運動神経わりーわたしにとって、ランはアートなのか | わたしとランと

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2006年より走り始めランニングをライフワークにするはずが、2013年から体調崩し、2015年3月に関節リウマチの診断おりる。6月〜9月中旬まで3ヶ月休職。復帰へむけて一歩ずつ・・・

はしってません!右足がなおって嬉しくてはしったら、左足を故障したあほなわたしです。



もう4日くらいたつ。



今週末のフロストバイトはやめようかとおもってます。会場には行きますけどね。



そんなわたしが、東京マラソン・・・はしれるかなぁ。



ただ、足の回復を冷静にみるのみ。



・・・って、暗い話題はおいておいておきましょう。





先日ある方からきいたお話、アーティストの日比野克彦さんがいっていたそうなんですが、人ってアンバランスででこぼこがある。そのへこんだ部分、たりない部分を埋めようと人はするわけです。そして気づいたら埋めすぎて、こんもりと、もりあがってしまった部分、それがアートなんじゃないかな。ってお話をしていたとか。



コンプレックス、苦手意識、欠点、そういった負の意識が強ければ強いほど、アートはうまれるのかもしれない。



なんかわかるなーと思い、それを自分におきかえてみた。



わたしって運動神経悪い、あんど、虚弱体質がコンプレックスだった。で、30すぎてランニングを「ひとりSM」なかんじで、むりやりはじめたら、それがどんぴしゃ。



わけのわからないはまりかたをして、ランニングのフリーペーパーもだしてしまった。



このダメすぎな部分を、補おうとして、きづいたら人生かわってしまったわたし、必死に穴をうめて、きづけば、こんもりしているのが、ランニングだった。



だから、苦手なこと、欠点、できないことがあったって、そんなに嘆かなくていいのかも。



それが個性となって、違うひらめき方をするのかもしれないから。



わたしは、今だって、走るの好きか?ってきかれたら、わからない。



「走る」のは嫌いってこたえるかも。いたい、さむい、くるしい。嫌いとこたえる理由のほうが多いもん



でも走り終わった後が好き。たまらなく好き。



走り終えた自分もすき。



お皿磨きは嫌いだけど、ぴかぴかのお皿は好き。



ダイエットは嫌いだけど、やせた自分は好き。



・・・・っていう例も、うーん、ぴんとこないが、とりあえず走ることで、上質な私に出会える。



少しいい奴になってるわたしにあえる。それが一番のごほうびなのかもしれない。あとそぎおとされるんだよね



こういう意味から考えると、ランニングってアート?



それとも、心とからだのダンシャリ。  



あー、話がまとまらないですね、ビール飲んでるからか。



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