これまで長く関わってきた、某真宗系宗教団体のことを、いま振り返っています。

当時は、それが当たり前だと思っていました。

けれど、そこから離れて長い年月が経ち、自分自身が他力信心を賜るということを自分の問題として考えてきたいま、当時の仕組みを振り返ると、どうしても一つの疑問が残ります。

一人ひとりが他力信心を賜ることが、一番ではなかったのでしょうか。

入会した瞬間から、組織の目標を担う人になる

学生時代、ゴールデンウィークに新歓合宿がありました。

その後、富山にある組織のことが明らかになり、富山へ行って入会します。

ところが、入会した途端、それまでとは違う立場になります。

自分自身の信心を求める一人の人間というより、会長や講師が決めた組織の目標を達成するための一人の「コマ」になっていくのです。

新入生勧誘の期間には、入部者、入会者の目標が与えられる。

秋の学園祭にも勧誘がある。

その合間には、渋谷、新宿、池袋などで勧誘する。

目標が達成するまで、何時間でも勧誘が続く。

夜には講師の法座があり、毎月の会費も納める。

週末になると、富山だけではなく、北海道から沖縄まで、日本全国の法座へ聴聞に行く。

その交通費や宿泊費を稼ぐために、平日はアルバイトをする。

さらに、何百項目にも及ぶ質問と答えを暗記して、問いに答えて書く試験も毎月ありました。

振り返ってみると、学生生活の大部分が、組織の活動と目標のために使われていました。

卒業しても、組織から自由になるわけではなかった

卒業すると、今度は社会人としての役割が始まります。

友達や知り合いを富山や地元の法座に誘う。

入会を勧める。

地区の会員を増やす。

新しい会館のための献金目標を達成する。

本願寺派を批判する本を訪問販売する。

ビデオを訪問販売する。

会長の著書を友人や知人に買って渡す。

一月の寒い日に西本願寺に座り込んだこともありました。

学生から社会人になって、組織を離れるわけではありません。

変わるのは、自分の立場と、求められる活動や献金の額です。

学生のときには学生として活動する。

卒業すれば社会人として活動する。

そして、さらに大きな目標を担うようになる。

その中では、献金の額、ビデオの売り上げ、入会者数などを総合して席順が決まっていました。

つまり、人がどれだけ組織に貢献したかが、目に見える形で評価されていたのです。

では、「あなたは他力信心を賜っていますか」と聞かれたら

ところが、新しく入ってきた人は、当然のことながら尋ねます。

「あなたは他力信心を賜っていますか」

すると、周囲の人は、

「はい」

と答えます。

法座に来たばかりの人も、新入生も、その答えを聞きます。

「この人も他力信心を賜っている」

「あの人も賜っている」

「先輩も賜っている」

「講師も賜っている」

そう受け取ります。

ところが、そこには一つの問題がありました。

その「はい」は、必ずしも本人の実際の信心を表しているわけではなかったのです。

組織の中では、それは方便だから、相手を導くためであれば、そのように答えてもよいとされていました。

けれども、長くそこにいると、次第に気づいていきます。

「あれ、この人は本当に他力信心を賜っているのだろうか」

さらに長くいると、

「もしかすると、本当に他力信心を賜った人は、会長や初期の人たちだけなのではないか」

という疑問が出てくる。

講師についても、同じ疑問が生じます。

それでも、誰も何も言いません。

誰も「私はまだ賜っていません」と言わないし、聞かなくなる

ここが、いま振り返ってみて、とても不思議に感じるところです。

もし一人が、

「私は、まだ他力信心を賜っていません」

と言ったら、どうなるでしょうか。

それまで周囲から聞いてきた、

「はい、賜っています」

という答えまで揺らいでしまいます。

そして、さらに大きな問いが出てきます。

「では、私はこれまで何をしてきたのだろう」

勧誘してきた。

献金してきた。

全国の法座へ行ってきた。

本やビデオを販売してきた。

会長の著書を人に買って渡してきた。

試験も受けてきた。

組織の目標を達成するために活動してきた。

それなのに、自分自身はまだ他力信心を賜っていない。

これは、とても大きな問いです。

だからこそ、誰も口にしなくなっていったのではないでしょうか。

