2022年2月24日に始まったウクライナ侵攻はまもなく4年になり(下画像は最新戦況)、太平洋戦争(真珠湾から終戦まで)の期間を超えた。
 講和の大枠はまとまりつつあるが、ウクライナ国民を犠牲にして戦争を継続したい勢力も動いていてまだまだ情勢は流動的である。



 日本の国益から考えても、直ちに停戦が実現してロシアを中国側に追いやる愚を正してロシアとの関係を修復し、米国が中国と正面から対峙できるような国際体制を築くのが理想であろうし、そうならなければ80年続いた米国の覇権が近い将来中国に移ることは不可避であると思われる。
 これを正反対に解釈してロシアの侵攻を認めれば今度は中国が台湾や尖閣諸島に侵攻する(事実は全く逆で中国が望んでいるのはウクライナで戦争が続き米国のプレゼンスが極東で小さくなること)と頓珍漢な主張をする方や、ここでロシアに譲歩すればミュンヘン会談みたいに次は東ヨーロッパだと(事実は全く逆でウクライナ程度に苦戦しているロシアにそんな余裕はなく平和を望んでいるのはロシア側)戦争継続を主張する方もいて・・・というか日本の大手マスコミはだいたいこういう論調であり唖然とさせられる。

 そこで侵攻開始直後から節目・節目での日記を下記に引用し、また根本的な原因であるウクライナとロシアの因縁を振り返ってみる。

個人情勢とウクライナ情勢
(2022年02月28日 作成)
 昨年末の下記ブログで、ようやくコロナが収まって海外中心生活が始まったと書いたが、再流行によりまた海外渡航は難しくなった。

 

 

 コンサルタント(と自称しているが要は自営業)として海外にしかいない顧客訪問ができずTV会議等でお茶を濁しているようでは大幅収入減を避けられず、40年以上続いたサラリーマン生活がいかに気楽だったか思い知らされることになった。
 まあまだ体力が残っているだけ何とかなるさと楽観的に考えるようにしているがさてどうなるか。

 こういう事態に備えて投資でもやるかと数年前から金融資産のかなりの部分をドル建ての株式・投資信託等にシフトしてきた。(下記ブログ参照)

 

 

 最近まではまずまずの運用実績だったのであるが、数日前のロシアによるウクライナ侵攻により一気に暗雲が。ミーハーなので流行りのVYMやSPYDそして配当王銘柄等を買っていたのであるが、まあだいたいこういうのは流行る前に仕込んでおかないと儲からないものなのかもしれない。
 いや大暴落でも起きるのなら逆にチャンスであり残っている現金で買い増せばいいのであるが、そんな情勢でもなくただ経済が不活性化してじりじりとすべての価値が下がっていくという最悪の事態が想定されている。

 ・・・と書くと世界の平和が脅かされて戦場では多くの死者が出ているのに何と利己的なと思われるかもしれないが、どう考えてもこの戦争は容易に避けることができたのにと考えるから残念なのである。



 世間ではこの戦争をロシア・プーチン大統領の暴挙ととらえる論調が大半であるが、私の印象は全く逆でありウクライナ・ゼレンスキー大統領のポピュリズム(ですらない無責任主義)に大きな原因がありそうに思う。

 その前に私が15年ほど前に“ドイツの街角からドイツ史を考える”というトピックで書いたロシアとウクライナの関係を引用すると・・・

2007年11月15日 作成の“30年戦争とドイツ統一”から一部引用
(前略)
 現在ヨーロッパを形成する三大民族といえば、ゲルマン人、ラテン人、スラブ人ということになるだろうか(歴史的にはこれに加えてギリシア人、ケルト人が重要であるが現在は一地方勢力にとどまっている)。
 この中でゲルマン人・ラテン人というのはゲルマン民族が大移動によりラテン人地域を完全に占領してしまい、そのゲルマン人がラテン化して新たなラテン人を形成するという経緯をたどったこともあって、何となく同族感がある(同族だから仲がいいというわけではなく、同族だから憎み合うという面はある)。

 これに対して異質な存在はスラブ人であり、実はスラブ人というのはヨーロッパの中だけでなく世界の中で見てもかなり異質である。
 スラブ人というのは現在数億人を数える大民族(ヨーロッパ内ならゲルマン人よりもラテン人よりも多い)でありながら、その歴史への登場は極めて遅い。通常ナントカ民族といわれるものは紀元前数世紀…すなわち歴史の記述が始まった頃にはもうその存在がはっきりしていなければおかしいのであるが、スラブ人らしき存在は歴史の中で見え隠れしてあまりはっきりしないというか、スラブ人とは何か?という定義もはっきりしない。はっと気がつくといつの間にか大勢力となっていたという感がある。

 現在のスラブ人の主流である東スラブ人の存在がはっきりしてくるのは僅か1000年ほど前のキエフ大公国の時代からである。



 キエフ大公国の起源はいうまでもなくスウェーデンバイキングであり、スウェーデン人はバルト海から黒海に至るルートをおさえて東ローマ帝国、そしてその向こうのイスラム圏との交易で栄えた。そのルートの大動脈が黒海に注ぐドニエプル川でありその中流にあるキエフが繁栄の中心となった(画像上)。このあたりはかつてスウェーデンから進発したゴート人が東西両ローマ帝国を席巻する前に支配していた地域であり(東ゴート族、西ゴート族というのはドニエプルの東岸・西岸を支配したことからの命名であり、それぞれ東のイタリア・西のスペインで大征服王朝を開いたというのは偶然の一致であるが受験生には憶えやすい)スウェーデン人にとっては馴染み深い地域である。

 そのキエフ大公国はいつの間にかゲルマン・スウェーデン人の国から“スラブ化”してしまい…と書いてある歴史書が多いが、スラブという存在が既にあってそれに同化したのではなく、スラブ(少なくとも東スラブ)の起源がこの時点であったという方が実態に近いのではないだろうか(下記ブログ参照)。

 

 

 そのスウェーデン人というか原スラブ人?はキエフ・ルーシと呼ばれておりロシアの語源はこのルーシ(何を意味するかは諸説ある)である。
 その原ロシアというべきキエフ大公国はモンゴルに飲み込まれるが、数百年に及ぶキプチャク-ハン国の支配を脱したとき、繁栄の中心はモスクワに移っていた。

 ロシアの起源というべきキエフ大公国の歴史上の直接後継者がモスクワのロシアかキエフのウクライナかは当事者にとっては大問題である。ロシア及びその後継者であるソ連が強力でウクライナを支配していた時代にはこの回答は明確であり、ロシアこそはその後継者であって自分たちを大ロシア人と呼びウクライナ人をその傍流として小ロシア人と呼んで蔑んだ。そしてロシアという国名も自分たちのものとしたため、ウクライナ人はやむをえずウクライナ(土地・国土というような意味)という名前を選んだ。なお国名というのは非常に重要で、例えばインド・パキスタンが分離独立する際、ネールがまず要求したのは栄光あるインドという名前であり、パキスタンが例えばイスラム・インド共和国と称することは断固拒否した。

 

 

 しかしながら上記ブログに書いたように常識的に考えて原ロシアであるキエフ大公国の後継者は同じ場所にあるウクライナであろうし、ドニエプルから永遠の都コンスタンチノープルに通ずる開放性は、ロシアの母なる川ボルガの閉鎖性(世界最大の内陸河川であり、注ぎ込むカスピ海は塩湖でどこにも流出口はない)・内向性とは相容れないものを感じる
(以下略)
(引用終了)

 当時はこのSNSの全盛時代であり、このトピックにも100件以上(半分以上は私以外から)のコメントがついて盛り上がったのも今は昔・・・とノスタルジアに浸ってもしょうがないので元のウクライナ情勢の話に戻ると。

 やはりソ連の解体はもう少し時間をかけてやるべきだったのにゴルバチョフが急ぎすぎて禍根が残ったと思うし、特にロシアとウクライナは歴史的にも面倒な関係にあったのでもっと慎重に考えるべきであった。
 クリミアがウクライナ領というのは歴史的にも地政学的にも無理があるし、今回の焦点となっているウクライナ東部やNATO加盟問題にせよ、ゼレンスキーが現実的な選択をしていればロシアの侵攻を招くことはなかったであろう。

 まあここまで来てしまっては落しどころはNATO加盟は棚上げされて東部諸州のかなりの部分は実質的にロシアに編入されることになるしかないと思われるが、ロシアに対する経済的締め付けはますます強化されるだろうし、それは結果的に西側のビジネスにも大きな悪影響を及ぼすし、肝心のウクライナも衰退がこれまで以上に加速してくると思われる。
 まさに関係者すべてが損をするという最悪のシナリオであるが、ゼレンスキー本人は本職?の千両役者を気取り命を懸けても徹底抗戦を唱えている。

 まあ遠い国の話であるし日本にはあまり影響がないように思われるが、これをアジア情勢にも関連付けてロシアの暴挙を許せば中国も勢い付いて台湾や尖閣諸島侵攻につながるといった論調が一部にあるようだ。
 確かにゼレンスキーのポピュリズムは、韓国歴代大統領が反日政策を競って国民の人気取りを図ったり一応西側陣営にありながら中国寄りに行動するなどしてて逆に国益を損ねていることに似ているが、この事変の影響はそこではないと思う。


 即ち中国がロシアの侵攻を黙認しているように感じられるのは、次は自分たちも台湾に侵攻する予定だからというよりも、逆に米国の力が欧州方面に向けられて極東でのプレゼンスが小さくなればそれだけ歓迎というわけであり、中国にとっては米国等の西側がウクライナに肩入れすればするほど好都合と考えているであろう。

 なお日本では太平洋戦争末期の参戦からシベリア抑留の影響でロシア嫌いが多く私もその一人であるが、実はロシア人そのものはかなり親日意識が強い国民性である。

 

 

 これは私が勤めていた会社が初の米国事業所を設立するときの買収交渉や立ち上げを担当し(上記ブログ参照)、当時はソ連崩壊の直後で米国に亡命してきたロシア人技術者を採用することにより、一時その事業所はロシア人(ロシア系ユダヤ人)だらけになっていたので、彼(彼女)らと話してみて気付いたことである。

 何だか話が発散してしまったが、こういう世界情勢は他人事ではなく、私の懐具合にも大きく影響する。
 今後のコンサルティング顧客にせよ先進国はどうしても市場が飽和していて伸びないので新興国中心(仕事場が新興国であるという意味であって新興国資本の仕事とは限らない)になることは間違いないし、投資先も同様(ドル建てで投資しているのは米国だけでなく米国のファンド等が新興国に投資しているのも含まれるし、例えば投資の世界ではロシアは新興国扱い)であろう。そして戦争になれば真っ先に影響を受けるのは社会が安定していない新興国である。

 そして結局は平和でないと仕事も投資もパイというか富の総和が大きくならないのであるから伸びないことは明確である。
 したがって人間が常に合理的な選択をする生物であるなら戦争などは起きるはずがないのであるが、残念ながらそうなってはいないのは・・・

(2022年03月23日 追記)
 ウクライナは案外善戦している。
 もっとも善戦すればするほど、ウクライナ国民の犠牲は増えロシアも西側もウクライナ自体も経済的な打撃が大きくなり、すべてが損をするという状況が加速していくわけであるが・・・
 もっとも世の中は損得だけではないので、長い目で見ればウクライナにとってはロシアからはっきり決別できたという意味で良かったかもしれない。これは政治的に決別できたという意味ではなく(そういう意味では今回の結果次第ながらむしろ従属度合いが深まりそうであるが)、精神的・文化的にロシアからの決別が決定的になったという意味である。例えばロシアとウクライナの区別ができる方はこれまで世界にほとんどいなかったと思うが、今後はウクライナの存在は世界にはっきりと好ましく印象付けられたし、これは長い目で見ればウクライナにとってプラスになると思われる。

(2022年05月26日 追記)
 善戦はしたもののどうやら勝負はあった様だ。
 周囲の無責任な煽り立てる勢力を無視して一刻も早く講和へと進まないとウクライナは破滅してしまうし、世界経済への悪影響もはかりしれないものになる。
 ゼレンスキーのようなポピュリストを指導者に選んでしまったのはウクライナ国民にとって悲劇であったが、数百年単位で考えればロシアからはっきり決別できたことはウクライナにとって良かった・・・といえるように今後の国家再建に邁進すべきだし、日本を含む世界も戦争を煽り立てた愚行を反省してそれに協力すべきであろう。

