最近気づいた。
誰もがみな、フルマラソンを走ったからといって、そんなに感動しないんだってこと。
わたしは、初マラソンから半年後、アスキーからでた「ランニング美人」という本の取材で、初マラソンのことを聞かれ、思い出しただけで、感動して涙がでた。
初対面の編集者&カメラマンの前なのに、思い出しただけで泣いてしまった。それくらいフルマラソンは、強烈で、涙もとめられない、ゆさぶりを私にかけてきたのだ。
半年もたっているってのに・・・。
しかも、36歳という十分すぎるほど大人な年齢なのに・・・。
でも、みな、そうなんだ。それが初フルってものなんだ。フルマラソンは、感動の金太郎飴、涙の洪水、とにかく、感情の制御スイッチをこわしてしまうくらい、スゴイものだ・・・と思い込んでいた。でも、そこまでじゃないのかもしれない。
STEPをだして、ランナーの知り合いが増えるにしたがって、わたし、特殊?って思うようになってきた。
森絵都さんの小説「ラン」(理論社)の主人公、環は、家族全員を事故でなくしたショックから、他人と関わらないで生きていこうとしていた。
でも、ある理由でフルマラソンの距離を走ることに決め、そのために、ランニングクラブに入ることになって、苦手な交友関係を築いていくことになる。
そのランニングクラブだが、環をはじめ、ランナーとしては、ダメ人間ばかりいる。太りすぎのボンボン青年や、ひきこもりの虚弱体質の女子、物欲まるだしの口うるさいおばさんetc。エリートランナーは、殆どでてこない。
で、そんな彼らをみていて、わたし、思った!!
すごい、私に似てるじゃないか。虚弱体質だし、すぐ人のせいにするし、気が短いし、後ろ向きな性格だし、わたしひとりで、登場人物、4人分くらい演じきれそうだなっておもういくらい。みんなのダメさが自分ににていた。
走ることに、向いてないタイプなの人ばかり。でも、向いてないものに、みな、それぞれ理由があって、向かっていくことを決める。
けど、そのうち、ちょっとずつ、みな変わっていく。で、自分のダメさにもきづく。そして、ちょっとずつ、カラダがランナー向きになっていくのにあわせて、心も磨かれていく。
かといって、激変するわけじゃない。季節が冬から春にかわるような、ごくごく受け入れやすい変化だ。
まだ読んでなくて、これから読みたいって思ってる人に悪いので、あまり詳しくはかけないのがはがゆい。
ただね、ちょっと思うのは、「走るのなんて、ぜんぜんダメ・・・」って思ってる人ほど、マラソンをすすめたい。しかも、その分大きな感動がまってる。・・・と思う。
5時間や6時間で、フルマラソンを走るのは大変だと思っている方、それがちょっと違うのです。いきなり、5時間や6時間で走れるものではないのだ。
フルマラソンは、「マラソンを走ろうと決めたとき」がスタート地点。そこから、苦労して練習を重ねて、重ねて、階段をのぼって、おこっちて、また階段をのぼって、そんな練習期間がものをいうのだ。
この小説でも、フルマラソンに挑むまでの成長過程が丁寧に描かれている。
(稲荷湯、皇居、駒沢公園などのランナーにおなじみの場所や、LSD、インターバルなんて専門用語もでてきて、走る人は楽しめる本だと思う。)
スポットライトがあたっていないところの戦いが、キモになるのが、フルマラソンなんだ。
そして、その戦いが長ければ長いほど、辛ければ辛いほど、ドラマが生まれるんです。
そうなんです。だから、たかがマラソンかもしれないけれど、手放しでガキんちょみたいに感動したって、いいのである。
速い人、素質のある人も、うらやましいけれど、悪戦苦闘をくりかえす分、マラソンはよりドラマティックになってくるかもしれない・・・って考えることもできるはず。
(遅い自分へのいいわけ?って思われそう)
そう、素質がないからって、なげくことはないのだと、この本をよんで、ちょっと思ったのでした。
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本は、けっこう面白かったです。JOG仲間のSさんに、メールで教えてもらって、買った日、
友達のチカコに会った。
チカコに、「こんな本かったんだー」って見せたら、同じ本をもってた。