恐縮ですが、今回は、私の身内、過去にブログでも紹介した私の姉(本ブログ記事「『子供の学力や学歴は教育費次第』と考える親6割半~子供の成長に必要なものは親との愛の絆~」参照)の話をさせてください。
 
私の姉とS
 現在姉は、他界された義妹さんの息子さんであるS君の親代わりとなって面倒を見ています。
 
 そのS君は中学3年生で、普段の学業や生活の様子が高く評価され、先日推薦入試を受けました。
 その時の課題の作文のテーマが、「令和時代を生きる上でどんなことに幸せを感じて過ごしますか。そのために何を頑張りたいですか。」だったそうです。

 聞くところによると、「将来の夢」「高校で頑張りたい事」「中学校で頑張って来た事」等、過去の出題テーマを参考に、事前対策をしていったところ、いざ蓋を開けてみたら、この難解なテーマだったのだそうです。このテーマには学校側もかなり驚いたとか。私達大人でさえ、答えに詰まるようなテーマだと思います。
 
 しかし、このS君は、「人の役に立つことができることに幸せを感じます。そのために自分も誰かのために役に立てるようにがんばりたい」との内容を書いたそうです。なんて素晴らしい回答!

 なぜ、そのような思いを持つに至ったのか?を姉を通して聞いてみたところ、その答えに再度驚かされました。
「僕が何かしたら、おばちゃん(私の姉)がいつも『ありがとう!』って言ってくれる。そうすると、ぼくは嬉しくなる。だから、今度は自分が人の役に立てるような人間になりたいと思った」

「いつも『ありがとう』と言ってくれる」
と称された姉に、私は、どんな時に「ありがとう」を言っているのか聞いてみました。すると、帰ってきた答えが、
「どんな時も」
でした!😅

茶碗を運んでくれた時、
頼んだ物を持って来てくれた時、
荷物を持ってくれた時、
頼んだ事をしてくれた時、
自分の体調を心配してくれた時、
頑張ってくれた時、
等々

既に「ありがとう」が日常の口癖にまでなっている、とのことでした。


 更に、「ありがとう」と同じくらい子どもに言うように心がけてるのは、
「…してくれて嬉しいよ」
とのことでした。
S君がしたことで、された自分がどんな気持ちになっているかをはっきりと伝えているそうです。言われた側は嬉しくないわけがないでしょう。

 ちなみに、姉は、現在自宅に子ども達を呼んでピアノ教室を開いているのですが、その子ども達の親御さんからは、よくこう言われるそうです。
「うちの子は、『ピアノに行くと一杯誉めてもらえる!だからピアノは絶対休まないで行く!』って言います」

 もはや、単なるピアノの技術を伝える場ではなく、子どもの意欲や自信を育む場となっているようです。
 
その姉曰く、
「大人が(親が)『ありがとう』って言えば、子どもの口からも自然に『ありがとう』が出るようになるよ」
だそうです。
ちなみにS君の口からは、既に自然に「ありがとう」が出て来るそうです。さすが!
 
 
「ありがとう」を伝える場面
 さて、先の「ありがとう」を伝える場面についてですが、私の姉は、「茶碗を運んでくれた時」「頼んだ物を持って来てくれた時」「荷物を持ってくれた時」「頼んだ事をしてくれた時」「自分の体調を心配してくれた時」「頑張ってくれた時」等を挙げていました。

 この「ありがとう」については、本ブログ記事
【褒め方】〜生活意欲を高めるために、“子どもの中の良さ”と“努力”と“人への貢献”を褒める〜の「○『自己肯定感』ばかりでは社会では通用しない」の項でも「自己有用感」を育む言葉として取り上げています。その中では、「子どもが家族の誰かから“ちょっとした頼み事”をされる場面で、子どもに対する親からの『ありがとう』が可能」と紹介しています。姉も「…してくれた時」に褒めているようでした。
 ただし、最初から子ども自ら善行をするわけでもないと思うので、初めは親の方から「…してくれる?」と“依頼”(「…して」というような“指示”や“命令”ではなく)をすることで、子どもの善行を誘い、それに対して「ありがとう」と返すようにすると良いと思います。
 ちなみに、「…してくれる?」と頼みごとをする場面は、姉の言葉を借りるなら、家族生活の中に数え切れない程あるはずです。
 