(2022年06月15日 追記)
 もうこれ以上戦う意味はないのにゼレンスキーは何をしているのか?
 早く軍部がクーデターを起こして彼を引きずり下ろすか米国が引導を渡すかしないと本当にウクライナは破滅してしまう。
 米英はロシアに消耗戦をさせて弱体化を狙う戦略であろうが、ウクライナ人を犠牲にする冷酷な戦略である上にその狙いも達成できそうもないお粗末極まる結果に終わりそうである。

(2023年10月12日 追記)
 何とまだ戦いは続いている。ロシア軍はロシア人中心地域を確保して境界線を要塞化して待ち受けており、そこにウクライナ軍が反転攻勢と称して突っ込んでいるが1年近くほとんど境界が動いておらず無意味な犠牲者ばかり増えている。そうこうしているうちに中国は米国がウクライナに注力して極東でのプレゼンスが小さくなったのを好機に台湾への圧力を強めつつあり、パレスチナでもこれを好機にとハマスが・・・
 すべてが日本を含む西側諸国にとって悪い方に転がっており、まずは早く講和を結んで一つ片づけておかないととんでもない状況に陥りそうである。

(2024年07月16日 追記)
 トランプ勝利の確率が高まり、ようやくウクライナに平和が戻ってきそうである。バイデンーゼレンスキー(+ボリス・ジョンソン)の連係プレーによりウクライナは破滅的な損害を被ったが、早い復興に世界は協力すべきであろう。そして米国は国力を挙げて中国との対峙に臨むべきであり、ここで均衡を保っておけば一時世界をリードしたソ連が内部から崩壊したように・・・

(2024年11月24日 追記)
 来年1月のトランプ大統領就任を前に駆け込み需要ならぬ駆け込み攻撃が活発化しているが、これが続くほどウクライナは不利になっていくので早く交渉を開始して無意味な犠牲が増えるのを防がなければならない。
 プーチンは現状の両軍の境界線での停戦では不満であろうからこれをどういう条件を提示して抑え込むかが課題であろうが、安全保障の枠組みを保証することによりロシアを中国側にわざわざ追いやる愚を正して、米国は最大の焦点である中国との対峙に全力を注ぐ必要があるだろう。
 ”正義の戦い”という振り上げた拳をどうおろすかという問題については、国民第一と考えれば住民投票などで”民意”は明らかなのであるから・・・

(2025年04月24日 追記)
 どうやら現状の両軍の境界線での停戦でまとまりそうになってきた。
 戦いが続けばロシアはもっと前線を押し込めるので、これはウクライナにとってはかなり有利な案である・・・という常識が通用しない一部の戦争を継続したい勢力が存在するのでまだまだ予断は許さないが。
 
(2025年06月22日 追記)
 本日米国がイランの核施設を空爆して参戦、久しぶりにトランプがいい仕事をした。
 これでイランの現体制はほぼ崩壊し、中東の不安定要因が除かれて一段落。
 ロシアもこの情勢を見て現状維持くらいで満足し西側との関係修復に舵を切るのではないか。
 そしてこの地域が安定すれば米国は国力を本命の対中国振り向けることができる・・・
となると期待しているがさあどうなるか。

(2025年8月20日追記)
 どうやら和平の大枠が決まりつつあるようだ。
 ザポリージャ州とヘルソン州は現在の前線で分割。ルハンスク州とドネツク州はロシアに割譲で、ルハンスクを超えたロシア軍は撤退、ドネツクはまだウクライナの支配下に2-30%残っているが、ここを明け渡す代わりに米国・欧州が中心となって安全保障ということになりそうだ。
 イランの体制がひっくり返っていれば別の展開もあったかもしれないが、現状ではイラン・ロシアの同盟は緊密化してロシアは経済的に余裕ができていて、しばらく戦争を続けられれば結果的にドネツク全土は手に入りそうな情勢なので妥協はしないだろう。
 米国もここはロシアに貸しを作ってロシアが中国と接近するのを牽制したいだろうからまあこんな相場だろうか・・・現在のところは。
 そして戦争が長引くほどウクライナの条件は悪くなるので早く講和すべきであるがまた例によって・・・
 

映画
モンテ・クリスト伯 (原題 Le Comte de Monte-Cristo)2024
監督 マチュー・デラポルト アレクサンドル・ド・ラ・パトリエール
キャスト エドモン・ダンテス=モンテ・クリスト伯:ピエール・ニネ (1989-)
     メルセデス:アナイス・ドゥムースティエ (1987-)
     エデ:アナマリア・ヴァルトロメイ (1999-)

原作
モンテ・クリスト伯 (原題 Le Comte de Monte-Cristo)1846
作者 アレクサンドル・デュマ (1802-1870)



 公開中のモンテ・クリスト伯を観た。
 原作はアレクサンドル・デュマの傑作であり、おそらく世界で最も人気がある小説の一つだろう。
 日本でも古典的名作として数多くの版(私が子供時代に読んで感銘を受けたのは山内義雄訳の岩波文庫・全7巻 1957)が出ており、“巌窟王”というタイトルで翻案やジュブナイル版も出ていて、ある程度の年代以上の方の大半は読んだことがあると思われる。

 簡単にプロットを説明すると・・・
 ナポレオン時代末期のフランス、マルセイユの船乗りエドモン・ダンテスは船会社同僚のダングラール、婚約者メルセデスをめぐる恋敵のフェルナン、検事ヴィルフォールの策謀によりナポレオン派とされて孤島の地下牢に14年間幽閉されるが、何とか脱走して隠された秘宝を見つけて大富豪になり、パリに戻って出世した3人に復讐するという物語で、数十人の登場人物が複雑な因縁でからんでくる波乱万丈の大長編(文庫本だと2500ページほど)である。



 映画化・演劇化・アニメ化も数多くなさされているが(上画像は2013年の宝塚宙組公演)、今回の地元フランスでの映画化は空前の製作費をかけた決定版と云われており、私も大いに期待していたのであるが・・・

 まあこれだけの大長編を3時間ほどにまとめて、映画らしく“映える”シーンを入れなければならないのからある程度のストーリーの改変はやむを得ないというものの・・・

 親ナポレオン派で原作のキーマンであるヴィルフォールの父親を映画では彼の妹(意味ありげに最初から登場するがほとんど出番はない)に変更したことや、フェルナンへの復讐では彼が絶望して自殺するという原作に対し映画では最後にダンテスと決闘して倒されるという結末にしたこと等は、大いに原作の雰囲気を損なっているものの、映画映えしなければならないのだからまだ許容範囲内である。またミッションインポッシブルみたいなダンテスの変装シーン(画像下)は笑いをとるつもりならむしろいいと思ったくらいであるが・・・



 決定的にひどいのは、原作ではダンテスは最後は女奴隷エデと結ばれて復讐の鬼から人間らしい気持ちを回復して“待て、しかして希望せよ”という有名な台詞を残して船で二人で去っていくのに対し、映画ではエデはダンテスを裏切って若いアルベール(フェルナンとメルセデスのバカ息子)と結ばれ、ダンテスは寂しく一人で船で去っていくというエンディングであり、これはいったい何を狙ってこういうストーリーにしたのか?
 まあ翻案によってはアルベールは実はフェルナンではなくダンテスの息子であり、フェルナンを倒した後にメルセデスと共に親子3人で幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし(笑)というストーリーのバージョンもあるみたいなので、それに比べるとまだマシかもしれないが。

 

 

 上記ブログのように2016年リメイクの“ベン・ハー”ではメッサラは戦車競走で事故死するのではなく、戦車競走後ベン・ハーと和解して彼の妹と結婚するというハッピーエンドには唖然としてしまったが、有名な原作をその趣旨をひっくり返してしまうような改変はコメディとしてわざとそのような効果を狙う場合以外は如何なものかと思われる。



 まあ原作のようににダンテスとエデが結ばれる・・・それもエデから熱烈に愛された末に、ということに私がこだわっているのは、エデというキャラクターに思い入れが深いからであり、上画像はグズラを弾くエデの登場シーンであり原作の雰囲気が良く出ている。

 設定ではエデはアリ・パシャ(1741-1822)とその愛妾ヴァジリキ(1789?-1834?)の娘ということにされている。(下画像はレイモン・モンヴォアザンによるアリ・パシャとヴァジリキ)



 アリ・パシャはオスマン・トルコ時代に現在はギリシア北西部に位置するジャニナを根拠地としてギリシア西部からアルバニアにかけて支配したアルバニア人パシャ(トルコの称号で太守と訳される場合が多い)である。そのハレムには600人の女性がいたという権勢を誇って、オスマン帝国からは半独立の存在であったが、1822年にスルタン・マフムト2世(在位1808-1839)の追討を受けてヨアニナ湖内の島の離宮に立て籠もるものの最後は暗殺される。


 ここまでは史実であるが、小説の設定ではその暗殺は軍事顧問だったフランス人フェルナンの裏切りによるものとされており、この際にヴァジリキと4歳の娘であるエデは奴隷にされ、フェルナンから奴隷商人に売り渡される。(下画像は1888年ロンドンで出版された英語版モンテ・クリスト伯の挿絵で、ヴァジリキと奴隷商人)



 ヴァジリキとエデは奴隷商人によりコンスタンチノープル(イスタンブール)に連行されるが、城門に晒されたアリ・パシャの首を見てヴァジリキはショック死するという設定になっているが、史実では赦免されて故郷のギリシアに返されたというのが定説のようだ。
 エデはもちろん架空の人物であるが、ジャニナが陥落した際は大半のハレムの女性はヴァジリキのような例外を除き奴隷にされたであろうから、そのような人物がいたと設定しても不自然ではない。
 なおアリ・パシャは斬首されて、その首はスルタン・マフムト2世に届けられたというのは当時の有名なエピソードでよく絵画化されており、下画像はピーター・ヨハン・ネポマク・ガイガーによるマフムト2世に捧げられるアリ・パシャの首。



 そして原作ではエデは裕福なアルメニア人に購入されて教育を受け、13歳でマフムト2世のハレムに入れられるが、同年エドモン・ダンテスが大富豪になって名乗るようになったモンテ・クリスト伯に奴隷商人エル・コビールを通じて買い取られることになる。

 なおこれらの事件というか歴史上の出来事はデュマ及び当時の大部分の読者がリアルタイムで経験してきたことであり、前半のナポレオン没落期の事件とも並べて以下の年表に示す。

1814 ナポレオン退位 エルバ島へ
1815 2/24 ダンテス19歳、マルセイユに帰還
   2/26 ナポレオンエルバ島を脱出
   2/28 ダンテス逮捕
   3/1  ナポレオンがカンヌに上陸
       同日、ダンテスがシャトー・ディフの監獄に収監される
   3/20 ナポレオンがパリ入城、再び帝位につく(百日天下のはじまり)
   6/18 ワーテルローの戦い
   6/22 ナポレオン退位
1821  5/5   ナポレオン、セントへレナ島で死去 51歳
1822  1/24 アリ・パシャ80歳で暗殺 エデ4歳で奴隷になる
1829 2月 ダンテス脱獄 (収監14年後33歳)
1831    大富豪になったダンテス35歳、13歳のエデを購入
1832  6月 6月暴動(レ・ミゼラブルのクライマックスであるパリ蜂起)
1838       パリに戻り復讐開始 ダンテス42歳 エデ20歳
1844-1846   デュマ、“モンテ・クリスト伯”を連載
 
 こうしてみるとナポレオン派として告発されたダンテスの運命はナポレオンの1815年の動向と密接につながっており、またアリ・パシャはフランスと同盟を結んでいたので彼を裏切ったフェルナンの行為はフランスの国益に反するものであり、それをエデにより暴露されて破滅した事情がよくわかる。

 

 

 また上記ブログのようにユーゴ―の“レ・ミゼラブル”(1862)も同じ時代のワーテルローから6月暴動までを背景に描いているが、ユーゴーが歴史背景を精密に描写している(特にワーテルローは普通の本1冊分の分量)のに対し、デュマは歴史そのものの中に登場人物たちが躍動しており、文学的価値はともかくとしてストーリーテラーとしてはデュマに軍配が上がるのではないだろうか。

 そのエデであるが、エキゾチックな絶世のギリシア美女(正確に云えばヴァジリキはギリシア人でアリ・パシャはアルバニア豪族とギリシア寵姫の子供であるから3/4ギリシア人)であると共に主人のダンテスを心から慕う理想の女性として描かれている。

