個人旅行主義 | ONCE IN A LIFETIME

ONCE IN A LIFETIME

フィリピン留学から人生が変わった一人の男のお話です。

私は最初の海外渡航こそ、フィリピン留学であり、当然現地では留学生をサポートしてくれる日本人係がおり、空港でのピックアップを始め色々世話をしてもらったものだけれども、それでも現地の空港までは当然一人だったし、以降のいわゆる「海外への旅行」に関してももちろん、航空券も宿も全て自身で手配しての一人旅だ。

 

そんな中、最初のフィリピンでも、続く香港でも台湾においても、特に台湾においてはかなりの日本人旅行客の団体を目の当たりにしてきたけども、自身がそんな拘りを持っている限りはその度に複雑な思いに駆られるようになる。しかしそれは私特有の感情ではないようであり、ネットで検索しても「個人旅行者はツアー客を見下している」的な質問やブログなどがヒットする。

 

「見下す」と言う表現は印象的には良くはないが、正直なところ、個人旅行者がツアー団体にそのような感情を抱いてしまうのはほぼ必然、むしろ沸かない方が不思議なぐらいにそれはどうしようもない事だと思う。

 

前述のフィリピン留学は、2010年6月から9月の3ヶ月、ジャスト12週間だったのだけれども、実は前年ぐらいにどうしても香港に行ってみたくて、ツアーのサイトをいくつか調べていった事があった。かなり真剣に考えていったものの、パスポートこそ作成済みであれスーツケースもなく、調べてみれば高額のしかヒットしなかったせいか最低でも2万円近く、旅行代金に加えてそれらの準備資金などを考慮したら...と言う理由も大きかったものの、それでもやはり一番はツアーに参加して他人の作成した旅程に集団行動で付いていく、と言うのがどうしても嫌だったから、に尽きる。

 

実を言うと、私は子供の頃から集団行動が大の苦手だった。強制的に集団行動を強いられる学校生活において、それはかなり致命的であるはずであるが、幸い日常の学校生活においてはそれなりに上手くやっていたし、高校まで親友と呼べる存在も必ずクラスに存在していたので、完全に孤立、と言うほどの事まではなかった。それでも、やはり班分けが必然となる遠足は苦手だったし、年を重ねるにつれてその傾向は強くなっていったと思う。

 

そんな自分を明確に実感したのは、ひとりで電車に乗れるようになってから。今でこそお店も増えてそれなりに便利になったわが座間市ではあるが、私の子供の頃は周囲にユニー以外本当に何もなく、よって遊んだり買い物したりするには小田急線に乗るのが必然であり、その行先の定番がまず町田、ミロードが出来てからは本厚木も、と言う感じだった。

 

当然、幼き頃は母親に連れて行ってもらうのが定番であり、それが当時の大きな楽しみでもあった訳だけれども、自分の用事が済むと、次は母親の洋服探しなどに付き合わなければならなかった。大抵はファミコンソフトなどを買ってもらった後であり、それで早く遊びたくてたまらない訳だから、正直子供心にも苦痛、面倒に感じて仕方がなかったものだった。

 

もちろん、今でこそ母親の行動は十分に理解出来るものの、甘やかされてわがままに育った幼い自分にはまだまだ我慢する事は難しかった。それが小学校5年くらいになると、次第にクラスメイトと電車に乗って出かけるようになり、小6においてようやく独り立ちを果たすことが出来た。それがいつだかははっきりとは覚えてはいないものの、全てが自分の意志で自由に動き回れるのが自分的には楽しくて仕方がなかったものだった。もちろん、当時は携帯もなく、銀行口座もないのでお金は本当に手持ちの現金だけ、今の基準で考えたら結構冒険だな、とも思うんだけども、もちろん当時はそれが普通の感覚だったから怖いとかはなかった。

 

前置きが長くなったけども、ようは私的には12歳になる頃ぐらいから、そのような心理が芽生えていた訳だ。そして中学、高校と次第に遠出するようになり、中学卒業時には親友と二人で初の秋葉原を体験し、そして高校では遂に一人で新宿や、神田まで出かけるようにもなった。

 

今思うと、その頃の経験が礎となって今に生きているのかも知れないけども、そんな自分でさえも正直、海外未経験でかつ英語もまだまだと言う時に、一人旅を考えるほどの勇気はすぐには出なかった。よって、前述のように最初の香港旅行は諦めざるを得ず、フィリピンも最初は怖くて2週間ぐらい学校内からほとんど外出もしなかったものだった。

 

しかし、次第に我慢できずに、とうとう一人でタクシーに乗りSMモールに向かったのだけれども、その時の解放感は今でも鮮明に覚えているぐらいたまらないものだった。それでも、ティーチャーらに紹介された危険とされるコロン・ストリートには一人で行くのはためらっていたものだけれども、他の日本人学生と一緒に行く度に慣れてきて、一番の親友だったY君が帰国した後や、帰国直前の数日間などは、ひとりで危険と言われるコロンやその周辺の観光地を平気でひとりで歩き回っていったほどだった。そして、言葉も人種も異なる、見知らぬ土地をひとりで彷徨うあのたまらない感覚を、遂にここで初めて味わう事とともなったのだ。

 