一人が言わない。

すると、ほかの人も言わない。

誰も言わないから、

「みんな他力信心を賜っている」

という状態が保たれる。

新しく来た人は、その姿を見て、

「ここには他力信心を賜った人がたくさんいる」

と受け取る。

そして、その人もまた、いつか「はい」と答える側に入っていく。

「信心を求めること」と「組織を動かすこと」

いま振り返ると、ここには大きな違いがあるように感じます。

他力信心を賜ることと、組織の活動に熱心に取り組むことは、同じではありません。

勧誘を何人したか。

どれだけ献金したか。

どれだけ本やビデオを販売したか。

何回法座に参加したか。

どれだけ組織に貢献したか。

こうしたことは数字にできます。

けれど、

その人自身が他力信心を賜ったのか。

これは数字にはできません。

だからこそ、本来は最も大切に問われなければならないことだったのではないでしょうか。

「あなたは何人入会させましたか」

ではなく、

「あなた自身は、いま、どうなのですか」

という問いです。

組織の目標と、一人ひとりが他力信心を賜ること、後生の一大事の解決

私がいまになって不思議に感じるのは、あれほど多くの時間と労力を使って活動していたのに、「自分自身が他力信心を賜る」という問題を、十分に問う時間があったのだろうかということです。

学生のときから、次々に目標が与えられる。

入会すれば、今度は組織の一員として活動する。

卒業すれば、社会人としてさらに大きな役割を担う。

そして、次の人を勧誘する。

その人もまた、入会すると組織の目標を担う。

こうして仕組みは続いていきます。

けれども、その中にいる一人ひとりが、

「私は本当に他力信心を賜ったのか」

と自分自身に問い続けていたのか。

そこは、別の問題です。

いま、そこを考えています

もちろん、当時の私は、その仕組みの中にいました。

自分自身も、勧誘し、全国の法座へ行き、試験を受け、さまざまな活動をしていました。

そのときには、それが信仰を求めることなのだと思っていました。

けれど、いま振り返ると、どうしても考えてしまいます。

一人ひとりが他力信心を賜ることが、本当に一番だったのでしょうか。

もしそれが一番だったのなら、

「何人増えたか」

「いくら集まったか」

「どれだけ販売したか」

「どれだけ活動したか」

よりも、

「あなた自身はどうなのか」

という問いが中心になっていたのではないでしょうか。

そして、

「私はまだ他力信心を賜っていません」

という人がいたなら、その人こそ、自分自身の問題として聞き続けることができるように支えることが大切だったのではないでしょうか。

私は、いまになって、そんなことを考えています。

組織を大きくすることと、一人の人が真理に出遇うこと。

人を増やすことと、一人の人が生死の問題を解決すること。

それは、決して同じではありません。

宗教とは、本来、何のためにあるのか。

長い年月を経て、私はそこから問い直しています。

なぜ、某真宗系宗教団体を離れた後、自らも他力信心を賜り、私が真理・阿弥陀如来と対峙するところまでお取次ぎをしてくれる人に、すぐには出遇えなかったのか。その過程にはいくつかの段階がありました。

 

まず、その団体を離れる決意自体に30年近くを必要としました。しかし、離れたからといってすぐに求めている人に出遇えたわけではありません。 夏頃から法座に行かなくなり、会を辞めた講師からしばらく話を聞きましたが、話す内容が自力の煩悩の域を出ておらず、私が求めているものとは違っていました。

その後、会長が元いた会にも足を運びましたが、「ここも違う」と感じ、自分には合わないと悟りました。

年末になって三番目に出遇ったのが、別の元講師でした。年が明けてから連絡を取り、対話を続ける中で、年初にようやく他力信心を賜ることができました。

 

この体験を通して気づいたのは、私が探していたのは単に宗教に詳しい人や法話をする人ではなく、私自身が真理・阿弥陀如来と向き合い、自身の生死の問題を問うところまでお取次ぎをしてくれる人だったということです。 他力信心に関する本もたくさん読みましたが、本を読むだけでは信心を賜るところまでは至れない感覚があり、人から直接聞く必要性を感じて探しの旅を続けました。

 

