プロレスに興味を持てば必然的に入場曲にも関心を抱くと言う訳で、当然私もそのひとり。初めに関心を持ったのは当然最初にファンになった小学生の頃でしたが、当時良く発刊されていた子供向けの本の一部に、著名レスラーの入場曲かつレコードの番号まで掲載されていたものの、さすがにそれを調べてひとりで買いに行く、と言う事はなく、そもそもレコード屋自体当時の行動範囲内には存在しなかったので、そういう訳で第1次ファンの時に買う事などは一切ありませんでした。
しかし、毎週中継を見ていた事から当然テーマ曲は自然と覚えていきました。もちろん、新日全日、そして世界のプロレスと観ていましたが、まあやはりその大半が鶴田、天龍、ハンセン、ブロディなどの全日系ばかり、新日本とはと言うと精々猪木の「炎のファイター」ぐらい、後はジャパンに移籍した長州とそのぐらいで、後は全く記憶には残っておりません。
新日本の20周年のアルバムのライナーノーツにおいて、「テーマ曲と言えば全日本、日テレの方がセンスが良いと思われているが、私としてはやはり新日本、テレ朝の方が云々」などと言うくだりがあったものの、正直それは新日本派の戯言に過ぎず、普通の感覚を持っていてしたら、やはり日テレの方が圧倒的にセンスでは上回っていた事と思ったでしょう。
もちろん、初のテーマ曲は国際プロレスとされていますが、日本における事実上のテーマ曲のパイオニアは言うまでもなくミル・マスカラスの「スカイ・ハイ」であり、もちろん日テレによる選曲ですから、その後のスピニング・トーホールドや吹けよ風、呼べよ嵐、そしてJやサンダーストーム、移民の歌にサンライズ、今なお語り継がれるこのラインナップによって、日テレこそがテーマ曲の最先端を走っていった事に疑いの余地はないでしょう。
ただ、そのパイオニアであるはずのミル・マスカラスは、私が見始めた頃は来日が途絶えており、一応翌年に再来日を果たしたものの、マスカラスブームなどはとうの昔に去っており私も実際のファイト内容を見て急激に冷めたため、あくまで「歴史上に置いての後追い」のような感じであり、リアルタイムにおいては上記の楽曲の方が遥かに思い入れが深いのであります。
しばらくプロレスから離れ、90年代から再び観るようになって、高校になって初めて出来た友人がたまたまプロレスファンでカセットを貸してもらった事をきっかけとして、そこから私のプロレステーマ曲収集人生が始まりました。
当時は武藤敬司の大ファンでしたから、やはり「HOLD OUT」が入っているCDが欲しかったので、まずはキングレコードのタイトルもそのものずばりな「新日本プロレス」を購入し、イコールそれが、私の人生における初めてのプロレスのCDと言う訳でもありました。
しかし、ワクワクしながら聞いてみると何か違う。長州力のパワーホールや、ライガーの怒りの獣神などははっきりとオリジナルと分かったものの、後の三銃士や馳のテーマは明らかに会場使用音源とは違う。そこで、もうひとつプロレステーマ曲を発売していたビクターのCDを買い、それは三銃士そして藤波辰爾の音源も完全に会場と同じだったのですが、他の全日系、馬場や鶴田はやはり違う。
しばらくして、日テレ系のVAPから当時の全日本プロレスの日本人のみのテーマ曲をまとめたCDがリリースされましたが、こちらは馬場や鶴田、そして当時新曲に変えたばかりの川田利明はオリジナルだったものの、三沢のスパルタンXは別物と言っていいぐらい違う。
これは当時15歳の私にとってはなかなか謎が解けなかったのですが、理由は単純明快、オリジナル音源を持つレコード会社がそれぞれ違うから。まあ至極当たり前なのですが、これはまだ団体によって音源が管理なされていなかった時代、ファンにとっては必ずぶつかった問題であり、この「オリジナルは数曲で後はほとんど偽物のカバーバージョン」と言うCDの量産には本当に悩まされ、怒りを覚えたものでした。
常識的に考えれば許されざるを得ない事ですが、何故か当時はまだこの手のCDがはびこっており、平然とCD屋で売られていると言う信じられない時代でした。しかし、さすがにそんな阿漕な商売が長く続く訳はなく、93年ぐらいになるとその手のCDはほぼフェイドアウト、各社が出来るだけオリジナルのみを集めたCDをリリースしていくようになりました。
ただし、若干ですが例外もあり、VAPがリリースしていた「全日本プロレス大全集」は非常に出来が良く重宝し、さらに天龍やカブキはその出来の良さからカバーバージョンでありながら新日本プロレスの会場で使われたほどでした。ただ、ロードウォリアーズ用に作られたと言われる「ストーン・ウォリアー」は未だ謎多き楽曲ですが。言うまでもなく、ウォリアーズのテーマ曲と言えば言わずと知れた「アイアンマン」であり、WWEの一員としてSWSのリングに上がった時も、WWE用ではなくアイアンマンで上がったほどですから、もちろん前述の曲が流れた事は一度足りともないはずです。
閑話休題。1993年春頃、切手を送れば全日本プロレスがテーマ曲の一覧を送ってくれる、と言うので、私もそのサービスを利用した事があります。そして無事、入手出来たのですがいやらしい事に、入場曲の大半はリミックスや効果音が入っており、当時全日本の絶対的エースとして君臨していた三沢光晴のスパルタンXも例外ではありませんでした。
当時、その会場使用音源がどうしても欲しかったのですが、ビクターから発売されているのは映画で使用された素のオリジナル音源のままであり、結局会場使用音源は何と全日本が分裂寸前の2000年まで待たなければなりませんでした。