 これは西洋文明の根源としてのギリシア文化・ギリシア美女(代表例はクレオパトラやミロのビーナス)という要素に加えて、2000年にわたり東地中海の覇者でありながら1453年のオスマントルコによるコンスタンチノープル陥落以後はトルコ人の支配下にあるという哀しさ(代表例は下画像のハイラム・パワーズの”ギリシアの奴隷“1843であり、ギリシア独立戦争でトルコ人に捕らえられて奴隷にされた女性を描いた米国で最も有名な彫刻)の要素をミックスしたものである。



 欧米においては、オスマン帝国のハレムは「秘密の花園」のような異国情緒あふれる場所として想像され、そこに囚われた異教徒の美しい女性たち、特に古代ギリシア以来の美の象徴であるギリシア人女性のイメージが、絵画や文学作品で繰り返し描かれた。これは、当時のヨーロッパで流行した、東洋を神秘的、官能的、かつ野蛮な場所として描く「オリエンタリズム」という芸術的・文化的潮流の影響が大きく、その代表例が下画像のアングルの大傑作“奴隷のいるオダリスク”(1839-1840)。



 またエデは欧米人読者のシンパシーを得るようにトルコで長年奴隷とされていながらキリスト教の信仰を守り続けたという設定になっており、これはアリ・パシャ(アルバニア人は東欧人としては例外的にイスラム教を受け入れた)がギリシア人である愛妾ヴァジリキが信仰を娘と共に守ることを許したためであり、またエデの最初の所有者をアルメニア人(アルメニアは301年に世界で初めてキリスト教を国教として以来、アルメニア派キリスト教の教義を守り続けている)という設定にしたのもそのためである。



 ビクトリア時代のエロチカから現代の女性向けロマンス小説までトルコ・北アフリカで奴隷にされた西洋人女性というジャンルは根強い人気があり、世界中で大人気の(日本では木原敏江の漫画や宝塚でも取り上げられた)”アンジェリク“(画像上は映画化時のタイトルロール=ミシェール・メルシエがクレタ島の奴隷市場で競売にかけられるシーン)や、アラン・アルディスのバーバリーシリーズ(北アフリカのバーバリー海賊の奴隷とされた欧米人女性を扱うBDSM連作小説、なおバーバリーというのは北アフリカのベルベル人が語源であり野蛮なbarbarousとは関係ない。ついでに云えばミュンヘン一帯やその地域のビールを指すババリアの語源は地名のバイエルンから、ファッションブランドのバーバリーは創立者の名前からで、どちらも野蛮なという意味はない)はその代表例である。



 このジャンルの歴史背景を考察した名作が塩野七生の“ローマ亡き後の地中海世界”(2008-2009)であり・・・と挙げていくとキリがないのでこの位にするが、そのテーマを取り上げた嚆矢となったのがモンテ・クリスト伯のエデであると思う。
 デュマの思い入れも深くてダンテスの理想のパートナーとして描かれており、カタローニャ移民の庶民的なメルセデスとは”格“が違うと思うのに、この映画始め様々な作品では何か軽んじられているケースが多いのは残念である。

 最後にエデの父親のアリ・パシャ、80歳にして600人の女性を後宮に囲い、エデの母親ヴァジリキとは50歳近い年齢差で大恋愛、ギリシア訪問時のバイロンからその威厳をライオンと称えられ(バイロン原作のバレエ”海賊“では彼の宮廷がモデルとされている)、そして最後の壮烈な死から死後も伝説として世界中で語られる・・・いやこれはなかなかの生き様である。

 海外顧客相手のコンサル生活も5年が過ぎ、大分慣れてきた。
 現在は下記ブログに書いたような中国の半導体ベンチャーが大口顧客として契約がまとまりそうになっており、先日は先方の事業所がある瀋陽を訪問してきた。

 

 


 瀋陽というのは東北(ドンペイと発音する)地方・遼寧省の省都であり、人口は1000万人弱の内陸都市、旧名は奉天で日露戦争の天王山にして当時史上最大の会戦であった奉天会戦で有名である。



 その後は日本の支援を受けた張作霖・張学良の奉天軍閥の拠点となり、さらには満州国の中心都市となった後に中華民国・中華人民共和国と続く歴史上、一貫して満州の中心という位置付けであった。



 このようになったのは清朝初代皇帝のヌルハチ(在位1616-1626)が首都を1625年に瀋陽に移してからであり、2代目のホンタイジ(在位1626-1643、1637年に朝鮮に侵攻して李王は降伏して三跪九叩頭の礼をとらされる屈辱を味わうことになるのを描いた韓国映画が画像上の“南漢山城”で邦題は“天命の城”)までの陵墓は瀋陽にある。

 

 


 そして1644年に清は山海関(画像下:万里の長城の海に面した東端にあり、“関東軍”とは山海関の東を意味する)を超えて中国本土を制圧し、その直前に李自成の反乱により滅亡していた明に代わって20世紀初頭まで中国を支配した中国史上最大版図の王朝となった。

 



 この山海関越え(明の守将である呉三桂の降伏による)は“入関”として満州民族の歴史上最大のイベントとされており、トルコのコンスタンチノープル(イスタンブール)攻略に喩えられるだろうか。

 なお当時の日本とは豊臣秀吉の文禄・慶長の役で接点があり、加藤清正は1593年に南満州を威力偵察してこのルートからの明への侵攻は困難と報告しているが、その頃はまだヌルハチは満州統一に至っておらず直接の交戦はしていない。

 なお中国では満州という言葉は満州民族を表わしているのであって、地名を指す場合は自国の東北部であるから東北地方と呼称することになっている。
 これは満州民族というのは過去にはこの地方の中心民族であったが、現在の満州ではその人口比は数%に過ぎず、住民の大半は漢族なのであるから、そこは少なくとも満州と呼ぶべきではないという理屈である。
 まあ漢族も満州族に数百年支配されてようやく支配権を奪い返したのだから満州なんて名前は永遠に抹殺したいというのが本音かもしれないが。

 なお満州族の風俗として中国に導入されたものとしてはラーメンマンみたいな辮髪とチャイナドレスが双璧であり、世界中に中国人のイメージを代表とするものとして認知されるようになった。



 しかし清朝が倒れてからは両者は対照的な運命をたどった。
辮髪は恥ずべき習慣として、漢族はおろか満州族の間でもあまり見なくなったのに対し、チャイナドレスは貴族的で洗練されたファッションとして生き残り、共産主義政権下では最初は反動的として嫌われたものの、現在では台湾・香港から逆輸入されて高人気である。
 両者の違いは、辮髪は“頭を留める者は髪を留めず、髪を留める者は頭を留めず”というキャッチフレーズ?で知られるように男性全員に強制されたので漢族からは嫌われたのに対し、女性のチャイナドレスは旗人(満州貴族のこと、チャイナドレスの中国語である旗袍は旗を巻き付けたような服ではなく旗人の服という意味)のファッションとして漢族も着用したがったというところにあるだろう。



 現在の美的センスから考えても、男性の辮髪は今ひとつであるが、女性のスリットがあるチャイナドレス(画像上は現代のコスプレ用)はなかなか魅力的である-もちろん着る人の体形にもよるが(笑)。

 その清朝を建国した満州民族というのは松花江・豆満江流域から興って華北を支配した金朝(1115-1234)を建てた女真(女直)族がモンゴルに滅ぼされた後は小部族に分裂していたものを、ヌルハチが統一して満州族(語源は“文殊”菩薩からとったとか諸説ある)と改名したものである。
 清朝が中国全土を支配した後も満州は民族の故地であり尚武の気風を保つために漢民族の移入は禁止されていたが、19世紀中ごろからその禁制が緩むようになり、ついに現在では満州族の人口比は数%になってしまい漢族の中に埋もれつつあるという次第である。

 漢族は元々黄河中流域に住む民族集団であったと思われるが、軍事的・文化的な征服に伴い漢族の範囲は次第に膨れ上がってきた。
 そのもっとも顕著な時代は三国時代を統一した司馬氏の西晋が滅亡し五胡十六国時代・南北朝時代を経て隋唐による統一までの4世紀から6世紀にかけての大内乱時代であり、この時代に漢族の定義はかなり広くなってきた。



 例えば隋朝の煬氏や続く唐朝の李氏はどう考えても漢族ではなく北方民族の鮮卑の一族だと思われるが、当時の“公式見解”として鮮卑系の王朝に仕えた漢族が北方民族の支配から脱して漢族の王朝を復活させたということになっている。

 そして現在はその時代に次ぐ漢族の大膨張時代であって、それは清朝支配下の19世紀に始まりその流れは少なくとも21世紀中は続くのではないだろうか。

 そして中国政府はこの流れに沿って“中国”というものの再定義を推進している。
 即ち中国は漢民族の国であるが歴史的にはモンゴル族の元朝や女真・満州族の清朝に支配されていた時代もあるというのが中国人も含めた世界の常識であったものを、中国政府はいやいやそうではない、すべては中国史の一部であってすべて中国人なのだと宣言したわけである。

 この流れによれば満州は中国の東北部にあるのだから東北地方と呼ぶべきだし、また歴史的に鴨緑江北部を根拠地としていた高句麗は中国の地方王朝だし、そこから分離した百済も中国の一部ということで、半島三国時代でいえば新羅のみが朝鮮史に属して高句麗・百済史は中国史の一部ということになる。



 中国ではこの運動のことを“東北工程”と呼んでいて韓国との政治問題に発展している。
 もちろん過去の歴史を現代の国家区分で分類する事などにはあまり意味がないのであるが、ナショナリズムが絡むとなかなかそうは単純にはいかない。
 客観的に考えれば契丹・女真・靺鞨・朝鮮等のツングース系民族には言語的・文化的共通点が多いので、満州国時代に流行った満鮮一体史観(特に池内宏)はかなり合理的だと思う。



 現在の北京の中心部を首都としたのは、金・元(フビライが現在の紫禁城から天安門広場にかけての内城-当時はもっと大きかったが―の原型を築いた)・明(3代目永楽帝以降)・清・中華人民共和国であり、ここ1000年ほどは古代からの中原の地に代り北京が中国の中心地であり続けているが、その大半は北方民族支配時代であった。

 要は軍事力・政治力の北が北方民族中心なのに対し、経済力の南が漢民族中心の対峙関係にあり、その大半の時代で北方民族が支配者であった。しかしその間に漢民族は政治的には支配されながらじりじりと文化的・民族的に支配領域を拡げていき、ついに現代では漢民族以外はすべて少数民族扱いにされてしまった中国で、その中心は本来北方民族との境界線として建造された万里の長城(画像下の八達嶺長城は北京郊外にあるので観光に便利)付近の北京になってしまった。



 現在の北京は米国に代り世界一の大国になろうとしている中国の中心地として人口約2000万のメガロポリスである。
 しかし少し前までは北京は満州族の首都として数百年の繁栄を謳歌しており、現在も八旗(満州族の部族分類)にちなむ地名や社会組織が残っており、そのため根強い人種偏見も存在する。

 現在、満州族として少数民族に分類されている人々は約1000万人であり、中華人民共和国成立直後は迫害を避けるため5万人程度しか登録せず、最近になって少数民族優遇制度の適用を受けるために1000万人まで増えたものの、差別(公式にはないが、所謂ガラスシーリングは存在するし、将来また差別政策が復活するかもしれない)を恐れて漢族として登録している人も多いと思われる。
 もっとも現在では満州語を話す人もほとんどいなくなり、ラーメンマンみたいな辮髪の人を見かけることもなくなってしまった。

 私がサラリーマン時代に所属していた会社は、数年前までその収益の多くを中国事業であげており、北京には大事業所がいくつか存在していた。
 したがってその社員には満州族や隠れ満州族?も多く、また当時の中国事業部門の代表者はイスラム教徒のウィグル人だったのであるが、彼らと話していても漢族との同化は忸怩たる思いではあるものの将来は不可避なのではないかと感じているように思った。

 今回は十数年ぶりに中国へ、そして初めての東北地方訪問であったが、満州国時代以来東アジア最大の工業地帯であったこの地方は現在は勃興する南部に押されて“ラストベルト”と呼ばれているようだ。
 中国が米国に代り世界一の大国になるかどうかはこの南北の格差がキーであると思われ、50年代から60年代にかけて米国を凌駕する勢いであったソ連が内部から崩壊したような経過をたどる可能性もある。



