今年も2011年以来欠かさず行っている、誕生日を香港で迎えると言う毎年恒例の行事を行ってきた。しかし実を言うと、昨年ニューヨークに3ヶ月滞在してきた事もあったとは言え、何と2010年の最初の留学以降、1年間海外にも飛行機にも乗らなかったのは初めての事だった。
つまり、それ以降は半年に1度ぐらいのペースで海外渡航していたと言う事でもあり、日航機墜落事故をリアルタイムで見ていた私としては、「飛行機イコール落ちたら死ぬ」と言うイメージがずっと抜けず、20代までは「飛行機なんて絶対にありえない、だから自分は一生日本から出る事なく一生を終える」とまで思っていたほどだった。それが2010年以降突然半年に1回のペースで飛行機に乗って海外渡航をするようになるのだから、いやいや、人間変わろうとすれば変われるものだと思う。
もっとも、その行先の大半は香港であり、計12回も足を運んでいるのだけれども、当然それだけ行っていれば誕生日だけで済む訳がない。何故そこまで香港に固執するか、それはおそらく日本から一番近い国際都市、古くから東洋と西洋が出会う街、として世界的に有名な都市であるから。
日本で香港と言えば、やはり功夫映画と言うイメージが強く、次に夜景、と言った感じであり、正直私も実際に行くまでは国際都市、と言うイメージは沸いては居なかった。しかし、一歩尖沙咀や中環に足を伸ばせば、それは一目瞭然、ありとあらゆる人種の人間たちが街を闊歩し、その光景は一瞬で何故香港が国際都市と呼ばれるゆえんを理解出来るものだった。
国籍も人種も、そして母国語も異なる人間たちが一堂に介す場所で使われる言語とは何か、もちろん答えはひとつ、英語しかない。そして、古くから日本人にも人気の渡航先だったにもい関わらず、空港や街中の日本語表記は、台湾などと比べたら圧倒的に少ない、つまり、日本人旅行者に優しくない。これは何故か、つまり香港は156年に渡る英国の植民地であり、英語がローカルであるはずの広東語よりも上位言語に位置しており、その重要性は中国に返還された今でも変化はないからだ。
つまり、ここ香港は国際語である英語が公用語であり、法律やら標識やら、そして博物館やら、公的なものに関しては全て国際語である英語表記が義務付けられているのだから、香港に渡航する人間はどこの国からであろうとそれを理解すればいい。つまり、アメリカほどでもないにしろ、香港でもそれに近いぐらい「人間なら英語が話せるのは当たり前。だから日本人だろうと何だろうと英語を使え」と言う無言の圧力を、滞在中は味わっている感覚に陥るのだ。
と言う訳で、総じて英語が不得手な日本人にとっては、前述のように優しくない街である、と言えるものの、逆に英語学習者に対しては、これ以上ないモチベーションを与えてくれる都市とも言えるのだ。
確かにここ数年、スマフォや無料通話アプリなどのおかげで、日本に居てもそれなりの英語環境や国際交流を行えるようになった。私が「英語は絶対勉強するな」に感銘を受け、本格的に英語学習を再開した2003年3月の時点では、スカイプすらもちろんYoutubeすらなかった時代であり、DVDの英語字幕で映画を見る事、がまだ最良の手段のひとつとして数えられるような時代であった。
それに比べたら、今の若い人たちはいきなりこんな環境が整っている訳であり、そんな私からすれば逆に日常会話ぐらい話せないのがおかしい、とも思ってしまうぐらいなのだけれども、やはり環境が整っていても、日常生活で英語に触れる機会が皆無に等しい我らが日本に住んでいる以上、モチベーションの維持はかなり大変なものがあると思う。もちろん私ですらも。
TOEICの伸びしろから分かるよう、400点台ぐらいまではちょっと勉強すれば軽く50点ぐらいは上がるし、少しづつではあっても会話が続くようになれば嬉しい気持ちもあるので、まだ続けられる余地はあるだろう。しかし、私の経験で言えば700点台を超え、ウィキペディアを英語である程度読めるようになる頃ぐらいから、ある種の壁にぶつかるようになる。