そうなれば、フィリピンよりも遥かにインフラが整いそして小さい香港ならひとりでも楽勝、と考えるのは必然、そして2回目のセブ島留学が終わった直後に、わずかながら初めて香港に旅行する夢が叶った。

 

ただ、この時はコネクティングだったので、事実上初めて自身で旅程も航空券も、そして宿も手配したのは、2011年の9~10月の台湾・香港旅行においての事だった。それ以降の渡航も全てそのようにしているんだけれども、もちろん初めから何でも挑戦しよう、と言うほどの勇気もなく、回を重ねる毎に壁を乗り越えていく、ような感じだった。

 

具体的には、最初はホテルの予約などは香港・台北ナビの日本語サイトを介しての予約だったものが、少しでも予算を抑えるためにBooking.comやAgodaのような多言語サイトを通して予約するようになる。その理由として、香港はホテル代が総じて高く、そうなると長期滞在の際にはゲストハウス以外の選択肢が存在しなくなるため。しかし、サービスにうるさい日本人に向けてとなると、とても日本人向けのサイトが重慶大廈や美麗都大廈の宿を推薦するはずもなく、そうなると必然的に前者のグローバルサイトを利用せざるを得なくなるためだ。そして、熟考を重ねた結果、興味ありながらも長年避けてきた重慶大廈の宿に、2013年の1月に遂に泊まる事になった。

 

正直、重慶大廈は外装や通路がボロボロすぎるだけで、一歩宿の中に入るとまるで別空間のようなほど清潔だったりするのが大半なので、実際やってしまえば言われてるほど怖くもないな、宿の人は親切だし、ってなるのだけれども、それでも最初のうちは恐怖心に駆られたものだった。しかし、結果的にそれを乗り越えたおかげで、過去最大級に大きな自信を得る事が出来た。

 

それからも、2011年10月に、無事フェリーに乗り港にたどり着いたのは良いけども、市街地への出方もバスの乗り方も分からず、迷子になるのも怖くて結局フェリーターミナルから一歩も出ずに引き返した苦い思い出の地であるマカオも、2013年9月に勇気を振り絞って歩き、マカオパスを手に入れバスで半島中をめぐり回り、2年前のリベンジを果たす事になったし、さらにはひとりで中国ボーダーを乗り越え、遂に中国大陸の都市、深圳に乗り込んだ事も、自分にさらなる自信をつける事となった。

 

それからも数回マカオ、深圳には足を運んでいったものの、さすがに回を重ねる事に刺激はなくなっていった。しかし、マカオはともかく、ネットも出来ず普通話も理解出来ない中国において、ひとりで中国民俗文化村や、世界の窓などの巨大テーマパークまで乗り込んだ、と言うのは今さらながら思い切った事したな、と我ながら思う。これまでの最大のトラブルは、香港のシティバンクのATMに、国際キャッシュカードを忘れた事だったと思うんだけども、その時はすでにある程度英語を話せたから、トラブルを自ら解決する事が出来た。しかし、中国大陸で英語が通じる場面はかなり限られるし、何より反日の国でもある。何かあったらただでは帰れないと言う雰囲気がある以上、繰り返しになるがよくやったな、悪く言えば無謀だったな、と今さらながら思わざるを得ない。

 

かなり長くなってしまったけども、ようは自分でもいきなり一人海外旅行が出来た訳でもなく、ひとつずつ壁を乗り越えステップアップしてきたから、に過ぎない。もちろん、その中には英語の勉強も含まれているし、これにいくらの時間、費用を費やしたかと思うと想像も付かない。つまり、昨日今日の努力によって出来た訳では決してなく、様々な経験の積み重ねがあったからこそ今がある、と言う事になると言っていいと思うんだけれども、これがツアーとなるとこれらのような努力は一切せず、金の力に物を言わせて、ホテルのチェックインからトラブルの解決まで、何から何までガイド、添乗員がやってくれる、と言う事になる訳でしょう?

 

実際、私自身ツアーに参加した事はないので、詳しい内情などは知らないままだったのだけれども、昨年のアメリカ滞在中に何やら何まで知る事となり、それはそれは自分の想像以上にツアーと言うのはガイドや代理店に任せっきりなのか、と言う事を改めて目の当たりにする事になった。

 

もちろん、それなりの代償、つまりとても安いとは言えないお金を払っているのは間違いないのだけれども、それでも前述のように一人海外を繰り返してきた私としては、ここまで何から何までサポートしなければならないのか、と思わざるを得ない衝撃的な事実ばっかりだったのだ。それこそ、本当お金さえあれば誰でも海外に行けるものなんだな、と改めて実感もさせられたものだけれども、そりゃこの現実を目の当たりにしてしまっては、個人旅行者がツアー客を良い目で見ないのは正直仕方のない事だな、とそれは思って当然だと思う。

 

もちろん、地球にはツアーなしではどうしても行けないような場所なども多く存在するし、かの有名なウユニ塩湖などもそのひとつだと思う。でも、行きたくてもツアーに参加しない限り行けない、つまり一人で到達する事が不可能に近い場所なのであれば、やはり自分は一人で行けないのであれば仕方ない、行きたくても行けない、と言う選択肢を選んでしまうだろう。

 

この面倒な性格のおかげで大分損もしてるのだろう、とは思うのだけれども、やはりひとりで行ってなんぼ、と言う考えはどうしても曲げられないので、仕方のない事です。