私的プロレス名勝負論 | ONCE IN A LIFETIME

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フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

今さらではあるものの、昨夏に宝島社より発売された「プロレス黄金時代名勝負ランキング」なるムックを買った。実は去年ぐらいに書店で立ち読みしたのだけれども、1位が表紙にもあるようになんと「猪木VSアリ」であり、確かに歴史的意義を考慮すればありかも知れないが、純粋にプロレス名勝負として考えた場合、私的にはそれはどう考えてもありえない話であったので、迷いつつも購入を見送った。

 

しかし、最近思い直し、以下のランキングはそれなりに納得がいくもの、そして視聴率もあった事から資料的価値があると踏んだ私は、上記のようにAmazonで購入に至ったという訳。ランキング好きな日本人、この手のものはプロレスに限らず至る所で見られるが、単純にファンや一般人が選ぶとなると、コアな人間にとっては「それはないんじゃない?」と思えるものが多く、個人的に納得がいくようなものはほとんどない。が、プロレスの場合は大半がマニアであり過去の名勝負や歴史などもそれなりに承知であるので、他ジャンルに比べたら至極まともな傾向にあると思う。

 

それでも、一般人が選んだとなればやはり限界もあり、何よりノーテレビやビデオ販売されていない試合がほぼ排除されている事。その筆頭が、今なおアントニオ猪木史上最高とも謳われる東京プロレス旗揚げ戦の「アントニオ猪木VSジョニー・バレンタイン」や、力道山ですら引き分けに持ち込まれたルー・テーズに完全勝利した「ジャイアント馬場VSルー・テーズ」などが挙げられると思う。特に、前者においては識者が選んだ場合必ずやトップテンに挙げられる事は間違いないぐらいなのだが、いかんせんノーテレビで当然フィルムも存在しないため、動く試合を見た人間は当時実際に国技館に居た9000人程度しかいない。当然、50年以上前の試合の事、どれだけの人たちが今なお健在なのかも分かりかねるため、いくら伝説的名勝負とは言っても、さすがにYouTubeなどで過去の名勝負が簡単に観られる今となってはランクインなどするはずもない。

 

まあその点を抜きにすれば、前述のようにそれなりに納得できる結果であったのも確か。しかし、当然の事ながら、猪木VSペールワンなどを除けばその全てが国内で行われた試合であり、WWEやWCWの試合などは一切含まれていない。日本人が選んだのだから当然と言えば当然なのだけれども、まさに個人的に忘れがたい試合のいくつかがそのWWEのリング上での試合であるので、それをここで触れていきたいと思う。

 

その試合とは、何と言っても1991年のレッスルマニア7における「アルティメット・ウォリアーVSマッチョマン・ランディ・サベージwithマネージャーのクイーン・シェリー」の両者の引退を賭けた試合。当時のストーリーラインは良く分からないものの、ウォリアーは絶対的なベビーフェースでサベージがヒール、と言う図式は間違いなく、サベージがサージャント・スローターのWWE王座の戴冠を手助けするなどの散々な嫌がらせを行い、レッスルマニアで決着、と言う流れだったと思う。

 

もちろん、当時の日本ではWWEをリアルタイムで映像で見る環境はなかったものの、前にも書いたように新日本プロレスとの業務提携解消後は、日本語版でPPVのビデオをリリースしたり、WWE日米レスリングサミットの開催、そしてSWSとの業務提携開始と、いつか行うであろう日本侵攻の準備に余念がなかった。WWE公認のビデオゲームも、アーケードを筆頭にファミコン、メガドラそしてスーファミまでリリースされていったが、当時はファイヤープロレスリングこそ大人気だったとは言え、日本の団体が公認する実名ゲームは存在せず、その点でもWWEは未来を行っていたのだ。

 

そういう訳で、プロレス好きはもちろん、ゲーム好き、つまりほとんどの十代の男子学生などは、WWFの名前ぐらいは聞いたことがある、ぐらいの知識は持っていたと思う。そのぐらいWWEは真剣に日本市場を重視していたので、ファンである自分も当然ゲームや、そしてPPVビデオを借りたりしていたものだった。

 

そして、プロレスを見始めてすぐぐらいに発売したゴングの増刊の最後に、レッスルマニアの特集がされていたので、運よく学校帰りのレンタルビデオ店にWWEのビデオがあった事から、定期的に借りて観るようになっていった。記憶にある限り、初めて見たPPVのビデオは、レッスルマニア6だったと思う。つまり前年の。理由は覚えてはいないが、メインが「ハルク・ホーガンVSアルティメット・ウォリアー」と言う超スーパーヒーロー対決がきっかけとなったのは間違いない。

