承前
2007年09月14日 作成
ケルト人のこのような親ラテン反ゲルマンというのは、シーザーのガリア遠征以来いち早くローマ文化を取り入れて“文明人”になったと自認しているケルト人にとって野蛮なゲルマン人というのは我慢ならなかったからであろう。
ブリテンとアイルランドの関係にせよ、ここ1000年ほどを基準に考えるから豊かで先進地帯のブリテンに対し貧しく素朴なアイルランドという先入観念があるが、ケルト人がアイルランド島に押し込められてからの500年ほどは全く逆で、文化の薫り高いアイルランドに対し野蛮で無知蒙昧なアングロサクソンが支配する暗黒時代のブリテンという感じで、キリスト教がブリテンに伝わったのもアイルランドの宣教師の尽力によるものである。
このようにケルト人はゲルマン人に追われてしだいに西に追い詰められていった。そしてアイルランドからもアングロサクソンによる経済的な締め付けにより追われて、大半のアイルランド人は新大陸に移住してしまい、現在においてケルト文化の本場はどこかといえばそれは米国であろう。
西部劇のカウボーイ、そして警察官や消防士などはアイルランド人の世界であり、西へ西へと追い詰められていったケルト人の哀愁を帯びた世界がそこにはある。シェーン(画像上)という名前の響きだけでアメリカ人なら誰でもアイルランド人の流れ者の哀愁に満ちた孤独な姿をイメージするのである(日本では英国式英語を教える学校の名前になっているのがすごい皮肉であるが)。
またケルト系の名前を付けたアメリカンフットボール(USCトロージャンズ等はトロイ陥落時に逃れたアエネアスがアイルランド人の祖先になったという伝説に因む)やバスケットボール(ボストンセルティックスはNBAの最多優勝チームで、ボストンはケネディ家が出たようにアイルランド人移民が多い)のチームはアイルランド人やカソリックと関係が深く、勇壮な名前を付けた普通の?チームとはちょっと違うメランコリックな印象を与えている。(写真下はセルティックスのラリー・バードで隣はレイカーズのマジック・ジョンソン。彼らの時代にNBAはメジャースポーツになったが、私の子供時代はプロバスケといえばハーレムグローブトロッターズ)
このようにゲルマン人にやられっぱなしであったケルト人であるが、それによって消え去ったり卑屈になったりすることはなく、世界の主流となったゲルマンに対し今なお反骨の気概を示しているとは云える。北アイルランドでそして米国で彼らは自分の存在を主張しゲルマン人に飲み込まれることを拒否している。
ドゴールに代表されるフランス至上主義者たちが反ゲルマンを命題としているのも、フランス人の一番底に流れているケルト人意識がそこにあるからではないだろうか。ド・ゴールという名前からしてまさにゴール人・ケルト人の代表のような響きであり彼はこれを偶然ではなく神から与えられた使命と解釈したのではないかという気がしてならない。
そのケルト人であるがゲルマン人と派手に争う舞台がフランス・イギリスであるためこのあたりが故地かというとそうではなく、実は南ドイツ・ドナウの上流域を発祥の地としている。純粋にDNA的に議論すれば異説もたくさんあるが、少なくともケルト文化らしきものがはっきりしてきたのはこのあたり、まさにこのケンプテンのあたりである。
そのケンプテンであるが旧市街、即ち大聖堂や城砦やショッピングモールなどがあり、観光客が集まる地域はすべてイーレ川の西岸にある。
それに対してCambodunumの遺跡は東岸ののどかな田園地帯(現在は住宅地になっているらしいが)にあって、観光当局の“ドイツ最古の町”というキャッチフレーズにもかかわらずあまり訪れる人はいないようである。
ケルト人がなぜ東岸を選び、ゲルマン人がなぜ西岸を選んだのかはよくわからない。イーレ川は東西に流れるドナウ(ケルト語で川という意味であり、チゲ鍋みたいなものでドナウ川では川川)の本流に南のアルプスから北へ流れこむ支流であり、東岸・西岸には特に戦略的・経済的な優劣はないように思う。
Cambodunumと中世にゲルマン人の町として登場するケンプテンの間には数百年の空白期間がある。その間のこの地帯の歴史ははっきりしておらず両者の間には断絶のみがある。
(この稿続く)