 瀋陽駐在(といっても他の顧客もいるので年の1/3程度か)は私ももう古稀を超えたので長くは続かないと思うが、まあ仕事だけでなく囲碁でも愉しみながら(画像上は故宮博物館の“伝五代南唐・周文矩・荷亭奕釣仕女図”、中国は囲碁発祥の地で、江戸時代初期に日本に追い越されたがその400年後の30年ほど前に逆に日本を追い越した)この歴史の流れを体感するつもりである。
 

 ついに古稀を超えてしまった。現代では70歳以上は少しも稀ではなくなったものの、少しは感慨もある。
 そしてこの齢になってであるが、ここ数年の評論家的立ち位置のコンサルタントから中国の半導体ベンチャーで研究開発業務に復帰・・・ということになりそうである。

 

 

 新卒から42年勤めた会社を上記ブログに書いた事情で退職して以来は、海外中心のコンサル生活が続いていた。

 

 

 上記ブログのように日本では海外というか外部の人間の知見を事業の中枢に活用しようとする企業文化がないので、どうしても顧客は海外に求めるしかないのであるが、それでも仕事としては評論家的な気楽な?業務が多く、まあこんなロートルにプレイさせてくれる職場はないだろうから歳相応かと考えていた。

 それが急転直下して研究開発の現場に復帰することになり、それもあまり経験がない半導体廻りで中国のベンチャーを顧客にしてということで、これまでのコンサル顧客であった欧州の独占企業や韓国の財閥系企業のようなノンビリした社風(ついでに云えば42年勤めた日本企業も、牧歌的雰囲気に惹かれて就職を決めたのだが)とは正反対の雰囲気の中で果たしてやっていけるのか?
 まあやってみなければわからないし、失敗したところで別に失うものもない・・・と開き直れるところが古稀の図々しさだろうか。

 なお10年前の還暦を超えた頃も生涯現役などと嘯いていたので、その頃のブログを引用する。

(2016年05月03日作成のブログから引用)
還暦を超えての今後の(無)計画

 映画“グランドフィナーレ”を観た。
 鬼気迫るマイケル・ケイン82歳、ハーヴェイ・カイテル76歳、ジェーン・フォンダ78歳と、全裸の若い女優たち(マグロ状態で並び食傷気味だが老若セレブがスイスのスパリゾートで過すという設定なので違和感がない)が対照的に描かれ、原題はyouth(若さ)である。



 なお以後の記述にはネタバレも含むが、本当にいい映画というのはむしろストーリーを知っている方が愉しめるものだと思う。
 今年観たというか昨年度の映画では、“完全なるチェックメイト”(原題pawn sacrifice)と“スティーブ・ジョブズ”とこの作品が面白かったが、前2作は有名人の伝記的映画でファンなら誰でも知っているストーリーであり、芝居だって前もってストーリーを知っておかないと楽しめないものが多い。

 マイケル・ケインはパーマー(画像下:007に対抗して製作されたシリアススパイシリーズで、若い頃から渋かった)時代からの大ファンであり、本作は間違いなく彼の最高傑作であろうし欧州系の映画賞を多数受賞した。



 ただアカデミー賞を逃したのは、今年は最初からディカプリオの涙の初受賞が暗黙の了解だった?という事情もあってちょっと運が悪かったかな。
 ケイン-今はケインというと別の意味(笑)を想像するようになったが-の役は半引退状態の老作曲家・指揮者であり、無気力状態で舞台となる超豪華スパリゾートに滞在中である。

 その大親友のハーヴェイ・カイテルはまだ現役にこだわる巨匠映画監督であり、全盛時に女優として発掘してコンビで多くの映画を作ったジェーン・フォンダと新作というか遺作を撮ろうとするが、彼女に“貴方はもう老いて駄作しか撮れない”と出演を拒否される。
 そして彼女の出演なしではとうてい新作製作は認められないという状況で絶望したカイテルは発作的に飛び降りて・・・

 このスパリゾートには様々な老いて過去の名声にすがる人物や、若く今が旬である人物が登場する。



その中でも強烈なイメージを残すのは老いてブクブク太ったマラドーナ(一瞬本人かと思うくらい雰囲気を出していた)を想起させる人物であり、テニスボールで(サッカーの)リフティングする人間業とは思えないテクニックを披露するが、少し続けると倒れて酸素吸入器が必要になるという体たらくである。
 そしてケインとカイテルがスパに漬かって健康話(笑)で盛り上がっているときに、全裸のミス・ユニバース(ルーマニア女優のマドリーナ・ゲネアが素晴らしい)が入ってきて二人が人生最後の?浴場じゃなくて欲情を覚えるというシーンもなかなかひねりがきいている。



 この映画では最初は無気力状態になっているケインとまだやる気満々のカイテルが対照的に描かれるが、最後はカイテルがポキッと折れてしまったのに対しそれを見ていたケインが自分の人生でやりたいことは何かと見つめなおし、そのグランドフィナーレとしてエリザベス女王主催の音楽会でタクトを振るというシーンで終わる。

 俳優はいい役があれば何歳まででもやれるし、歳を重ねて重厚な雰囲気を醸し出すこともできる。
 それでは他の職業・・・例えば私もその一員である一般的な勤め人はどうだろうか?

 自分が研究者として一番仕事に乗っていたのは30歳から45歳くらいまでという気がするが、通常はそのあたりで一線の研究からは退いて管理業務に転じる方が多い。また官民問わずそれなりのコースは準備されているし、いわゆる“大物”研究者というのは自分では研究しない研究管理者であるというケースが大半である。
 ただ私の場合はどこをどう間違ったのか、還暦を越してまだ自分でビーカーを振る生活を続けており、生涯現役などと嘯いている。

 節目節目のブログから思い出してみると6-7年前に年寄りの冷や水と言わんばかりの周囲の猛反対を押し切って始めた研究は、ライフワークのつもりであった。若い頃なら三つも四つも同時に研究プロジェクトを回していたのだが、その当時はもうそんな元気もなければ使える人・モノ・金も充分ではなかったし・・・
 それが還暦を前にしてなかなか完成せず会社からの評価も今一つの状態が続いていた。そこでもう社内はあきらめて海外で自分ごと(笑)この研究を買ってくれる顧客を探そうとして、米国で発表したのだが思いのほか好感触であった。

 

 


 そこで会社とも話し合い、還暦を超えて以後5年以内に海外顧客(国内はNGなのは国内顧客だとどうしても今の会社の競合になってしまうため)に私ごと売り込むという暗黙の了解で研究を継続することになった。

 

 


 しかしながら海外顧客(第一候補はボローニャに本拠を置く多国籍企業)との交渉を重ねてまとまり始めた段階で、急転直下でやはりこの研究を社内採用して社内事業としてグローバル展開しますという結論になった。

 

 


 海外で認められると国内でも認められるといういかにも日本的な事情ではあったが、私もこの歳になって海外で見知らぬ人の間で苦労するよりは社内で気心が知れた人と仕事をするほうが成果をあげやすいことは自明である。
 そこで結果オーライということで今の会社に残留することにした。経済的にもまあまあのオファーがあったし・・・
 社内の旧友からは会社を脅迫した結果じゃないのと皮肉られたが、別にそういう事情ではなく、お互いが最もハッピーになる途を模索した上の結論である。

 ただしその研究の社内でのグローバル展開のために陣頭に立ってほしいという要請は辞退することにした。
 多分私のような年寄りが考案者・発明者だからといってエラそうに口を出せば皆から煙たく思われるであろうし、そういう実務的な事業展開の仕事はおそらく私には向いていないからである。

 というわけでこれまでの研究はグローバル特許網の構築(これだけで7~8年かかりそう)を除いてすべて社内の別のチームに引き継ぎ、私は一から新しい研究を立ち上げることにした。
 これまで30年以上専門にしてきたセラミックスの世界からも離れ、学生時代から新入社員の頃にかけて少し齧っただけの有機合成の研究に戻るつもりである。

 そして何とか私の実験室に小さな合成装置を組み立てた。連休明けから初めての運転開始となる。
 そして来年には北九州に大型設備を導入するスケジュール(獲らぬ狸であるが)になっており、そうなると年に半分以上はそちらに滞在することになる。

 何年かかるか私にもわからないし、あまり考えてもいないという将来計画ならぬ将来無計画である。周囲もあきれてしまい、あと何年やるつもりですかと質問する人もいなくなった。
 マイケル・ケインがこの作品で82歳なら、私もそのくらいまでには何とかしたいものであるが・・・



 そして残酷な現実をカイテルに指摘したジェーン・フォンダ。78歳の御姿を出すとホラーになってしまうので、上画像は若い頃のバーバレラ(1968)から。
 自分は現実を見て華やかな映画女優からTVの汚れ脇役に転身しようとする役であり、久しぶりにスクリーンで観たが鬼気迫る女優魂ではあるもののあまり見たくなかったような気もする。

 自分としてはまあ現実認識ができなくてもいいさ。囲碁みたいにはっきり白黒がつく勝負事ではないので、錯覚から生じるパワーもあるかもしれないし。

 とここまで書いてきて気が付いたのであるが、マイケル・ケインは人生のグランド・フィナーレとして自分の“過去の”代表作で一世一代の晴れ舞台に指揮者として臨んだのであって、これから新作を撮ろうとしたハーヴェイ・カイテルの方は現実認識ができず悲惨な結果に終わっている。

(以上引用終了)

 

 

 ウーム、こうしてみると、古稀を過ぎて研究開発の第一線に復帰しようというのはハーヴェイ・カイテルみたいになる可能性(ましてや私には上記ブログのような”前科“がある)もあり、マイケル・ケインみたいに“昔の名前で出ています”という路線の方が安全かも。
 まあ安全第一というのもつまらないので、思い切って跳んでみるつもり。

映画

ゴッドファーザー (原題 The Godfather)1972

監督 フランシス・フォード・コッポラ (1939-)

キャスト ヴィトー・コルレオーネ:マーロン・ブランド (1924-2004)

     マイケル・コルレオーネ:アル・パチーノ (1940-)

 

原作

ゴッドファーザー (原題 The Godfather)1969

作者 マリオ・プーゾ (1920-1999)

 

 

 云わずと知れた興行面・芸術面を総合して映画史上最も評価が高く、1972年の公開時に世界史上最高の興行収入をあげた映画でもある。

 大ベストセラーとなった原作は1969年刊行であるがその前から大傑作として映画化は決定しており、日本語訳も映画公開前に刊行された。当時高校1年だった私も本屋で何気なく手に取って読んでみるとあまりの面白さに時間を忘れてしまい、読み終えてはっと気が付くと外は真っ暗だったのを覚えている。映画公開後に文庫化されたので購入して読み返したが何回読んでも新しい発見があり、映画と原作の理想的なマッチングだと思う。

 

 映画は原作をほぼなぞるようなストーリーであり、ドン・ヴィトーの若い頃のエピソードはpartⅡ(若きヴィトーとヴィトー死後にドンとなった息子のマイケルがクロスカッティングで描かれる)で映画化されたので、原作の大筋はほぼ完全に映画化されたことになる。

 

 

 ただし映画では時間制約があって500ページ近い原作をそのまま取り上げるわけにはいかないため、ヴィトーとマイケル(画像上:マーロン・ブランドとアル・パチーノ)の親子以外のエピソードは大半を切り捨てている。

 

 これに対して原作は20世紀初頭にイタリアから米国に渡った移民たちの群像劇という趣であり、虐げられた彼らを保護する存在としてコルレオーネファミリーが成長していくというストーリーになっている。

 

 なおこの映画ではマフィアという言葉はホンモノからの圧力があったため使わず慎重にファミリーと呼んでいる。なおマフィアというとイタリア系をすぐに思いつくし、語源も狭義にもイタリア・シシリア系のギャングであるが、イタリア系が力をふるったのは禁酒法時代(1920-1933)から1950年代までのまさにゴッドファーザーpartⅠ・Ⅱの時代であり、米国ギャングの系譜からいえば比較的短期間である。

 

 

 そして1901年に9歳で米国に来たという設定のヴィトーは本名アンドリーニであったが、英語ができなかったためエリス島移民局で故郷シシリーの街コルレオーネが姓だと勘違いされて(画像上はエリス島で自由の女神を見つめるヴィトー少年で名札にコルレオーネと記載されている)こう名乗るようになったが、ちょうど禁酒法時代と重なったことにより一大勢力を確立させることになる。。