 

手四つ組んだだけで6万人が揺れるほどの大歓声、さすがに日本人では到底真似できない、筋肉とカリスマ性に溢れたアメリカンプロレスならではの光景に憧れを抱いたものだったが、個人的にそのビデオで一番印象的だったのはジェイク・ザ・スネーク・ロバーツの本家本物DDTが見れた事に尽きた。犠牲者はミリオンダラーマン・テッド・デビアスだったが、かけたのは試合後、つまりデビアスが反則勝ちのこの試合中にかける訳には行かない、しかしDDTを見ずにファンが納得いくわけがない、と言ういかにもプロレス的事情が垣間見えていくのが面白い。

 

前振りが長くなったが、そこでWWEに興味を持った自分が次に借りたのが、本題のレッスルマニア7だ。16000人規模の会場と、前年に比べたらスケールの小ささは否めなくなったが、内容自体はレッスルマニア史上屈指の大会だと今なお思っている。元々はオリンピックスタジアム開催だったらしいが、「フセインに魂を売った」ギミックのサージャント・スローターと、湾岸戦争を利用したWWEのビジネスに大きな非難が集まったが故、会場の警備が困難になったための変更、と言うのが表向きな理由で、実際に私も長年信じていたが、何のことはない、チケットの売れ行きが芳しくなかった、だけの事らしい。

 

しかし、前述のよう大会は白熱、その筆頭が私個人のベストバウト、ウォリアーVSサベージだ。ウォリアーは一般的には「塩」、いわゆるしょっぱいレスラーとされており、それは同業者からもそう思われていたようなので、試合を作っているのは試合後者のサベージと言う事が分かる。しかし、お互い今のレスラーのように派手な技は持っておらず、脳天落下系などもってのほか。ほとんどがエルボーやラリアット、ボディスラムなどで進んでいくが、それでも我々の目を離さずにやまない。二人の持つ圧倒的なスター性と輝きがあってこそなのかも知れないが、近年の新日本プロレスの危険技オンパレードを見ていると、決してその手の技だけが観客に興奮をもたらすものではない、と言う事がこの試合だけでもはっきりと分かる。

 

また、前述のようにウォリアーは塩と認識されており、特に日本のプロレスこそ世界最高と信じ切っている当時のプロレスファンにはその傾向が何よりも強かった。確かに試合がワンパターンに陥りがちだったかも知れないが、あの圧倒的な筋肉と、ハンサムな顔にペイントを施したスター性とカリスマ性は他を圧倒していたし、2014年に急逝した時のCNNやBBCの扱いの大きさからしても、間違いなく観客動員に貢献し、子供のファンまでも熱狂させた、まさにWWE史上に燦然と輝く大スターであった事は間違いない。多くの客を呼び感動させる事が出来るレスラーこそ超一流、その観点で言えばガチンコで強いとか弱いとか子供じみた論議にしか過ぎないのだ。

 

そして試合は、ウォリアーが完全勝利し、サベージとの引退へと繋がるのだが、ルール的にはマネージャーのセンセーショナル・シェリーも追いやられる事になっていた。それに激怒したシェリーが、大の字になっているサベージを蹴りつけ、それに激昂したストーリー上では破綻した事になっているエリザベス夫人が救出、我に返ったサベージとリングで何やら話し合う、と言った展開に。

 

ほどなくして抱き合い和解、敗者であるはずのサベージのテーマ曲である「威風堂々」が流れるなか、エリザベスを肩車、そしてリングを降りていく、と言う場面になるのだがこここそがこの大会の最大のハイライト。最初はエリザベスが先にロープを持ち、サベージを促すのだけれども、ここでサベージが手を交差し「それは違う」とアピール、エリザベスの手を持ちロープから離すと、サベージが大きくロープを開きエリザベスをリング下へ。

 

当然、場内は大歓声、私もまだ15歳ながら、「これが女性を立てるアメリカのレディーファーストか」を目の当たりに涙腺崩壊、今思い出してもはっきり情景が浮かぶほど、当時の自分の胸には大きく刻み込まれたのだ。もちろん、これもプロレス上のアングルであり、いわゆる「作られたお話」ではあるものの、前にも書いたようそんなものはどうでも良く、とにかく「来てくれたお客さん、そしてテレビの前の数千万のファンを満足させる事」が全てのプロレスの原点、と言うのを満天下に示してくれた。そしてあれから27年、このリングを彩った4人の主役は、もはや、誰もこの世に居ない。