団体を離れてから本当に合う話をしてくれる人に出遇うまで、半年以上かかりました。その間、何人もの話を聞き、その場に足を運び、本も読みましたが、「ここではない」と感じる場所には留まれませんでした。 探して、探して、それでも出遇えなかった末にようやく出遇えたご縁であり、人間的な条件だけでは説明できないものを感じます。そして、その出遇いを素直に受け止められたのは、直感だったのだと思います。

 

こうした経緯から、他力信心を求めている方には、単に知識を得るために本を読むだけでなく、すでに他力信心を賜った人(信後の人)から直接話を聞くことを強くお勧めしたいのです。

信後の人は、目の前にいる人を見て「この人にはこういう話をしたい」と考えて語ってくれます。そのとき、自分がこれまで聞いてきた知識や自分の考えで即座に判断するのではなく、まず相手が自分に何を伝えようとしているのかをそのまま受け入れて聞いてみてください。

 

自分自身の生死の問題として真理を求めているとき、相手自身が真理と向き合っているか、そして自分をそこまで連れていくお取次ぎができるかどうかが何より大切です。信後の人が自分に合わせて語ってくれる対機説法を、まずはそのまま聞いてみること——そこから、ご自身の真理との向き合い方が大きく変わっていくはずです。

以前、富山県に本部を置く某真宗系団体で、長い間、教えを聞いていました。

そのころから、少しずつ感じるようになったことがあります。

「もう、この人からは他力を聞くことはできないのではないか」

という感覚です。

それは、教えの内容だけから生まれたものではありません。

団体そのものの姿が、少しずつ変わっていくのを見てきたからです。

その一つが、会館でした。

富山の中心地から、郊外の巨大な会館へ

私が知っていたころ、会館は富山の中心地に近い、特急列車が停車する駅から歩いて行けるような場所にありました。

ところが、その後、団体は本部を郊外へ移していきました。

1988年には、現在の本部会館につながる大きな会館が完成しました。

講堂は520畳。

広大な土地を取得し、それまでとは比較にならない規模の施設です。

その後、さらに顕真会館が建設され、第2、第3の会場まで設けられました。

そして2004年には、2000畳の正本堂が完成します。

一万人を収容できる規模です。

ここまで大きくなっていくと、私は次第に、

「いったい、どこまで大きくするのだろう」

と感じるようになりました。

もちろん、会員が増えれば、広い会場が必要になることは分かります。

けれども、それならば、一万人を収容できる正本堂まで完成したところで、ひとまず大規模な会館建設は一区切りになってもよいのではないでしょうか。

ところが、そうはなりませんでした。

巨大な本部会館ができても、地方に会館が増えていく

2000畳の正本堂ができた後も、地方には次々と会館がつくられていきました。

現在も、全国各地に会館があります。

私は、ここに一つの疑問を持っています。

「一万人を収容できるほどの巨大な本部会館をつくったうえで、なぜさらに地方ごとに会館を建て続ける必要があるのだろう」

もちろん、地方に聞法の場が必要だという説明はできます。

遠方から本部まで通うことが難しい人もいます。

地域ごとに集まる場所があれば、便利でしょう。

しかし、それだけでは、私の中に残る疑問を十分に説明できません。

なぜなら、会館を一つ建てるということは、土地を取得し、建物を建て、設備を整え、その後も維持していくということだからです。

そのためには、莫大なお金が必要になります。

そして、そのお金の多くは、会員一人ひとりの負担によって支えられてきたはずです。

会館建設は、会員にとって分かりやすい目標になる

考えてみると、

「真理と出遇う」

「他力信心を賜る」

「生死の問題を解決する」

ということは、外から見ても分かりません。

何人の人が本当に信心を賜ったのかも、建物のように数字で示すことはできません。

ところが、

「新しい会館を建てる」

という目標は、とても分かりやすいものです。

土地を買う。

建物を建てる。

落慶法要をする。

記念行事を行う。

そして、次の目標へ向かう。

会員にとっても、自分のお金や労力が「目に見えるもの」になって返ってきます。

だからこそ、会館建設は、人を結集させる力を持っていたのではないでしょうか。

しかし私は、ここで立ち止まって考えます。

会館が大きくなることと、一人ひとりの信心が深まることは、本当に同じなのでしょうか。

2000畳の正本堂ができたころ、私はすでに違和感を持っていた

2000畳の正本堂が完成したのは2004年です。

そのころには、私はすでに、団体のあり方に対して、以前とは違う感覚を持つようになっていました。

そして2010年ごろ、私は退会しました。