つまり、ドラクエIIIで言えば、最終ボスのゾーマを倒すには、4人パーティで大体40ぐらいあればほぼ確実に打倒出来る。しかし、ドラクエIIIのレベルは99まで上がる。では皆が皆そこまで経験値稼ぎに走るか、と言えばやらないだろう。クリア目的であれば、それ以上レベルを上げる必然性はどこにもないからだ。さらにレベルが高くなればなるほど次のレベルにする経験値も増えて、1レベル上げるのに何時間も費やさなければならないのだから、なおさらだろう。
英語学習もまさにそれであり、TOEICも800前後取れればウィキペディアはもちろん、CNNやBBC、そして香港のサウスチャイナモーニングポストも大体は把握する事が出来る。それに英会話能力が加われば、日常会話だけでなく、文化や歴史についてもそれなりに語る事が出来るだろう。800台でもそのぐらいまで到達出来るとなると、なかなか再度数百時間費やしてまで、普段はまず使わないような単語やボキャブラリーを勉強して900以上を目指そう、と言う気にはなかなかならないものだ。
実際、海外未経験でTOEIC満点など多く存在する訳でもあるんだけど、正直本当に凄いとしか思えない。自分には到底そんなの無理。だからこそ、だらけた自分を鍛えなおすために、半年に1度のペースで香港に渡航し、英語学習へのモチベーションを向上させていた訳だ。常駐の重慶大廈で英語のみ話すのはもちろん、ブルース・リーのエキシビションも歴史博物館も、中国語が分からない以上英語の解説を読むしかない。最初は面倒だな、と思っても、次第に長文を読むのも苦痛でなくなり、それが当たり前となっていく。実際、香港に居て数日も経てば、渡航前よりも英語のニュースサイトを読むのが楽になっていくことを実感できるほどだ。
しかし、そんな香港でも日本語を使わざるを得ない時がある。それは、日本語を解す現地の友人と会った時だ。香港では日本語を話す機会はめったにないため、例え英語を話せようとも自分との会話には日本語を話してくる。まあ香港人は仲良くなればなるほど情にも深くなり世話好きでもあるので、別に悪い感じではないのだけれども、渡航を重ねれば重ねるようになるほど、縛られず一人で歩き回りたいな、と思うようになったのも事実。
特に、今回はかなり精神を疲弊してしまったので、誕生日や英語以外に、現実逃避、と言う趣も強かった。なので、特に交流にもこだわらなかったので、今回私と会ってくれた方は、現地の高校で英語教師をしている、香港大学卒業で英語ネイティブレベルの方ひとりだけだった。当然、日本に興味があるからこそ生まれた交流ではあるのだけれども、才女であれ日本語が堪能と言うほどでもないため、誕生日を過ごしてくれた3時間は全て英語、文化も政治も歴史も全て英語で語りつくした。
つまり、この10日間は、完全に日本語環境皆無と言う事でもあった。もちろん、普通にiPhoneでは日本語のサイトを読んでいたりはしたけど、日本語の曲は聞かなかったし、当然街で日本語を見たり話したりする事は皆無だったから、第一言語は英語、久々に日本語からは完全に離れた形となった。
実を言うと、この10日間日本語皆無、と言うのは、自分史の中でも最長だったかも知れない。留学時はもちろん他の日本人留学生と一緒だったし、ずっと一緒と言う事こそなかったもののもちろん無視と言う事も出来るはずはないので、ノー日本語環境と言うのはまずありえなかった。3ヶ月に渡るNY滞在でも、同僚の方は全員日本人で、オフィスで英語を使う機会は電話対応ぐらい、現地の友人もまともに出来なかったため、アメリカに居ながらトータルでは日本語を話す時間の方が圧倒的に多かった。
そういう訳で、今回がノー日本語環境人生最長だった、と言う事になるのだけれども、前述のようにやはり英語へのモチベーションは高くなるし、よって渡航する度に、1ヶ月ぐらい部屋を借りて、集中的に英語を勉強したいな、と言う思いに駆られるほどだった。しかし、日本に帰国し、英語を使う事が当たり前でなくなってしまうと、やっぱりモチベーションも低下の一途。もちろん、休みの日は常にスカパーでCNNを付けたり、英語字幕のみで映画を見たりニュースを聞いたりして、英語環境の構築に努めたりはしているものの、やはり自分の弱い意思ではついつい日本語のサイトを開いてしまったりする。そんな自分に嫌気が差し、もう一度強い意思を生み出したいと思った時、私はまた香港渡航を決意するのだろう。