 そして禁酒法が終わり、麻薬が主たる収入源になりそうな時代には、この商売を嫌ったマイケルはニューヨークからできたばかりのラスベガスに本拠を移してギャンブルとホテルの合法事業に軸足を移すようになる。

 

 

 その際に邪魔になったのがラスベガスを作った男として知られるバグジー・シーゲル(1906-1947)であり、映画ではモー・グリーンという役名で史実通り左目に銃弾を受けてマフィアに粛清される様子が描かれている。(上画像は1991年の映画“バグジー”でのタイトルロールのウォーレン・ベイティとヴァージニア・ヒル役のアネット・ベニングで二人は後に結婚した)

 

 

 またラスベガス進出にあたってのキーマンとなったのがフランク・シナトラ(画像上、1915-1998)をモデルとしたジョニー・フォンテーンであり、映画では馬の首のエピソードくらいしか取り上げられていないが、原作ではシナトラの生涯とほぼ重なるようにキャラクターが練り上げられている。

 シナトラはイタリア系であることを真正面から出した歌手であり、マフィアとのつながりは周知であって、ゴッドファーザーを映画化するにあたりマフィアと映画関係者の間をとりもってマフィアという言葉を使わないようにするとかイタリア人のイメージを損なわないようにするといった交渉を仕切ったとされている。

 

 馬の首の話はフィクションだが、マフィアの圧力により“地上より永遠に”(1953)の役を得たのは事実らしく、何とアカデミー助演男優賞まで獲得していて原作では“このアカデミー賞というやつは単なる仲間内の名誉賞なのかね?それともお前が大スターとしての人気を復活させるのに役立つのかね?(もしそうなら裏から手を廻して受賞できるようにするよ)”と尋ねられるシーンもある。

 

 

 画像上は地上より永遠の1シーンで左からモンゴメリー・クリフト、バート・ランカスター、シナトラ(主演女優はデボラ・カーで彼女が最高に美しかった)であるが、シナトラが一回り小さいことがわかる。真珠湾攻撃前夜の米軍オアフ島基地でチビのイタ公と虐め殺される正義漢という役であるが、シナトラそのままのキャラで名演であった。

 なおイタリア人にはチビだが好色というステレオタイプのイメージがありロッキーのニックネームが“イタリアの種馬”(スタローンと種馬Stallionをかけたもの)であるのはその好例だし、シナトラはその意味でも典型であった。

 

 

 2番目の妻だった大スタアのエヴァ・ガードナー(画像上はツーショット)のコメントとして“彼(シナトラ)は体重55Kgのチビだけどそのうち50KGはペニスなの”というのがある。ゴッドファーザーの出演俳優はリアルさを出すためにだいたいイタリア系なので小柄な方が多く、特にアル・パチーノは165cmと妻役のダイアン・レインよりも低いが、だからこそ逆にドンとしての迫力・重厚さを醸し出していた。

 

 またシナトラ(がモデルのジョニー・フォンテーン)はコルレオーネファミリーがベガスに本拠地を移す際の重要人物でもあり、彼の大スターとしての集客力とハリウッドとのコネクションが活用され、実際にシナトラはそれだけの力を持つ世界一人気がある歌手でもあった。なおシナトラの後を継いで世界一の人気歌手となったのがエルビス・プレスリーであるが、彼もマフィアとの関係でラスベガスから離れることができずそれが世界中をツアーで廻るビートルズとの人気逆転を許す大きな原因となったことが2022年の映画”エルヴィス“で描かれている。

 

 なおケネディは大統領になるにあたり、シナトラとそのつながりのあるマフィアの力をかなり借りており、これは彼が米国史上初のカトリック教徒にしてアイルランド系大統領であるため従来の特権階級であったWASPとの繋がりが薄かったためである。

 

 

 そのためケネディとシナトラとは個人的にも親しかった(上画像はツーショット)のであるが、当選後はマフィアとのスキャンダルを恐れて繋がりを断とうとしてこれが利権争いから後の暗殺につながったという説が有力である。

 もちろんこれはケネディとシナトラという個人間の対立ではなく背後にいるアイルランド系とイタリア系の利権争いがその背後にある。

 

 そもそもイタリア系ギャングが力を握るようになったのは20世紀の初めであり、それまではアイルランド系ギャングが米国の主流であった。映画でいえば1846-1863のNY・ヘルズキッチン(日本では小室眞子夫妻で有名に)を描いた“ギャングオブニューヨーク“(2002)が名高く、画像下は主演のディカプリオとダニエル・デイ・ルイス。

 

 

 当時はアングロサクソン系のWASPが米国の上流階級を形成していたが、英国からの弾圧に耐えかねたアイルランド人はジャガイモ飢饉(1845-1850この期間にアイルランドの人口は半減)を契機にその大半が米国に移民してしまい、新参者の彼らがのし上がるには非合法行為しかなかったのである。

 

 そしてケネディ家は現在米国では唯一の王族的存在で、NYのメトロポリタン美術館を訪問したとき、ジャクリーン・ケネディ(画像下はジョン・F・ケネディとの結婚式)愛用の化粧品なんてものが、古代エジプトの至宝の隣の展示室に並べてあって笑ってしまったが、この一族もアイルランドからこの時期に移民し、1858年生まれの実質初代パトリックが港湾労働者から酒場の経営へそして酒の輸入業者へとステップアップしていった。

 

 

 次の2代目ジョセフは禁酒法時代に密造酒の生産・販売を行っており、マフィアと緊密な関係にあった。そしていよいよ3代目が大統領になったジョン(1917-1963)であり、選挙において父・ジョセフの依頼でマフィアやマフィアと関係の深い労働組合、非合法組織により、ケネディのために買収や不正な資金調達、複数の州における二重投票など、大規模な選挙不正を行うことにより当選することができたというのが定説となっている。

 

 このように当時のマフィアは世界一の大国である米国の国政を左右するほどの実力を備えており。ゴッドファーザーで描かれたようなキューバやローマ法王庁の政争に介入したりするようなこともほぼ史実であって決してオーバーに描かれているわけではない。

 

 

 

 ただしその後は世界の非合法組織の主たる資金源である麻薬ビジネスは上記ブログのようにイタリア系マフィアから中南米の原産地を支配するラテン系に勢力が移るようになり、最初はコロンビア系がそして現在ではメキシコ系のギャング団が支配するようになって、イタリア系時代より桁外れに大きな資金力と軍事力(政府の軍隊とガチで戦えるくらい)を誇るようになっている。

 

 なおシシリーマフィアの発祥は、南イタリアからシシリーにかけて支配したフランスのアンジュー家(初代はシャルル・ダンジュー:シチリア王1266-1282、ナポリ王1282-1285)に対する抵抗であるとされている。

 シチリアのパレルモはホーエンシュタウフェン朝のフリードリヒ2世(シチリア王1197-1250、神聖ローマ皇帝1220-1250、西欧封建社会に君臨した事実上最後の皇帝でありエルサレムをムスリムから平和裏に奪還したことでも有名)が宮廷をおいていた世界の中心の一つであり、コルレオーネ村を建設したのもフリードリヒ2世であるとされている。

 

 

 ところが彼の死後、その後継者たちを虐殺してシシリアを支配したのがフランス・カペー朝の傍系であるアンジュー家であり、これに対して1282年にパレルモで反乱(シシリアの晩祷事件、上画像はフランチェスコ・アイエツによる絵画でヴェルディもオペラ化している)を起こした勢力のスローガンが“Morte alla Francia Italia anela”(フランスに死を、これはイタリアの叫びだ)で、その頭文字をつなげたのがMAFIAだというもので、異説も多いがこの説が一番ドラマチックだろうか。

 

 なおゴッドファーザーpartⅢのラストシーン、パレルモのマッシモ劇場における“カヴァレリア・ルスティカーナ”はまさにシシリアを舞台にした復讐の連鎖・ヴェンデッタを描く作品であり、このオペラをバックに関係者が次々と殺されていく血みどろの抗争劇は700年前のシシリア晩祷事件をモチーフにしたものと思われ、まさに“パレルモの悲劇”としての大団円は南イタリアにルーツを持つマリオ・プーゾとフランシス・フォード・コッポラの執念を感じる。

 

 現代国家は予算の多くを社会保障費や道路建設費などに廻しているが、ついこの間までは世界中どこでも国家予算の大半は防衛費・軍事費にあてるのが当り前であった。
 命あっての物種であるから、健康で便利な暮しよりもまず他国から攻められて殺されないように防衛が最優先ということである。

 日本は少なくとも歴史記述が始まって以後は強大な異民族が列島内に常住していなかったため、それほど大規模な防衛施設は必要ない場合が多かった。

 

 

 しかし対外的に緊張した時代-例えば天智天皇の時代、白村江の戦(663年)で唐に大敗(上記ブログでその古戦場の訪問記を引用)した直後は、大宰府防衛のための日本版万里の長城である水城(みずき・画像下はその航空写真であり規模の大きさがわかる)や北部九州・山口の各地に残る神護石(こうごいし)を築き、唐・新羅からの侵攻に備えた。



 画像下は福岡県行橋市に今も残る御所ケ谷神護石であるが、山全体を石垣で囲む壮大な要塞であり、もし関東・関西にあれば全国的に著名な大観光地になっているだろう。



 当時の宮殿である飛鳥板葺宮が文字通りの板葺きの掘っ立て小屋みたいなものだったのと比較しても、まさに国富と傾けた大工事であったと思う。
 ただし神籠石は山中にあるためか長い間忘れられた存在であり、その名前からも宗教施設であると誤解されていて、これが防衛施設・山城であることが確定したのは1960年代である。

 これが異民族との絶え間ない抗争の連続である大陸の国家となるとその規模は壮大になり、国家構成員全員が篭城できるような城壁都市が各地に建設されることになる。

 また戦国大名か誰かが云った諺?として“篭城戦に勝ったためし無し”というのがある。しかしこれは日本・海外を問わず全くの逆であって、通常の戦争というものは篭城側が勝つのが当り前であり、城にこもられると攻め手はお手上げなので周囲を略奪してお茶を濁すというのが常態であった。何となく攻城戦というのは攻め手の側が勝つことが多いような印象があるが、それは落城というのが非常に珍しい歴史に影響を与える大事件であるので、インパクトが強いというだけなのである。
 したがって国という漢字が城壁の中に玉がいることを示すように城壁に囲まれた地域を中心に国家というものは成立していたのである。

 そのため多民族を征服した大帝国というのは攻城戦に長けた国である。歴史に残る大帝国といえば、まずはアッシリア、次にアケメネス朝ペルシアを経てアレクサンダーとその後継者の諸国、真打としてローマというところだろうが、これらはすべて攻城・工兵技術の伝統が伝わってきた国・時代であるといえる。
 また攻城技術に長けているということは築城技術も優れているということであり、これらの大帝国は各地に堅固な城を築き防衛にあたったので、基本的に篭城側優位という状況は変わっていない。

 しかしローマ帝国が衰え中世の暗黒時代が始まると、それらの技術は失われ時代は再び群雄が各自の小規模な城に割拠する封建時代になっていった。
 なおヨーロッパではグレコローマンの栄光から1000年近く暗黒時代が続いたことからもわかるように、時代は常に進歩しているというのは我々の世代に多い短期間の自分の経験からしか考えられない錯覚・楽観論に過ぎない。もっとも最近の若い人はむしろ退歩の時代を肌で感じているかもしれないというのはちょっと残念な時代になったものであるが。



 また中国の万里の長城(画像上は北京近郊の八達嶺の部分)といえば、無用の長物の代名詞のように現在では考えられているが、これは全くの逆であって世界の大半を征服したモンゴル軍団くらいでないと踏み破れないほど防御効果があったというべきである。
 そうでなければ春秋戦国時代からつい最近に至るまで延々と建設され続けた(秦の始皇帝が建設したというイメージが強いが現存するのは明代のものが多い)わけがなく、明が清に滅ぼされた時も天下分け目のサルフの戦い(1619)で明に完勝した清軍も山海関(満州の関東軍というのは箱根の関より東という意味の関東とは関係なく、この山海関より東という意味)から延びる長城を越えることは不可能であり、それが可能になったのは守将呉三桂の裏切り(背後から李自成の反乱軍が迫っておりやむを得ない面もあった)によるものであった。