その後のことは、私が直接その場にいたわけではありません。

ただ、私が知る範囲では、2010年ごろを境に、高森会長本人が大きな会場に立って直接説法する法座は、次第に減っていったようです。

その一方で、ビデオによる講話が増えていったと記憶しています。

もちろん、現在の公式サイトを見ると、「毎月、高森顕徹先生の法話」と案内されています。

ただ、その案内だけでは、それが毎回本人がその場に来て直接話しているのか、過去に収録された講話を映像で流しているのかまでは分かりません。

そのため、私がここで書きたいのは、

「いつから完全にビデオになった」

ということではありません。

私自身の経験として、

「2010年ごろに退会した後、私が知る範囲では、生の法座が減り、ビデオによる講話が増えていった」

ということです。

それなら、巨大な会館は何のためだったのか

ここで、最初の疑問に戻ります。

では、あれほど巨大な会館を建設することは、そもそも何を目指していたのだろう。

一万人を収容できる正本堂。

雨や雪に濡れずに駐車場から建物へ入れるように整備された地下道。

大きな講堂。

複数の会場。

さらに全国各地に建てられていく会館。

もちろん、これらはすべて「聞法のため」と説明することができます。

実際、団体自身も、そのように説明しています。

けれども、私は思うのです。

宗教において本当に大切なのは、建物を大きくすることではなく、その場所で何が起きるかではないか。

どれほど大きな建物があっても、一人の人が自分自身の生死の問題を問わなければ、建物そのものが信心を生み出すわけではありません。

反対に、小さな部屋であっても、一人の人が真剣に真理を求め、真理と出遇うことはあります。

建物の大きさと、信心の深さは別のものです。

会員から集めたお金は、何のためだったのか

私は、当時の会員一人ひとりが、どれほどの思いで寄付をしたのかを知っています。

「この会館ができれば、もっと多くの人が聞法できる」

「一人でも多くの人が救われる」

そう願って、お金を出した人も多かったでしょう。

だからこそ、そのお金を集めて建てられた会館について、

「本当に、この規模が必要だったのだろうか」

と考えることは、決して建物を批判したいからではありません。

そこに込められた会員一人ひとりの思いを考えるからこそ、私は問い直したくなるのです。

建物を建てることが目的になってはいなかったか

最初は、

「聞法するために会館が必要だから建てる」

だったのかもしれません。

ところが、一つ建てると、次にもっと大きなものが必要になる。

本館だけでは足りない。

第2会場、第3会場が必要になる。

それでも足りない。

そして、2000畳の正本堂を建てる。

さらに地方にも会館を建てる。

こうして見ていくと、

「教えを伝えるために建物が必要だった」のか、それとも「組織を維持・拡大するために建物が必要になっていった」のか。

その境目が、私には分からなくなってきます。

もちろん、これは外から簡単に断定できることではありません。

けれども、長くその中にいたからこそ、私はこの疑問を持っています。

いま、会長が亡くなった年に考える

そして今年、2026年7月に、高森会長が亡くなりました。

私は、このタイミングで改めて、これまでのことを考えています。

一人の指導者が亡くなった後も、巨大な会館は残ります。

2000畳の正本堂も残ります。

全国各地の会館も残ります。

これまで会員が寄付してきたお金と、それによって建てられた建物も残ります。

では、これから、その建物は何のために使われていくのでしょうか。

そして、

これほど多くの会館を建てることによって、本当に何が伝えられてきたのでしょうか。

私は、いま、そこを考えています。

宗教の価値は、建物の大きさでは測れません。

集まった人数でも測れません。

会館の数でも測れません。

最終的に問われるのは、

一人ひとりが、何を求め、何に出遇ったのか。

そこではないでしょうか。

会員が長い年月をかけて捧げてきたお金も、時間も、労力も、最終的にはそのために使われてほしい。

会の人たちが他力信心を賜るきっかけに私が何かお話させていただけたら幸甚です。

ここ数日、ロフトに置いてあった段ボール、物入、押入れを片付けています。

中には、本や洋服など、以前からしまったままになっていたものが入っていました。

一つひとつ取り出して、リサイクルショップに持っていくものと、古本屋に持っていくものに分けました。

子ども服や、もう流行遅れになった洋服などは、比較的簡単に手放すことができました。

子ども服は、子どもが成長すれば役割を終えます。

流行の服も、その時には必要だったけれど、いまの自分には必要ではない。

そう考えると、自然に手放せました。

 

