、「プロレスというものの本質を分かった上で、つまりは団体側もファンも開き直った上でプロレスを提供し、そして楽しんでいる事。オールドファンにとっては、一旦格闘技に浮気をしながらも、紆余曲折を経てやっぱりプロレスは素晴らしいものなんだな、と再認識した事」という事になりますね。