新日本も、G1クライマックス93のぴあ増刊で、ようやく一覧表が掲載されましたが、当時新日本の選手はほとんどが鈴木修氏作曲のオリジナル曲ばかりであり、キングとビクターに分かれていた事はガンではあったものの、入手自体は全日本よりも遥かに容易いものばかりであり、個別なCDを買ったのはヘルレイザーズが使っていたオジーオズボーンのCDや、マサ斎藤とスコット・ノートン使用の「オーバーザトップ」サントラぐらいだったような気がします。
そして、当時入手困難だった曲のひとつに、日本一有名なテーマ曲とも言えるアントニオ猪木の「炎のファイター」のオリジナル盤がありました。レコード番号も判明しているのですが、当時は未CD化でレコードのみ、しかも版権元がプロレステーマ曲とは程遠い東芝EMIでリリースは期待できず、こちらはウッドベルの手によりCD化されるまで5年以上、「日本一有名ながら非常に手に入りにくい」入場曲として知られていたのです。
また、テレビ放送とは異なり、ビデオに関しては当然同じレコード会社の音源しか使用出来ないので、最初の東京ドーム以降の新日本プロレスの大会は、全ての入場曲がフリー素材に差し替えで販売されていました。これも最初は事情が分からなかったので、あっけにとられるばかりでしたが、この辺りも市販ビデオよりも録画が好まれる理由であり、様々ルートで流通していったきっかけだったのだと思います。ただ、80年代まではまだ緩かったようであり、猪木藤波のフルタイムなども、そのままの状態で観る事が出来ました。また、グレート・ムタや個別のレスラーにフォーカスを当てたビデオなども、JASRACのステッカーがあるように著作権をクリアしてムタの入場のみオリジナルが流れる、と言うものもありました。
95年、蝶野がテーマ曲を変えたぐらいから新日本のテーマ曲は全てウッドベルから発売される事になり、そして前述のようとうとう「炎のファイター」のオリジナルも初CD化、ビデオでもウッドベル版権のものはそのまま流れるようになっていきました。が、確かに名曲もありはしたものの、やはり日テレが既存の曲から選曲していった楽曲と比べるとどうしても物足りなさを感じ、私自身プロレス自体に少し飽きが生じ始めた事もきっかけとして、その辺りでしばらくプロレスかつテーマ曲からも離れる事となりました。
それでも新日本の特番などは見ていたので、完全に見なくなった訳ではありませんでしたが、そんな頃にCD屋に足を運ぶと「プロレスQ」シリーズなる見慣れないCDが。しかしプロレスをうたっていても選手名はなく、正体不明の存在に購入は憚れましたが、これが2000年前後ファンを狂気させたプロレスQシリーズの初印象。キングレコード所蔵の音源はもちろん、他社から音源を借りてまでオリジナル収録に拘り、その中には長年マニアを悩ませた「移民の歌」のインストバージョンや、未CD化の「マッチョ・ドラゴン」入場インストバージョンや、かつて何度も偽物のカバーをつかまされた自分にとってはまさによだれ物のの一品だったのです。
しばらくの間は次はどの曲が入るのだろう?と常にワクワクさせてくれたものですが、しかし自分が存在を知った時にはほぼ有名曲は出そろっていたため、知ってからリリースされたものは結局買う事はありませんでした。しかし、私にとってはテーマ曲CDの金字塔だと思っていますし、本当にキングレコードと担当の大槻さんと、元週プロの小島さんには頭が上がらない思いです。
そして、時は遂にインターネット時代を迎えると、数曲合体や効果音アレンジ、そしてボーカルカットなどでどうやても既存のCDでは不可能であったはずのテーマ曲らが、「あの手この手」を使い、とうとうPC上で入手出来るような時代となってしまいました。もちろん、テーマ曲を網羅しているサイトも複数あり、CD屋をしらみつぶしに歩き回ったあの時代を考えれば、テーマ曲マニアにとってはまさに夢のような時代が訪れたのです。
それでも、ネット上で「探し回る」事は多少のスキルと知識が必要でありましたが、近年では「YouTube」や「ニコニコ動画」で検索すれば出てしまうという時代に。そして、同じく近年大復活を遂げた新日本プロレスも、どういう理由があったのかウッドベルレーベルをあっさり捨て、ほぼキングレコードからのオリジナルで統一、つまり同社から出ているCDを買えばイコールそれがオリジナルと、こちらも購入のハードルが一気に低くなりました。
因みに、ゲームミュージックのCD、中でもグラディウスシリーズをきっかけとしてコナミのBGMが大好きだったのですけども、何を隠そうコナミも1989年以降キングレコードからのみのリリース、つまり私のCD棚の大半はキングレコードで占められていた、と言うのも何かの縁でしょうか。さらに、前述の大槻さんはコナミのアレンジCDも担当していたので、まさかプロレスとグラディウスが繋がっているという点にもまさかの縁、ちょっと嬉しく思えたものです。
WWEは昔から団体管理なので、今はもちろん、1980年代の入場曲ももそのままでWWEネットワークで流れますが、新日本プロレスワールドは残念ながらキングレコード以外は消音またはカットされています。当然、ウッドベルのも全てカット、つまりは武藤が高田に勝利した直後のトライアンフも流れないので、今の版権はどうなっているのか分かりませんが、可能な限りウッドベル以降の曲も流れてもらいたいものです。