2011年07月02日 作成
ここしばらく昭和30年代ブームというのが続いている。
西岸良平の三丁目の夕日シリーズ(映画版は写真下)は各メディアで大ヒットし、大型書店には30年代コーナーがあり、全国各地に30年代を再現したテーマパークモドキができているが、どうもこのブームを支えているのは昔を懐かしむ世代というより若い世代のようだ。
私のような30年代初頭の生まれのリアルタイムでこの時代を経験した世代にとっては日本が次第に豊かになっていくのを、洗濯機(ローラー絞り機付き)や白黒TV(私は街頭TVで力道山の試合を見た世代であるが、美智子妃殿下のご成婚を機に自宅にTVが入った)の普及を通じて体感できた時代である。そして昨日に比べ明日はさらに良い時代になるのが当然と考えられている時代でもあった。
その30年代は進歩のスピードがそれ以後と桁違い(それだけ戦傷がひどかったということだが)なので、2度とこんな風に取り上げられる時代は来ないのではないだろうか。
私にとって30年代を代表するモノはといえば、月間少年漫画雑誌である。その当時の漫画雑誌の主流は現在のような週刊誌ではなく月刊誌であり、「少年」「少年画報」「ぼくら」「冒険王」「少年ブック」といった懐かしい名前が浮かんでくる。
その頃の月刊誌は本体冊子に加えて別冊付録や自分で組み立てる紙のオモチャのようなものがいくつか付録としてセット(写真上)になっており、本というより玉手箱のような構成になっていた。その玉手箱を開けるときの興奮は今でもよく覚えているが、今になって思うとそれらをまとめて袋に入れたり紐で縛ったりして立ち読みを防ぐという意味もあったのかもしれない。
その月刊誌の中でも「少年」は特に人気があり、鉄腕アトム、鉄人28号、サスケ(白土三平)等の連載を抱え、また晩年の江戸川乱歩が挿絵入りの小説(少年探偵団シリーズ)を載せる等、絶大な人気を誇っていた。
その「少年」の表紙はいつも小学校高学年くらいの子供モデル?が玩具に囲まれている写真であったが、“大きくなったら何になりたい?”と聞かれて「少年」の表紙モデルになりたいと答えて笑われたのも憶えている。
月刊誌のいいところは、作家が月に1回というゆったりしたペースで仕事ができるため何となく余裕があるストーリー展開になるし、また読者の側も1ヶ月待たされることにより心の準備?を整えることができるということだったろうか。
しかしながら時代は次第にペースが早くなり、次々と創刊される週刊誌(サンデーとマガジンの創刊号は記憶に残っており、こんな安っぽい体裁では月刊誌に勝てるわけないと思ったのですが)に押されて月刊誌が全滅するのにたいして時間はかからなかった。ゴチャゴチャした構成も時代遅れになり、付録の紙の組み立て玩具も当時普及してきたプラモデルに比べると有難味がなくなってしまった。
結果的に月刊誌時代はきわめて短期間で10年も続かなかったと思う。ただその期間がちょうど私の子供時代で、3歳頃から数年間5誌程度を購読していた。
中1からのめり込んでゲーム廃人状態になった囲碁以上に私の人格形成(例えば非現実の空想世界を現実世界と同様かそれ以上に重要視することなど)に影響を与えたかもしれない。
最近になってこれら30年代漫画が復刻されたので読み返すことがあるが、懐かしさはあるものの現代作家のものと比べると残念ながらとんでもなくつまらないというほかはない。
これは漫画というジャンルが比較的新しいため(ストーリー漫画に限れば戦後日本が発祥か)進歩のスピードが速いからであろう。歴史の旧い芸術と比較すればわかるように、小説では19世紀から20世紀初頭にかけての文学界の巨人たちを今日の作家は越えているとは思えないし、モーツァルトの作品を上回るものを今日の作曲家が創ることができるとも思えない。
しかしこれは逆に考えるとそのような速いスピードの進歩の中で、次々とこれまでなかったような面白さの漫画を愉しむことができた我々の世代は実に幸福だったともいえる。
もちろん漫画だけではない。食事に関していえば子供の頃は粉末ジュースが最高のオヤツであった世代であり、初めて父の東京土産で中村屋の月餅を食べたときは世の中にこんな美味しいものがあるのかと感激したが最近ではその程度のものはコンビニでも売っている。
また成人してからも当時のウィスキーといえばレッド・ホワイト・オールドの時代であったが、現在ではスコッチやバーボンの最高級品が簡単に入手できる時代になったし、日本酒のここ数十年の進歩も目覚しいものがある。
そして日本が豊かになるにしたがい、日本の国際的地位も向上していった。
昭和30年代の米国製ホームドラマを見れば世の中にはこんな豊かな暮らしがあるのかと子供心に羨ましく思ったが、青壮年時代には世界中どこに行っても世界最先進国から来た(私の専門分野であるセラミックスは日本が一番技術水準の高い分野であったためもある)という扱いを受けて、少しはいい思いをすることもできた。
しかし最近の日本は停滞期・・・を通り越して斜陽期にさしかかっているようだ。1990年代初頭のバブル崩壊は一時的な現象であろうと高をくくっていたが、それ以後一度も目立った浮上がないままジワリジワリと日本の国際的地位は低下しつつあり、失われた20年などと呼ばれている。
ただしこれは日本だけではなく、世界の物質面でここ10-20年で何かこれまでにないくらい便利なもの、美味しいもの、巨大な科学技術の産物が生まれたかというと、パソコンの進歩くらいしか思いつかない。
ということは世界も(少なくても先進国では)また斜陽期に入っているのか?
キューブリックの“2001年宇宙の旅”は1968年の映画であり、当時の人類の進歩の勢いからして当然人類は広く宇宙へ進出しているだろうと思われていたのだが、実際に2001年に起きたのは米国同時多テロ事件であった。そして人類が“最後に”月に降り立ったのは1972年のアポロ17号であり、それ以後は計画すらなく他の惑星などは夢のまた夢である。
ミケシュは“没落のすすめ”という本で大英帝国の栄光を(精神的に)保持したままに優雅に没落することを説いた。英国の近年の歴史をエリザベス時代からナポレオン戦争までの興隆期200年、第一次大戦までの絶頂期100年、現在までの没落期100年とすると、英国400年分の興隆から没落までを私の1世代で体験できたようなもので、これは個人的にはなかなかいい経験ができた・・・とは残念ながらいかないだろう。
というのは最後の没落期のスピードが思ったより早く(それを加速している現政権は一刻も早く退陣してもらいたいが)、その上に出生率低下・人口高齢化が重なって、おそらく私の晩年にはかなり悲惨な状態になっているのではないかと危惧されるからである。
そういう悲惨な状態になれば、大戦後の混乱期を考えればわかるようにやはり体力がある方が強いであろう。したがって我々の世代は最後にひどい目に合いそうな気がするが、まあこれまでまずまずいい思いをしてきたのだからしょうがないか。