本も同じでした。

「これは、この先もう二度と読まないだろう」と思う本を、一冊ずつ箱に詰めていきました。

その中には、他力信心を賜る前に買った宗教の本もありました。

また、博士論文を書くために読んだ本もありました。

以前なら、

「せっかく買ったのだから」

「いつかまた読むかもしれない」

と思って、なかなか手放せなかったかもしれません。

けれど、いまは違います。

他力信心を賜る前に読んだ本には、その時の私にとっての役割がありました。

博士論文を書くために読んだ本にも、研究を進めるための明確な役割がありました。

そして、その役割はもう終わっています。

博士論文を書き終え、博士号を取得し、その論文をもとに自著を既に上梓しました。

 

このように考えると、これらの本は、もう十分に役割を果たしてくれました。

いま振り返れば、すでに「方便」になったものもあるのだと感じます。

その時には必要だった。

その時には、それを通して学んだ。

その時には、それがなければ先へ進めなかった。

けれど、目的を果たしたいまは、手元に置き続ける必要がない。

 

これは、本だけではありません。

洋服も、同じです。

その時の自分に必要だったもの。

その時の生活に合っていたもの。

その時の自分を支えてくれたもの。

けれど、時は流れ、自分自身も変わっていきます。

生活も変わります。

関心も変わります。

必要とするものも変わっていきます。

 

だから、以前の自分に必要だったものを、いまの自分が持ち続けなくてよくなったのです。

「不要になったから捨てる」のではなく、「役割を終えたから手放す」。

そう考えると、物を手放すことへの感覚も少し変わります。

過去を否定するわけではありません。

 

むしろ、その物が自分の人生の中で果たしてくれた役割を認めて、送り出すような感覚です。

段ボールから本や洋服を取り出しながら、これまでの自分の歩みを振り返っていました。

子どもの成長。

その時々の暮らし。

他力信心を求めていた頃。

博士論文を書くために研究していた長い年月。

どれも、その時には必要だったものです。

いまは次の段階に来ている。

 

このように考えると、今回の片づけは、単に物を減らしているだけではないのだと感じます。

役割を終えたものを手放し、いまの自分に必要なものを残していく。

そんな作業なのかもしれません。

箱の中にあったものを一つずつ手放していくと、

これまでの時間まで一緒に整理されていくようで、なんとも感慨深いものがありました。

不要な物が片付いてきたら、要らない頭の中の記憶も片づけたい気分になりました。

相当な量のものをため込んでいる気がします。

いま真理と共に生きている慶びにかんけいするものやこと以外要らないように感じます。

スッキリしたら、肩の荷が下りて、肩こりなどもなくなると嬉しいです。

自分のものじゃないものまで、背負い好きているのかもしれないときづきました。

家を建ててから四半世紀です。要らないものをとりあえず屋根裏部屋に入れてきました。でも物置ではないので、活用することにしました。たくさんごみを捨てて、家電、古着、古本はリサイクルショップに持っていきます。

 

ふと考えました。

いるものとしているものでも、この先使うのか。

いま必要なもの、今しなくてはならないものって何なのだろう。

 