 古代の遺跡・歴史的建造物観光といえば、宗教施設と防衛施設が双璧であるが、防衛施設はまさにその機能美というか“用の美”のようなものを感じる。
 数世紀にわたり敵の攻撃を跳ね返してきた城壁はその代表であり、日本では加藤清正が築いた熊本城は近代戦の時代になっても西南戦争で薩軍の攻撃をしのいだ。天守などが西南戦争で焼失しなかったら、姫路城なんか問題ならないくらい日本一の城として認知されていたのではないだろうか。



 個人的にはネブカドネザル(在位紀元前605-562)が築いたバビロンの城壁(画像上は想像図で中央を流れるのはユーフラテス川)に一番興味があるが、とうの昔に地中に埋まってしまい、その一部は残念な復元のやり方で・・・

 このような技術的な進歩や衰退はあったものの、古代からほぼ一貫して続いてきた篭城側・防御側優位の時代に幕が降りたのは新しい技術である大砲の出現の要素が大きい。史上最大の攻城戦といえば、日本では豊臣家が滅んだ大阪冬の陣・夏の陣(1614-1615年)、海外では2000年以上続いたローマ帝国が最終的に滅んだコンスタンチノープル攻略戦(1453年:画像下)であろうが、いずれも当時の新技術である大砲が大きな役割を果たしている。



 そして大砲の進歩により城壁というものは存在価値が低下していく。現代では利便性の観点からほとんどの城壁が破壊されてしまい、完全な形で残っていて観光客を集めているのは西安(唐代の花の都長安だが現代に残る城壁は一回り小さい明代のもの)、エルサレム(大半はオスマン・トルコ時代のもの)、ニュールンベルク(大戦時の空爆で壊滅的な打撃を受けたがここまで完璧に復元させればある意味オリジナル以上の見ものかも)など限られた都市であるのは遺跡オタクの私としては残念である。

 そして現在では航空機・ミサイルや核兵器の出現により攻撃側優位はますます顕著になりつつある。今や”防衛”という概念そのものが敵の攻撃を直接防ぐというよりも、敵に攻撃されたときに報復攻撃の準備をしておくことに重点が移っている。

 しかしそういう時代だからこそ”防衛のための攻撃”ではなく、”防衛のための防衛”技術というのは世界平和のために意義があるのではないだろうか。

 私は以前に大砲のような物理的な力に対する防御と核兵器のような放射線(その中でも特に有害なのは中性子線)に対する防御の両方を可能にする防護材料というのを研究していたことがある。
 これは物理的な衝撃というのは防護材中を伝わる衝撃波の速度と拡がりで決定され、それは単位重量あたりの弾性率の函数であるというballistic materialの考え方と、防護材そのものの原子核変換による中性子吸収をハイブリッドさせた設計思想(特許や論文で公開しているので機密事項でも何でもない)であった。

 特に当時将来核兵器の主流となると予想されていた中性子爆弾に対する防御としては最適と考えられ、その旨下記ブログようにペンタゴンでプレゼンをしたこともある(防衛庁にはそのような危機感は全く無かったため、結局は物理的衝撃に対する防御のみが議論の対象に)。

 

 

 中性子爆弾はその後核兵器の主流からは外れることになり、結局は私の研究も中性子吸収材料に関しては下記ブログのように中性子の有効利用(特に医療・バイオ分析の分野)に重点を移すことになった。

 

 

 私が防衛分野に関わったのはそのときだけであるが、日米の防衛に関する意識の差には考えさせられたものである。
 また世界で最も防衛に関して敏感なのはイスラエルであり、下記ブログのようにウジ―マシンガンやメルカバ戦車で有名なIMI社に売り込みをかけた際の先方の“我々の基本設計原理はまず生き延びることです”というコメントは非常に強く印象に残っている。

 

 


 現代は実に平和な時代であり、少し前まで人類にとって最重要であった”敵の攻撃に対してどう防衛して生き残るか“という課題に対して、通常はあまり考える機会もない。
 しかしこれはまさに例外中の例外の異常な時代であり、明日にもその状況は変わるかもしれない。そう考えれば我々日本人の平和ボケは、周囲にどのような国が存在するかを考慮すれば大きな問題であろう。



原作者:イアン・フレミング (1908-1964)

<ジェームズ・ボンド:ショーン・コネリー (1930-2020)>
ドクター・ノオ(1962) 原作 Dr. No(1958)
ロシアより愛をこめて(1963) 原作 From Russia, with Love(1957)
ゴールドフィンガー(1964) 原作 Goldfinger(1959)
サンダーボール作戦(1965) 原作 Thunderball(1961)
007は2度死ぬ(1967) 原作 Only You Live Twice(1964)

<ジェームズ・ボンド:ジョージ・レーゼンビー (1939-)>
女王陛下の007(1969) 原作 On Her Majesty’s Secret Service(1963)

<ジェームズ・ボンド:ショーン・コネリー (1930-2020)>
ダイヤモンドは永遠に(1971) 原作 Diamonds are Forever(1956)

<ジェームズ・ボンド:ロジャー・ムーア (1927-2017)>
死ぬのは奴らだ(1973) 原作 Live and Let Die(1954)
黄金銃を持つ男(1974) 原作 The Man With The Golden Gun(1965) 
わたしを愛したスパイ(1977) 原作 The Spy Who Loved Me(1962)
ムーンレイカー(1979) 原作 Moonraker (1955)
ユア・アイズ・オンリー(1981) 原作 For Your Eyes Only (1960)
オクトパシー(1983)
美しき獲物たち(1985)

<ジェームズ・ボンド:ティモシー・ダルトン (1946-)>
リビングデイライツ(1987)
消されたライセンス(1989)

<ジェームズ・ボンド:ピアース・ブロスナン (1953-)>
ゴールデンアイ(1995)
トゥモロー・ネバー・ダイ(1997)
ワールド・イズ・ナット・イナフ(1999)
ダイ・アナザー・デイ(2002)

<ジェームズ・ボンド:ダニエル・クレイグ (1968-)>
カジノ・ロワイヤル(2006) 原作 Casino Royale(1953)
慰めの報酬(2008)
スカイフォール(2012)
スペクター(2015)
ノー・タイム・トゥー・ダイ(2021)

(シリーズ以外の番外作品)
カジノ・ロワイヤル(1967)  原作 Casino Royale(1953)
ネバーセイ・ネバーアゲイン(1983)  原作Thunderball(1961)

 映画は現在までシリーズで1962年から25作制作されており今後も当分続くと予想されるので世界史上最も成功した映画シリーズといえるだろう(興収だけならスターウォーズとかマーベルのシリーズの方が上かもしれないが)。
 私も1965年のサンダーボール作戦からは封切りで、それ以前の3作はリバイバルか名画座でと全て劇場で観ており、子供心にボンドのカッコ良さとボンドガールの色気(下画像は初めて観たサンダーボール作戦のクローディーヌ・オージェでビキニに水中銃という姿が衝撃的)に圧倒されたものである。



 イアン・フレミングによる原作は1953年からで長編12作にプラスして短編集や雑誌掲載分もありほぼすべてがハヤカワミステリと創元から邦訳されており私も全部読んでいる。
 なお小説としては最初からそれほどヒットしたわけではなく、映画化第一作のドクターノーも低予算映画だったし、映画が第三作のゴールドフィンガーくらいから有名になりそれから小説も売れ始めたというのが実態に近い。

 フレミングはイートン校から欧州各地に遊学という典型的な英国紳士であり、第二次大戦中に諜報活動に関わったことから自分の経験を基にボンドシリーズを書き始めた。
 その作風は、従来の英国における主流であった重厚なリアリズム派スパイ小説(代表作としてサマセット・モームの“アシェンデン”やグレアム・グリーンの初期諸作)とは対極にあり、米国のハードボイルド的な暴力やアクションを描くが背景設定としては華やかで享楽的というもので、あまり”文学“としては評価されなかったが映画には向いていた。
 なおフレミングは文学的低評価に反発したのか1962年の私を愛したスパイ(The Spy Who Loved Me)では性的描写を含むリアリズム調の異色作を発表したが、単なるポルノと酷評され、1977年の映画化時には採用されたのはそのタイトルだけだった。

 したがってボンド役には典型的な英国紳士(のように見える)役者をフレミングは希望していたのだが、選ばれたのはガサツな(よく言えばエネルギッシュな)ショーン・コネリー(下画像は”ドクター・ノオ“撮影時のフレミングとコネリーのツーショット)であり、フレミングは自分のイメージと正反対と反対したらしい。



 しかしこの人選は大正解であり、以後のボンドのイメージを決定付けることになった。
 またボンドはスコットランド人という設定であるがこの点でも典型的なスコットランド気質であるショーン・コネリーはぴったりと思われたのかもしれない。

 なおショーンとかシェーンとかいうのは典型的なケルト系(アイルランド・スコットランド・ウェールズ)の名前であり、英語ならジョン、他言語ならジャン、ヨハン、ヨハネス、ハンス、フアン、ジョアン、ジョヴァンニ、イヴァン、イアン、ヤーノシュ、ヤンなどに対応している。(下記ブログ参照)

 

 

 2000年にわたるゲルマン人とケルト人との抗争は、アングロサクソンのブリテン島への侵攻以来、イングランドとスコットランドの対立感情に受け継がれている。

 そして2012年の”スカイフォール“(個人的には一番傑作だと思う)はボンドの出自がスコットランドであることを正面から取り上げた作品であり、ラストシーンのボンドらが原始的な武器で強大な敵をスコットランドの生家で迎え撃つのはカローデンの戦い(1746)でのハイランダーをイメージしたものであろう。

 英国紳士のというかフレミングの嗜みとしては酒とギャンブルがまず挙げられるが原作と映画にもたっぷりと取り上げられている。
 酒では”ウォッカ・マティーニ、ステアでなくシェイクで“という名セリフが有名であるが実は原作にはそんなシーンは少ない。

 

 

 ボンドのイメージからしてもカクテルなんて軟弱な?ものは似合いそうもなく(上記のブログのような混ぜるためにできた酒はないと言った開高健のイメージも同様で影響を受けたかも)、原作で好んで飲んでいるのはストレートのウォッカであり、またシェイクなんかしたら水で薄まってしまう。これはおそらくはマティーニはオリーブが飾られているので一目でわかること(下画像はダニエル・クレイグ)とシェイクの動作はステアに比べて派手なため、映画向きであることからの脚色であろう。



 なお原作にはウォッカにコショウを加えて“昔のソ連のウォッカはフーゼル油が混じっていたのでコショウで沈降させて飲んでいるうちに癖になってしまって”とつぶやくシーンがあり、こういう武骨な飲み方がボンドには似合っていると思う。

 ギャンブルに関してはカードゲームで有名なシーンが多く、特に2006年の“カジノ・ロワイヤル”は悪役ル・シッフルとのカジノでのカード対決(画像下)がクライマックスとなっている。



 ところでこの画像でプレイされているのはポーカーのバリエーションであるテキサス・ホールデム(2枚の手札と最大5枚の場札を組み合わせて役を作り、場札が公開されるごとにベットしていく)であるが、1953年の原作ではバカラであり、番外編のカジノロワイヤル(1967:画像下、ボンドが5-6人出てくるドタバタコメディーであるが、同時期のシリーズ作”007は2度死ぬ”よりもむしろ大作)でプレイされているのももちろんバカラである。



 これは50年代から60年代にかけての欧州社交界が華やかであった頃のカジノでのカードゲームといえばバカラだったからである。
 しかしながらバカラはカードカウンティングのイカサマ(といっていいのかわからないが現在ほとんどのカジノで禁止されている)を本質的に防止できないし、アジアのカジノがバカラの本場になって欧州上流階級のシンボルとしての位置付けも微妙になったし、ルールがあまりにも単純(だからこそ奥が深いという見方も)ということもあって、しだいにテキサス・ホールデムに他のカジノ・カードゲームも含めて欧米では駆逐されつつあるようだ。

 なお原作でのカジノはフランス・ノルマンジーのローカルなカジノという設定であったが映画ではモンテネグロ(ロケ地はチェコ)という設定であり、要はモンテカルロのようなド派手で観光客だらけのカジノではなく落ち着いた場所だからこそ血なまぐさいシーン(原作も映画もBDSMシーンは最も強烈)が映えることを狙っているのだろう。 