 また、子どもは、そのような経験が続くと、感謝されることに喜びを覚えて、3日も経てば自主的に善行をするようになります。その時には、親は更に嬉しさを表情に表して「ありがとう」を伝えると、子どもの自己有用感はもっと高まるでしょう。
 
「自分らしく生きたい」と願う気持ち
「誰かの役に立つ人間になりたい」
S君が抱いたこの思いは、「誰かから認められたい」(承認欲求)とは違い、自分なりの生きる姿を求める「自己実現の欲求」と言えるでしょう。これは心理学上、人間のあらゆる欲求の中で最も次元の高い欲求です。

 因みに、心理学者マズローによれば、この欲求は以下の五種類あるとされています。このマズローの「五段階欲求説」については、本ブログ記事「愛着の話No.92~子どもの問題の要因をチェックする~」を参照ください。
  1. ①生理的欲求(寝たい、食べたい、排せつしたい等)
  2. ②安全性の欲求(争い、暴力、いじめ等が無い安全な環境の中で生活したい)
  3. ③所属・愛情の欲求(誰かと愛の絆で繋がっていたい)
  4. ④承認・尊重の欲求(他者から認められたい、他者から大切に思われたい)
  5. ⑤自己実現の欲求(自分らしく生きたい)
 
 人間は、まず始めに、最も原始的な「生理的な欲求」を満たしたいと考えます。それが満たされると、次に高次な「安全性の欲求」を満たしたいと考えるようになり、それ以後も、各欲求が満たされるたびに更に高次の欲求を満たしたいと思うようになります。そして、四種類の欲求が満たされた後に最後に到達するのが、この「自己実現の欲求」です。
 
 虐待やネグレクト等の家庭でなければ、「生理的欲求」や「安全性の欲求」までは満たされることが多いと思います。しかし、養育者からの愛情(本ブログ記事「【愛情の基本】~子どもとの愛着を形成する“母性”の働き『安心7支援』~」参照)が不足していれば「所属・愛情の欲求」が満たされることはありませんし、一方で、養育者との絆に終始し、社会への自立を願う養育者の思い(本ブログ記事「【子どもの自立】~子どもの活動を見守り自立を促す“父性”の働き『見守り4支援』~」参照)が足りなければ、他者との関係の中で培われる「承認・尊重の欲求」が満たされることはありません。
 過去のブログでも紹介しましたが、私の姉の特筆すべき武器は、“太陽のような笑顔”と“ほめ上手”で、「子どもを見る」「子どもに微笑む」「小さなことから褒める」等に代表される「安心7支援」(同上)の達人です。そのことによって、S君の「所属・愛情の欲求」が十分に満たされていると思います。更に、日頃から口癖のように「ありがとう」「嬉しいよ」という感謝の気持ちを伝え続けてきたことによって、「承認・尊重の欲求」も満たされたのだと思います。「安心7支援」の中にも「子どもを褒める」という支援がありますが、「すごい」「えらい」のように子ども個人を褒めるだけでは、他者との繋がりは生まれません。「ありがとう」「嬉しいよ」のように他者への有用感を育む言葉こそが承認欲求を満たすのです。その結果、現在は、「自己実現の欲求」を満たしたいと考えるようになっているのでしょう。
 
 まだわずか15歳の子どもがここまでの考えを持つことができることは、ひとえに養育者の接し方の賜物と言えるでしょう。「普段の何気ない言葉がどれだけ子どもを成長させるか」を学ばせてもらいました。我が姉ながら「あっぱれ!」です。