この休みは全部分別と、リサイクル、廃棄に時間を使います。

屋根裏のものがなくなったとき、いま必要なもの、ことが残ります。

ずっと不思議なことがあります。

それは、

真理との邂逅や、生死を超えることについて知っている人が、なぜ「いま」求めないのだろう

ということです。

「そんな世界があることを知らない」という話ではありません。

他力信心という世界があることを知っている。
生死を超えるということを知っている。
死の恐怖を超えて生きる人がいることも知っている。

それでも、

「いつか聞いてみよう」
「もう少し勉強してから」
「時間ができたら」
「そのうち」

となる。

なぜなのでしょうか。

「知っている」と「自分自身の問題として求める」ことの間には、大きな隔たりがあります。

自分が死ぬということを、本当に自分の問題にする

人は誰でも、死ぬことを知っています。

けれども、

「人はいつか死ぬ」

という知識と、

「自分も必ず死ぬ。では、私はどうなるのか」

という問いでは、まったく違います。

後者は、自分の存在そのものに関わってきます。

死んだらどうなるのか。

この問題を本当に自分自身の問題として引き受けたとき、これまでの生き方だけでは、この問題は終わらないことに気づかされます。

仕事をすること。
お金を得ること。
人間関係を築くこと。
趣味を楽しむこと。
知識を増やすこと。

こうしたことは、生きていくうえで大切です。

けれども、それらによって、

「私は死んだらどうなるのか」

という根本の問題が解決するわけではありません。

そこを認めることには、覚悟が要ります。

これまでの自分の地平を出る

「これまでの自分の生き方だけでは、この問題は終わらない」

と認める。

それは、単に新しい知識を一つ増やすことではありません。

これまで自分が立っていた世界とは別の領域、別の地平、別の次元に踏み込むことです。

だから、そこには勇気が要る。

いままでの自分の考え方や価値観だけでは届かないところへ、自分自身が踏み出さなければならないからです。

「いつか」と言っている間は、まだこちら側にいられます。

けれども「いま、この問題を終わらせたい」となった瞬間、話が変わります。

何が、その人を「いま」へ動かすのか

では、何が人をそこまで動かすのでしょうか。

単純な「死が怖い」という気持ちだけではないように感じます。

むしろ、もっと深いところにあるのではないでしょうか。

死んだらどうなるかという問題を、もう抱えていたくない。

生死を超えて、死の恐怖をなくしたい。

こんな混とんとした迷いの世に、一秒たりともいたくない。

真理と共に生きたい。

ここに「いま求める」という切実さの核心があるのではないでしょうか。

「真理を知りたい」という知的好奇心だけではない。

「死ぬのが怖いから安心したい」というだけでもない。

もう、この状態のままではいたくない。

その感覚です。

「いつか」が「いま」に変わる瞬間

人は、「いつか求めればいい」と考えている間は、現在の生活を続けることができます。

死の問題を横に置いておく。

また明日考える。

もう少し本を読んでからにする。

仕事が落ち着いてからにする。

そうしているうちに、日常がまた始まります。

けれども、

「もう、この問題を抱えたまま生きたくない」

となったとき、「いつか」ではなく「いま」になります。

これは、誰かに急かされたからではありません。

外から押されたのでもありません。

自分自身の存在の奥から、

「もう、ここにはいたくない」

という声が出てくる。

「真理と共に生きる」

という方向へ一歩踏み出す。

そのとき初めて、真理との邂逅が「知識」ではなく、自分自身の問題になっていくのではないでしょうか。

自力では、この問題を終わらせられない

さらに重要なのは、

「自分の努力で何とかしてみよう」

というところに留まり続けないことではないでしょうか。

いくら知識を増やしても、いくら考えても、いくら聴聞しても、

自分自身の力だけでは、この根本問題を終わらせることができない。

そこを自分の問題として知るところまで行く。

「自力では疑情を晴らせないと信知した」体験にもつながっています。

自分の力で何とかしようとしてきたところが尽きる。

そして初めて、自分の立っていた地平そのものが変わっていく。

「真理と共に生きたい」という願い

考えてみれば、

「死にたくない」

だけなら、死を避ける方法を探すことになります。

「死ぬのが怖い」

だけなら、安心できる考え方や慰めを探すことになるでしょう。

けれども、

「真理と共に生きたい」

という願いは、それとは少し違います。

死を避けるのではなく、生死そのものを超えていく。

