森絵都さんの「ラン」 | わたしとランと

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2006年より走り始めランニングをライフワークにするはずが、2013年から体調崩し、2015年3月に関節リウマチの診断おりる。6月〜9月中旬まで3ヶ月休職。復帰へむけて一歩ずつ・・・

最近気づいた。



誰もがみな、フルマラソンを走ったからといって、そんなに感動しないんだってこと。



わたしは、初マラソンから半年後、アスキーからでた「ランニング美人」という本の取材で、初マラソンのことを聞かれ、思い出しただけで、感動して涙がでた。



初対面の編集者&カメラマンの前なのに、思い出しただけで泣いてしまった。それくらいフルマラソンは、強烈で、涙もとめられない、ゆさぶりを私にかけてきたのだ。



半年もたっているってのに・・・。



しかも、36歳という十分すぎるほど大人な年齢なのに・・・。



でも、みな、そうなんだ。それが初フルってものなんだ。フルマラソンは、感動の金太郎飴、涙の洪水、とにかく、感情の制御スイッチをこわしてしまうくらい、スゴイものだ・・・と思い込んでいた。でも、そこまでじゃないのかもしれない。



STEPをだして、ランナーの知り合いが増えるにしたがって、わたし、特殊?って思うようになってきた。



Photo 森絵都さんの小説「ラン」(理論社)の主人公、環は、家族全員を事故でなくしたショックから、他人と関わらないで生きていこうとしていた。



でも、ある理由でフルマラソンの距離を走ることに決め、そのために、ランニングクラブに入ることになって、苦手な交友関係を築いていくことになる。



そのランニングクラブだが、環をはじめ、ランナーとしては、ダメ人間ばかりいる。太りすぎのボンボン青年や、ひきこもりの虚弱体質の女子、物欲まるだしの口うるさいおばさんetc。エリートランナーは、殆どでてこない。



で、そんな彼らをみていて、わたし、思った!!



すごい、私に似てるじゃないか。虚弱体質だし、すぐ人のせいにするし、気が短いし、後ろ向きな性格だし、わたしひとりで、登場人物、4人分くらい演じきれそうだなっておもういくらい。みんなのダメさが自分ににていた。



走ることに、向いてないタイプなの人ばかり。でも、向いてないものに、みな、それぞれ理由があって、向かっていくことを決める。



けど、そのうち、ちょっとずつ、みな変わっていく。で、自分のダメさにもきづく。そして、ちょっとずつ、カラダがランナー向きになっていくのにあわせて、心も磨かれていく。



かといって、激変するわけじゃない。季節が冬から春にかわるような、ごくごく受け入れやすい変化だ。



まだ読んでなくて、これから読みたいって思ってる人に悪いので、あまり詳しくはかけないのがはがゆい。



ただね、ちょっと思うのは、「走るのなんて、ぜんぜんダメ・・・」って思ってる人ほど、マラソンをすすめたい。しかも、その分大きな感動がまってる。・・・と思う。



5時間や6時間で、フルマラソンを走るのは大変だと思っている方、それがちょっと違うのです。いきなり、5時間や6時間で走れるものではないのだ。



フルマラソンは、「マラソンを走ろうと決めたとき」がスタート地点。そこから、苦労して練習を重ねて、重ねて、階段をのぼって、おこっちて、また階段をのぼって、そんな練習期間がものをいうのだ。



この小説でも、フルマラソンに挑むまでの成長過程が丁寧に描かれている。



(稲荷湯、皇居、駒沢公園などのランナーにおなじみの場所や、LSD、インターバルなんて専門用語もでてきて、走る人は楽しめる本だと思う。)



スポットライトがあたっていないところの戦いが、キモになるのが、フルマラソンなんだ。



そして、その戦いが長ければ長いほど、辛ければ辛いほど、ドラマが生まれるんです。



そうなんです。だから、たかがマラソンかもしれないけれど、手放しでガキんちょみたいに感動したって、いいのである。



速い人、素質のある人も、うらやましいけれど、悪戦苦闘をくりかえす分、マラソンはよりドラマティックになってくるかもしれない・・・って考えることもできるはず。



(遅い自分へのいいわけ?って思われそう)



そう、素質がないからって、なげくことはないのだと、この本をよんで、ちょっと思ったのでした。



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本は、けっこう面白かったです。JOG仲間のSさんに、メールで教えてもらって、買った日、



友達のチカコに会った。



チカコに、「こんな本かったんだー」って見せたら、同じ本をもってた。