 またカードゲームシーンを詳しく解説している作品としては、“ムーンレイカー”の原作ではコントラクトブリッジのシーンが10数ページにわたってお互いにイカサマをしかけ合う詳細な手の描写と共に書き込まれている。しかしながら訳者がブリッジのルールを全く知らないので、抱腹絶倒の珍訳(少なくとも初版は)になっていた。
 これはブリッジというのは親になったプレーヤーがパートナーの手をさらして二人分プレーするというゲームであるのに、訳者はこれを知らずにナポレオンと副官のつもりで訳しているのでとんでもない展開になっている。

 それだけブリッジというのは日本ではあまり人気がないゲームなのであるが、1964年のゴールドフィンガーでは、オリジナルではグランドスラム(ブリッジでは一番高い役)計画といっていたのが、字幕では満塁ホーマー計画と意訳?されていたこともあった。
 なおコントラクトブリッジは欧米では非常に人気があって世界選手権のバーミューダボウル等が有名で、チェスと並んで最も多種の戦略書籍が出版されているスポーツ(海外ではこの種ゲームはスポーツ扱い)とも云われている。

 私はゲームフリークでありブリッジも本で少しだけ齧ったが、私の友人で囲碁とブリッジの両方で何度も全日本を制したK氏のパートナーとして少し教えてもらったものの、本からの知識は全く通用しなかった。囲碁では本を読むだけの2年間で下記ブログのように初段くらいまでいったのだがやはりブリッジは対人ゲームで対盤ゲームの囲碁とは異なり実戦を重ねないとその本質が理解できないようだ。

 

 

 K氏は常に穏やかな物腰で試合中も殺気立った表情を見せない“本物の勝負師”で、私が囲碁で頂点に立てなかった(団体戦では学生・社会人時代を通じ何度も日本一になったのだが)大きな原因の精神面の未熟さをいつも反省させらる。



 さてこのような”飲む”・鬱(原作のボンドはフレミングの気質を反映しているのかかなり鬱気味なのだが)じゃなくて”打つ”ときたら次はボンドの真骨頂である女性関係であるが、最新作では飾り物的なボンドガール(今はボンドウーマンというらしい)は出てこないどころか007その人に黒人女性が起用される(画像上、ダニエル・クレイグ=ボンドは引退したという設定のため)というストーリーで驚いた。
 Mに女性(ジュディ・デンチ)がマネーペニーに黒人(ナオミ・ハリス)が起用された時は驚くどころかこれまでで一番のハマリ役でいいと思ったがさすがに007本人が黒人女性とは・・・まあこれが世の中の流れというものだろうか。

 食べ放題とか飲み放題とかの“放題”は何か人をウキウキさせる響きがある・・・というかあった。
 しかし“飲み放題”に関しては居酒屋での宴会では幹事の手間を省くために当り前になり、食べ放題ではホテル・旅館の朝食メニューでは店の手間を省くためにこれも当り前になった。



 一時流行ったバイキング(これは日本独自の呼び名で北欧にはそんな料理はない)とかビュッフェ(本来はセルフサービス形式のパーティーという意味であるが店舗で採用すれば結果的に食べ放題になる)といったレストランもほとんどが廉価店となり、例えば50年ほど前の開店時にはお洒落なピッツェリアチェーンだったシェーキーズは今や高校生御用達のピザ食べ放題店である。
 これは元々米国に数多くあった“All You can Eat”方式のレストランが廉価エスニック料理中心であることからも当然の帰結である。

 現段階でまだ人気がある形式としてはオードブルビュッフェにメイン料理をプラスするコース料理仕立て(日本で有名なのはニューヨークグリル)であるが、私が40年ほど前に初めてフランスを訪問した時は中級程度(ワイン込みで一人3-5千円ほどであり、あの頃の円は強く欧州の物価は安かった)のレストランでこの形式が大流行していた記憶がある。

 まあ料理の全て(又はその大部分)が食べ放題だと原価計算上もそんなに美味しいものが出てくるはずもないが、その一部だけが食べ放題ならばどうか?



 そういう意味では私は味とCPの両方で最強だと思うのは丸亀製麺のネギかけ放題であり、店舗自体もうどんが見えなくなるくらいネギをトッピングすることを推奨?しているので私も罪悪感(笑)なしでその推奨に乗っかっている。
 まあネギにそれほど興味がない方にとってはこのサービスはあまり食指をそそられないであろうが、私は香味野菜が大好きで日本のものだと特にネギを好み、お好み焼き店に行けばネギ焼きを注文し、ラーメンチェーン店なら魁力屋(なぜか京都発祥のラーメン屋はネギ入れ放題の店が多い)をよく利用している。



 またタイでは下記ブログのようにレストランでは無料のパクチーがボウルに山盛り(上画像はイメージ)でサービスされるのをあらゆるメニューに料理が見えないくらい手づかみでぶっかけて、さらにお代わりボウルをもらうのを常としていた。

 

 


 おまけに丸亀製麺は最近入れ放題トッピングにネギに加えてワカメを追加して、ライバルのはなまるうどんをさらに引き離しにかかかったようだ(現在店舗数が倍、売り上げ4倍に利益10倍)。正直うどんだけならはなまるの方が少し美味しいと思うが、どちらももちもちした讃岐うどんであることに大差はない(下記ブログ参照)ので、やはり“放題”の魅力には勝てないと思う。

 

 

 なお丸亀製麺は“釜揚げ”の方が“かけ”や”ぶっかけ“より安いという異常な値段設定でも知られているが、これは看板メニューの釜揚げに顧客を誘導したい(早くさばかないと熱湯内で保存しているのでふやけてしまう)という意味にプラスして、つけつゆのお椀は丼に比べると小さいためネギをそんなに大量には入れられないという理由もあるのかもしれない。もっともそういう客のためにネギ(等)を入れる別容器を準備しているという至れり尽せりのサービスぶりではあるのだが。

 また魅力的な食べ放題としてはわんこそばや韓国料理のバンチャン・ブラジル料理のシュラスコ等も有名であるが、何と云っても横綱格はチーズワゴンだと思う。



 フランス料理のコースで最後のチーズは日本ではだいたい有料であるが、フランスでは原則的に無料で、ワゴンで数多くサービスされるものを何でもいくらとっても良く、私はだいたい(数がそれほどでもなければ)全種類試してみることにしている。
 まあこれは日本ではチーズをそれほど大量に食べる方は少ないので無料にしては不公平になるし、フランスで無料なのはチーズに合わせてのワインの追加注文を期待しているからだろう。

 私は学生時代の一時期、晩飯はチーズ数種類とパンに赤ワインだけで済ましていたほどのチーズ好きであり、特に山羊やウォッシュ等の癖が強いものを好んでいる。
 そして仕事でフランスに滞在していた時のこと、ロックフォールの産地を通りかかった時に田舎のレストランに入ると、看板メニューがロックフォールのパスタとあったので、日本でもよくあるゴルゴンゾーラを溶かしてパスタに絡めたものだろうと思って注文してみると、意外にもサラダ仕立てでパスタ以上の大量のロックフォールであえた料理であって感激したのを覚えている。

 また買収したロワール川中流域(ホテルの庭にはシャロレー牛が放牧?されているほどのド田舎)の工場に技術指導(私が開発した技術が採用されていた)で滞在していた時、現地のローカルなチーズであるサントモール・ドゥ・トゥーレーヌ(画像下:円筒形のシェーヴルで中央に藁を刺している)を毎日のように食べていたが(周辺には一切レストランはなくホテルのダイニングでシャロレービーフとこのチーズが定番)、その後このチーズはブレイクして世界中で有名になり日本でもちょっとしたチーズ専門店なら買えるようになった。



 そして上記のフランス工場(プラス西ドイツ工場で2工場体制の企業)の買収(といってもマイノリティーだが)にあたっては所有者であるフランスの世界最大のセメント会社から株を譲ってもらう必要があった。
 そしてその会社の創業一族夫妻との最初の顔合わせの席となったのが、パリのトゥール・ダルジャン(画像下は改装後の店のホームページからで、当時はこんな開放的な雰囲気ではなかったがセーヌ川とノートルダム大聖堂を臨む大パノラマはよく覚えている)であり、この私が開発した技術がいかに双方の会社にとってまた人類の進歩にとって有益であるかに関して熱弁をふるった覚えがある。



 私にとっては海外どころか日本でもしたことがない初めてのホスト役接待で、英語での会話も負担になりどんな料理が出たかなんて全く覚えておらず、有名な鴨のナンバープレートも記憶にない。
 ただ唯一憶えているのが食後の豪勢なチーズワゴンであり、交渉がうまくいって(まあだいたい下交渉で合意はとれていたのではあるが)ほっとして我に返り、例によって全部と・・・さすがにおかわりまではしなかったがゲスト夫妻とはチーズに関して話が弾んだ。

 なお私はセラミックス系の素材開発を新入社員時代から退職してフリーランスになった今も専門としているのだが、この件をきっかけにして外国人相手の交渉力に長けていると思われるようになり、この手の仕事がよく廻ってくるようになった。(下記ブログ参照)

 

 

 

 


 外国人は一般的には日本人より大量に食べ飲酒量も多いが、この点では私はあまり人に負けたことがなく(所謂鯨飲馬食であるが酒を飲まない時は少食)、これは相手と打ち解けて交渉をスムーズに進めるのに役立っているかもしれない。

 母が享年100歳で亡くなってからもう5年になる。(下記ブログ参照)

 

 

 最後の10年ほどは病院に連れていくために月に一度くらいは故郷の松山に帰省していたのだが、それ以後は松山との縁が切れてしまい最近は高校の卒業50周年同期会に出席したくらいである。(下記ブログ参照)

 

 


 したがって両親の墓参りにもほとんど行けていないのだが、母の口癖で”お墓とか葬式とかは生き残った人の自己満足のためにあるのだから、死んだ人を気遣う必要は全くない“というのに私も同感して、あまり気にしないことにしている。
 なお本当に気になる場合には、下記ブログに書いたように青森県の恐山を訪問して直接本人?とコンタクトしてみるという手段もあるので、参考までに。

 

 

 まあ私もそのうち死ぬのだが、その後のことなんか全く興味がなく子供たちが勝手にすればよいと思っている。たいした遺産もないし、先祖代々の菩提寺も後継者が数年前にいなくなったし(両親が墓を寺から市営墓地に移したのは正解だった)、そもそもその頃は宇宙葬の時代になっているかも。



 松山には高校卒業までしかいなかったので所謂“夜の街”(画像上の大街道の東側であり、中四国では広島に次いで賑やかだった。なお西側は子供でもOKの“昼の街”)にはあまり詳しくなかったのであるが、頻繁に帰省するようになると馴染みの店もできそこでの偶然の?出会いの話を以下の日記から引用する


(2014年06月12日 作成)
 最近母の調子が思わしくないので故郷の田舎町によく帰省するようになった。
 思わしくないとはいえ93歳にしては驚異的に元気であり、先日生まれて初めて!の入院で癌の摘出手術をしたのだが、転移もたいしたことがなく主治医からこの癌で死ぬことは無いですと太鼓判を捺されるくらいである。

 しかし以前のような夜更かし(母と深夜まで囲碁を打っていると私の方が先にダウンしてしまったものだったのだが・・・)をすることがなくなったので、母が眠った後に私が夜の街に飲みに出かけることが多くなった。
 故郷の町は所謂地方中心都市であるが、ここ数十年は帰省するたびに夜の街が淋しくなっているようだ。

 これは日本全国どこに行っても感じることであり、今や日本の都市の盛り場は京浜・阪神・博多の三大都市圏(もう30年以上行っていないのでわからないが札幌は勢いがあると聞くので四大都市圏か)以外はジリ貧になりつつあるようだ。



 例えばこの三十数年の半分近く住んでいた北九州のシャッター街化(これを逆手に取って画像上のようにシャッターアートで街興しなんてのもあるが)は目を覆うほどであり、名古屋・京都の繁華街も昔の賑わいは無い様に感じる。
 これはおそらく都市のドーナツ化現象であり、所謂飲み屋街が昔ながらの中心部繁華街から郊外の住宅街の近くに移ってしまったからであろう。
 この現象は米国が先輩格であり、初めての都市に出かけるときにダウンタウンにホテルをとってほしいと依頼すると、私は繁華街に泊まりたいと希望したつもりなのに、先方から“淋しいダウンタウンになぜ宿泊したいのか?賑やかな郊外(笑)にしておきなさいよ”とよくいわれたものである。