不安を一時的に和らげるのではなく、無始から未来永劫に関わる、この根本の問題そのものを終わらせたい。

迷いの世で、少しでも楽に生きたいということではなく、

真理の世界に出遇いたい。

そこに向かう。

だから、「いま」ということが重要になります。

何を待っているのか

私たちは、人生においていろいろなことを「いつか」にします。

いつか旅行に行こう。

いつか本を読もう。

いつか勉強しよう。

いつか会いに行こう。

こうした「いつか」は、人生の中で大きな問題にならないこともあります。

けれども、

「死んだら私はどうなるのか」

という問題まで「いつか」にしてよいのか。

これは、一度、自分自身に問い直してみる必要があるのではないでしょうか。

死の日時は誰にもわかりません。

だから、「いつか」は簡単に「まだ先」に変わってしまいます。

けれども、死そのものを先送りすることはできません。

もし生死を超えるという道が本当にあるのなら、

それを「いつか」で済ませるのではなく、

「いま、自分自身の問題として求める」

ということが大切なのではないでしょうか。

私は、そこへ人を動かすものが、

「もう、一秒たりとも、この問題を抱えていたくない」

という切実さであり、

「いまから永遠に真理と共に生きたい」

という願いでしょう。

選挙をめぐって、ネット上の妨害や、真偽の分からない情報の拡散が問題になっています。

こうした状況を見ていると、選挙運動のあり方だけでなく、投じられた一票がどのように数えられ、結果になるのかという、投開票の仕組みについても考える必要があるのではないでしょうか。

 

台湾では、投票終了後、投票用紙を1枚ずつ確認し、候補者名を読み上げながら集計する、公開性の高い開票方式が行われています。

日本でも、開票の透明性と検証可能性を高めるために、こうした方式を参考にできないでしょうか。

 

まずは、台湾などの開票方式を調査し、日本の自治体で手作業中心の開票を試行するモデル事業を実施する。

そのうえで、作業時間、人員、費用、正確性、再確認のしやすさ、国民の理解や信頼に与える影響を検証する。

 

開票の結果をただ受け取るのではなく、その結果がどのように生まれたのかを、国民が確認できる選挙へ。

そのための調査、試行、制度化を求める声を、少しずつ広げたく存じます。

ある人と話していて、ふと、こんなことを考えました。

阿弥陀仏も南無阿弥陀仏も知らない外国人や子どもたちは、どのようにして他力の世界に出遇っていくのだろうか。

 

その人は、「翻訳技術が発達しているから大丈夫」と言いました。

確かに、現在はさまざまな言語を翻訳できるようになっています。

しかし、私はそこで、少し違う問題があるのではないかと考えました。

宗教や仏教用語を翻訳することは、一般的な文章を翻訳することとは異なります。

たとえば、「他力」「信心」「救い」「正定聚」「生死を超える」といった言葉は、辞書的な意味を外国語に置き換えれば、それで内容が伝わるわけではありません。

 

その言葉が教義の中で何を意味しているのか。何を否定し、何を示しているのか。どのような世界を指し示しているのか。

そうしたことまで理解しなければ、翻訳した言葉が、かえって本来の意味から離れてしまうこともあります。

日本人であっても、古文や教義の解釈は難しい

これは、外国語への翻訳だけの問題ではありません。

日本人であっても、古文を現代語に訳したり、仏教用語を解釈したりすることは、決して簡単ではありません。

たとえば、親鸞聖人の著作や蓮如上人の文章を読んでも、言葉の意味を知ることと、その言葉が示している他力の世界を正確に受け取ることは、同じではないでしょう。

領解文をめぐる問題についても、さまざまな要因があると思いますが、宗教的な言葉を現代語に置き換えることの難しさを考えさせられます。

読みやすくするための現代語訳であっても、教義上の意味を十分に踏まえなければ、意図とは異なる受け取られ方をする可能性があります。

宗教の言葉は、単に一つひとつの言葉を置き換え、分かりやすくすればよいというものではありません。

他力信心を賜った人が解釈することの意味

そして、ここには、さらに大切な問題があると思います。

それは、その教えを解釈する人自身が、他力信心を賜っているかどうかということです。

もちろん、教義の研究や文献の読解には、歴史的知識、語学力、論理的な分析などが必要です。

 

しかし、他力について語る場合、それだけで十分なのでしょうか。

他力信心を賜っていない人が、教義を知識として学び、自分の理解や既存の枠組みから解釈すると、他力の核心を自力の論理に置き換えてしまうことがあります。

 