 そんな故郷の町のさびれつつある繁華街であるが、先日の夜にうろついていたとき(私は下記ブログのようにバーホッピングで夜の散歩?が大好きだった)に路地裏に珍しく人が溢れている立ち飲みバーを見つけてふらりと入ってみた。

 

 

 驚いたことにカウンター内のスタッフはカタール人(アラブ人)、パキスタン人(ロシア系とのことで見かけは普通の白人)、韓国人女性二人(バイトで入った交換留学生)であり、そして左隣の客はアルゼンチン人、右隣の客はポーランド人とバラエティー?に富んでいる。
 そしてどの酒もショットで3-500円という安さであり、カウンターに椅子を並べれば8席くらいしか取れそうもないスペースに50人程度の客が入り、半分近くは路地に溢れ出ている。

 どこでも外人客が多い店は安いとしたものだが、これは私が現在住んでいる茅ヶ崎はサーフィンのメッカ?であるため、(一般的には金がない)サーファーが集まる店は安いというのと同じ理由であろう。
 なお私はサーフィンどころか茅ヶ崎の海に入ったことすらないが、この基準で飲み屋を選ぶためレジェンドクラスも含め(というか湘南の波はショボいので昔の著名人が残っているだけかも)サーファーたちとはずいぶん親しくなり、彼らのサーフィンのために生きるという人生観は何か理解できるような気がしている。

 さてその故郷の町の立ち飲みバーで、後ろで飲んでいたトルコで発掘中というヒッタイト史学者と知り合い話がはずんだ。



 彼によればヒッタイト(画像上)が製鉄技術を発明(少なくとも最初に普及)したため鉄製武器でオリエント諸国の覇者(紀元前1274のカデシュの戦いでエジプトを破ったのが有名で史上初の国際平和条約を締結した)になったという一般的常識?は全くの間違いであり、当時の鉄は貴重品で武器にするなんてとんでもない話で、せいぜい装飾品程度ということである。
 後で調べてみると、大学の製鉄史研究センターだかの所長でヒッタイト史の世界的権威みたいなので、どうやらこれが最新の学説のようである。

 

 

 私の専門はセラミックスであるがどちらかというと粉体工学寄り(詳細は上記ブログ参照)であるため、このセラミックスで培った粉体工学の知見を金属-特に最もメジャーな金属である鉄の製造に応用したいというのは昔からの夢であった。
 もちろん粉末冶金というのは昔からある製法だし日本刀の世界は典型的な粉末冶金技術であるが、私が考えているのは砂鉄からではなく鉄鉱石からの直接粉末冶金技術である。

 十数年前に思い付いて特許だけは取得したのだが、残念ながら実用化のための要素技術が不足でこれまで放置してきた。



 北九州に長年住んでいたため製鉄会社の技術陣に相談したこともあるが、彼らの反応は“鉄の精錬はヒッタイト以来3500年かけて現在の高炉(画像上)・転炉の形に進歩してきたものであり、素人が思いつきでモノを云ってもねえ・・・”というものであった。
 そして鉄の粉末冶金では世界最先進国であるスウェーデンから前記特許の引き合いが来たこともあるが、私が実用化のための要素技術のアイデアを持ち合わせていないことがわかると当然ながら引かれてしまった。

 

 

 今実用化に向け米国でのマーケティングを立ち上げようとしている研究テーマ(その顛末は上記ブログ参照)は、もちろんセラミックスを第一ターゲットにしたものであるが最終的には粉末冶金-特に鉄の製造に応用するための要素技術になるのではないかと密かに期待している。

 先日のバーで製鉄史の権威に出会ったというのも、偶然ではなく何かのめぐり合わせかもしれない・・・というのは楽観(私の囲碁関係者内でのニックネームは楽観派のキョショーであり、囲碁の形勢判断に限らず何でも楽観的に考えるのは子供時代から)を通り越してオカルトか神頼みのレベルかもしれないが。

 先日7月25日発行の月間アフタヌーンで幸村誠の“ヴィンランド・サガ”が20年の連載を終え、全220話で完結した。



 私が一番好きだった漫画であり、突然の終了は残念であるがストーリー的に余韻を残してこの辺りで終わるのが妥当かもしれない。

 ヴィンランド・サガはバイキング全盛時代の11世紀初頭に、コロンブスに500年近く先駆けて北米に植民したバイキングの一団を描いたもので、主人公のトルフィンは実在の人物であるソルフィン・カルルセヴニ(970-?)をモデルにしている。
 画像下はフィラデルフィアにある彼の像であるが、コロンブスよりは平和のシンボルとして好適で、この漫画は欧米でも人気であるから今後ブレークするかも。



 物語の最初の2/3はアイスランド・イングランド・デンマーク・バルト海南岸を舞台にクヌート大王(在位1016-1035)の覇権確立と並行してトルフィンが成長し、最後の1/3がトルフィン率いる開拓団の北米での活動が描かれている。

 フランスの大河小説でシリーズ映画化(画像下はタイトルロールのミシェール・メルシエのクレタ島での奴隷市場シーン)されたり、木原敏江による漫画化を原作に宝塚でも何回もミュージカル化されたりもした“アンジェリク”が、邦訳された分の全26巻では最初の1/3が欧州・地中海・北アフリカで、新大陸(カナダのフランス植民地ヌーベルフランス)に渡ってからが残り2/3というのと似ている。



 なお映画も漫画も宝塚も最初の欧州時代しか取り上げていないが、この小説の本題は新大陸に移ってからであり、邦訳終了以後もカナダでの活躍が延々と続き、最後はフランスに帰国してルイ14世と再度対決するというストーリーらしい。

 ヴィンランド・サガも同じようなペースだと私が(作者も?)生きているうちは完結しないのではないかと懸念していたのであるが、幸いなことに・・・
(以後は最終回のネタバレが含まれます)


幸いなことに急転直下で完結して正直ほっとしている。ひょっとしたらさらに奥地に移動して延々と開拓が続き彼らの行方は誰も知らない・・・という終わり方かもと思っていたのだが。
 なお史実ではこの植民事業は原住民との対立により結局成功せずにグリーンランドに引き上げたわけであるので、史実通りの結末といえるだろう。ただしそれは単なる失敗ではなく、欧州での争いを逃れて理想の国を創るための企てでありその理想を達成するためには原住民と争うわけにはいかないということで、さらに理想に向けて再度挑戦しようというポジティブな終わり方になっている。

 私が漫画に一番嵌っていたのは昭和30年代の月刊誌全盛時代(下記ブログ参照)

 

 

であって、当時は手塚治虫の”鉄腕アトム“、横山光輝の”鉄人28号“、白戸三平の”サスケ”などに夢中になっていた。
 それが週刊誌全盛時代になるとどうもそのペースの速さがうっとおしく感じるようになり、またストーリー漫画そのものにあまり興味が持てなくなった(いしいひさいちのギャグ・4コマは大好きだったが)こともあって、長年漫画から遠ざかっていた。

 それが20年ほど前から下記の三つの漫画に嵌って、連載を追いかけるようになった。
 この”ヴィンランド・サガ“に加えて、岩明均の”ヒストリエ“と羽海野チカの”3月のライオン“であり、ストーリーも絵も図抜けて素晴らしいと思う。



 ヒストリエは古代ギリシア・アレクサンダー時代の実在の人物・エウメネス(紀元前362-316)の一代記であり、彼はアケメネス朝ペルシアを滅ぼして世界帝国を築いたアレクサンダー大王の死後、後継者争い(ディアドコイ戦争)における一方の旗頭である。
 したがってアレクサンダーが亡くなってからがこの作品の本番と予想されるにもかかわらず、20年連載してようやくアレクサンダーが父王の暗殺後戴冠という段階であり、これはもう未完結に終わるのが既定路線?のようなものであったが、昨年夏についに長期(無期限?)休載が発表された。

 トルフィンもエウメネスの歴史上の実在人物とはいえ、それほどその生涯が明らかになってはいないのいくらでも想像力を働かせてストーリーを作る余地はあるが、その背景となる歴史上の有名人物はしっかりと史実をふまえて描写されている。
 特にヴィンランド・サガのクヌート大王とヒストリエのアレクサンダー大王は世界史上の最重要人物の一人であり、どちらも父親が征服王的存在であったがその暗殺(クヌートの父のスヴェン1世は史実では暗殺ではないとされるが急死のタイミングが・・・)により後継者となりそれをはるかに凌駕する大王となるという点で共通している。

 なおアレクサンダーは繰り返し映画(画像下はオリヴァー・ストーンとコリン・ファレルによる”アレキサンダー“2004)・小説・歴史書に取り上げられているが、クヌートに関してはそれほど有名ではなく、これほど詳しく取り上げられたのはヴィンランド・サガが初めてだと思う。



 またクヌートはデーン人であるがデンマークとイングランドの王を兼ねており、ハムレットに描かれるように(舞台はクヌートより200年近く前のデンマークであるが、ハムレットがイングランドに派遣されるシーンがある)両国が密接な関係にあったのは、イングランドの広大な国土がバイキングに占領されてデーンロー地域になっていたため。

 なおイングランドは最終的に同じくバイキングがフランス・ノルマンディー地域に土着したノルマン人に1066年に征服され、この体制が何と現在まで続いている。このノルマンコンクエストはノルマンディー公ウィリアムがアングロサクソン系の諸王やクヌート大王と姻戚関係にあることから王位継承権を主張したもので、単純なバイキングによる侵略ではない。

 ヴィンランド・サガはこういう時代を背景に英国編に大きなスペースを割いており、デーン人とアングロサクソンの対立にプラスして原住民であるケルト系(序盤の最重要人物であるアシェラッドはウェールズ出身の母方の先祖がアーサー王であるという設定で、アーサー王とウェールズの関係については下記ブログ参照)も交えてクヌートの覚醒とトルフィンの成長を描いている。

 

 


 こういう歴史物語をフィクションにするのはこれまでは小説や演劇が主流だったのであるが、漫画で絵的に表現するという途を開いたという意味でヴィンランド・サガとヒストリエは歴史に残る傑作だと思う。

 これに対して“3月のライオン”はプロ将棋の世界を題材としており、ヴィンランド・サガとヒストリエが20年ほどの連載でストーリー上同程度の時間経過だったのに対し、3年ほど(その間主人公はC1からB2へ昇級)と短い。



 私が囲碁をはじめとする盤上ゲームマニアであるが、それを差し引いても(というか将棋のルールすら知らなくても愉しめる)この漫画は傑作だと思うし、将棋人気が囲碁人気を上回るのようになったのも、藤井聡太の登場(下記ブログ参照)と並んで重要な役割を果たしているのではないだろうか。

 

 

 囲碁でも“ヒカルの碁”は有名だが、あくまで囲碁漫画としては傑作という位置付なので・・・

 また現実の将棋界では藤井聡太のような化物が登場して漫画にならなくなった(こんな棋士が登場して毎回勝つのではストーリーにならない)し、コンピューター将棋の発達でロマンが無くなった(下記ブログ参照)こともあり、この漫画の連載開始時期がちょうど旧き良き?将棋界の雰囲気が残る最後の時代(対戦相手の棋譜をコピーするアナログなシーンもある)であったことも幸いしたと思う。

 

 


 というわけでこの20年で将棋界は根本的に変わったが、ストーリーの進行上はまだ3年しかたっていないため、色々と設定に無理が生じている。
 ということはそろそろ連載終了が近付いているのか・・・

 大友啓史・神木隆之介のコンビによる前後編の実写映画化も傑作であったが、そのラストシーンは主人公が竜王戦の挑戦者となり、宗谷名人と山寺で第一局を開始するところで余韻を残して終わり、これは最初のシーンである書寫山圓教寺(どちらもタイトル戦にふさわし雅趣に富む古刹)での名人の対局(画像下)と対になっている。



 漫画では現在竜王戦の挑戦者決定戦決勝に進んだところまで連載が進んでおり、これは映画版と同様ならそろそろ・・・

 ということになれば、私がこの20年嵌っていた漫画がすべて終了してしまうことになり残念である。
 まあ漫画(特にストーリー漫画)というのは私が生まれた頃から本格的に始まった歴史が比較的浅い芸術(以前は漫画を芸術などというと笑われたが、今や日本を代表する文化に)であるためまだまだ進歩の伸びしろが大きく、これからもこれまで以上の傑作が出てくるであろう・・・多分。