たとえば、他力を「自分の努力を助けてくれる力」と捉えたり、信心を「自分が深く信じる心」と捉えたりすれば、一般的な意味としては理解できても、親鸞聖人が示された他力の世界とは異なるものになりかねません。

他力を説明する言葉が、いつの間にか自力の理解に回収されてしまう。

そのようなことが起こり得るのではないでしょうか。

 

しかし、研究や解釈の営みを否定するわけではありません。

むしろ、研究や解釈に携わる人こそ、自分がどのような立場から教義を読んでいるのかを、深く問う必要があるのではないかと思います。

他力信心を賜った人であれば、必ずすべてを誤りなく表現できるというわけでもありません。

 

ただ、少なくとも、他力の世界を自分自身の問題として知らずに説明する場合と、真理を自らが求め、実際にその世界に出遇った人が、自らの経験と教義との関係を踏まえて語る場合とでは、言葉の出発点が異なるのではないでしょうか。

では、子どもたちにはどう伝えるのか

では、阿弥陀仏や南無阿弥陀仏をまだ知らない子どもたちには、どのように伝えていけばよいのでしょうか。

最初から難しい教義用語を説明することは、必ずしも適切ではないでしょう。

そこで、阿弥陀仏の真実の物語を、子どもにも分かる言葉で語るという方法が考えられます。

ただし、ここで大切なのは、子ども向けに分かりやすくするために、教えの核心まで変えてしまわないことです。

阿弥陀仏がどのような願いを立てられたのか。

なぜ、すべての人を救おうとされるのか。

人間の力だけではどうにもならない私たちに、どのようなはたらきがあるのか。

そうしたことを、子どもが理解できる言葉や物語を通して伝えていく。

その際にも、語る側が教義の核心をどのように受け取っているのかが問われるのだと思います。

ナラティブは大人にも有効

そして、物語を通して伝えることは、子どもたちだけに有効なのではありません。

大人にとっても、ナラティブは大きな意味を持つのではないでしょうか。

宗教用語を説明されても、それが自分自身の問題として受け取れないことがあります。

一方、物語には、人物の願い、苦悩、迷い、出遇い、変化などが含まれています。

それを聞くことで、聞き手は自分の経験と重ね合わせながら、その世界に近づいていくことができます。

私が取り組んできた「真理と共にあるきづきのワークショップ」でも、イラストを用いています。

言葉による説明だけでは届きにくいことが、イメージを通して伝わることがあります。

もちろん、物語を聞いて感動することと、他力信心を賜ることは同じではありません。

 

しかし、教義を理解するための入口として、また、これまで宗教に接する機会がなかった人に、真理の世界という、これまでとは異なる領域や地平を知ってもらう方法として、ナラティブには大きな可能性があるのではないでしょうか。

翻訳すること。教義を学ぶこと。言葉を解釈すること。

それぞれに大切な役割があります。

しかし、それだけでは伝わりにくい世界がある。

その世界を、教えの核心を損なわずに、どのように次の世代や異なる文化の人々に伝えていくのか。

これは、これからの浄土真宗にとっても、大切な課題の一つです。

死の恐怖や人生の苦悩に直面したとき、限られた時間の中でいかに真理と出合う。

この課題に応えるために、私は9枚のイラストを用いたワークショップを行ってきました。

浄土真宗や仏教の知識がない人に、最初から阿弥陀仏や南無阿弥陀仏について説明するのではありません。

イラストを見ながら、自分自身の人生や、死の問題、思い込み、自力ではどうにもならないことなどについて考えてもらいます。

そこから、真理との邂逅を願うご縁が生まれることがあります。

実際に、このワークショップを通して、真理との邂逅に至り、他力信心を賜った人は何十人もいます。

 

もちろん、すべての人が同じ道筋をたどるわけではありません。また、イラストを用いれば必ず信心を賜るということでもありません。

しかし、ここで示されているのは、仏教の知識を最初から体系的に学ばなければ、真理との邂逅に向かえないわけではないということです。

 

真理を求める人にとって、必要なのは、必ずしも宗教知識の多さではありません。

その人自身が、いま抱えている根本的な問いに向き合い、真理との邂逅を願うこと。

このように、そのための入口は、阿弥陀仏や南無阿弥陀仏の説明から始まることもあれば、イラストや対話など、別の形から始まることもあります。