【今回の記事】

【記事の概要】
 小中学生の不登校児童・生徒数が14万人を越えるといわれる中、本誌「VERY」読者の皆さんの体験談を紹介。今回は公立小学校に通うお子さんを育てる会社員M.Kさん。息子さんは現在小学校高学年になり、元気に学校に通っているそう。そんな息子さんが「学校に行きたくない」と言い始めたのは小1の頃のことでした…。

(イメージ)

《我が家の不登校体験談(1)》
M.Kさん 39歳・会社員/子ども・小5

小学校に入学、泣きながら教室に入る毎日
 息子は運動が大好きで友達とも活発に遊ぶタイプなのですが、幼い頃から不安感が強い子で特に私から離れることにかなり抵抗がありました。小学校に上がるタイミングで自宅を新築することになり、友だちがいないエリアの学校に越境通学。学童にも通い始めました。今思えば、朝から夕方まで慣れない環境で気を落ち着けられる場所がなく、ヘトヘトだったのだと思います。毎朝、下駄箱で大泣きし、先生方に引っ張られて教室に入っていました。それも1年生の6月半ばには落ち着き、泣かずに教室に入れるようになったのでひと安心していたんです。ただ、不登校になってからこの頃のことを聞くと「抵抗するのをあきらめた」と話していました。「『行きたくない』と何度も言ったのに、誰も話を聞いてくれなかった、お母さんも」と。私はこれを聞いて、子どもからの信用をなくしてしまった、と思いました。今考えれば、数年にわたる不登校の期間は子どもからの信用を取り戻すために必要な時間だったと思っています。

仕事があるので学童を休ませるのも難しく……
 教室に入れるようになってからは授業中も手を上げて発言し、勉強や学校行事も頑張っている様子でした。しかし、2年生になると、学童でトラブルが続きます。気の強い女の子たちのグループから学校のルールを守っていないと詰め寄られたり、スポーツの試合で上の学年の子から、「お前のせいで負けたんだ」と言われたり。息子はショックを受けて萎縮してしまいました。学童で一緒に遊べる相手がいなくなり、部屋で先生と過ごしていると、今度は「先生を独り占めしてる!」となじられる。「学童に行きたくない」と毎日のように言うようになりましたが、私も仕事を休めず、なだめすかして何とかやり過ごしました。夏休み明けまで、子どもは行き渋りながらも、毎日通学していました。しかし、9月下旬の朝、一度は家を出たものの、学校に足が向かず……。その日が不登校の始まりでした。

「運動会に出たい」……少しずつ通学できるように
 それから、大好きな運動会の時期になると少しだけ通学できるようになるものの、運動会が終わるとまた行けなくなる、という状態が中学年になっても続きました。5年生に進級してからの運動会では、どうしてもリレーの選手になりたいと頑張り、代表選手になれるタイムを出しました。しかし担任から、運動会でリレーに出るには体育以外も授業に出るのが条件だと言われたのです。リレー選手は皆の憧れで、なりたい子はたくさんいる。体育の授業だけ出ていては、みんなから不満が出る。だから体育以外も出られるようにならないとダメだ、と。言わんとすることは分かりますが、学校に行けない子に対しては非情な話です。それでも、ここは子どもの意志に任せることにしました。最初は登校後、図書室で私と過ごしていましたが、体育以外の授業に本当に少しずつ、少しずつですが出席できるようになりました。教室で過ごせるのは一日の半分程度でしたが、大きな進歩でした。無事、リレーの選手として出場した運動会の後も今までのように力尽きることはなく、ゆっくりひとつひとつ参加できる授業が増えていきました。そして2カ月半かかり、ようやく朝から教室に行き、授業に参加できるようになりました。

自信をつけ変わりはじめた息子、そして今思うこと
 息子は夏休みに入ってすぐ、保護者の付き添いなしで参加する一泊キャンプに行きました。当初はかなり不安そうでしたが、友達の手前、勢いで参加を決めたようです。これが思いのほか楽しかったらしく、自信をつけて帰ってきました。今思えば、これも変わるきっかけだったように思います。次の学期は私が付き添わなくても登校でき、授業も全部出られるようになりました。今はすっかり元気になり、毎朝元気に家を飛び出して登校しています。学校のサッカーチームにも入り、厳しく、時にかなりキツイ言い方をするコーチに何度もへこたれながらも、頑張って練習を続けています。子どもを元気にする近道は、まず、お母さんが心身ともに健康であること。でも現実は悩みの渦の中で、なかなか余裕がないんですよね。だから、時々自分を癒してあげることが大切。一人でちょっと贅沢なランチをしたり、映画やショッピングといった息抜きも必要だと思います。お母さんが楽しそうにしていたほうが子どもの回復も早まるようにも感じました。私自身の母に電話してつらい気持ちを聞いてもらったことも良かったです。時に暴言や愚痴混じりになってしまう私の話も受けとめてくれる母を改めてすごいと感じましたし、私もそんな母親を目指したいです。

 学校でつらいことがあり、不登校になった子どもは自信をなくしていることが多いです。子どもが疲弊している状態で、無理に塾や習い事に通わせてさらに負荷を与えるのは逆効果だと思いました。自分に自信がなく、動き出す気力もない……そんな状態の子が元気に学校に行くためには、いつかの段階を踏む必要があります。まずは穏やかに過ごして、精神の安定を図る時期、少しずつ動き出し自信を取り戻す時期、多少動けるようになったら勇気を持って外に少しずつ出る時期、そんな段階を一歩一歩ゆっくりと昇りながら、本来の自分を取り戻す。今振り返ると、我が子の場合はそんな感じでした。
 
【感想】
 一度は登校拒否に陥りながらも、再び登校できるようになった我が子に一番近くで接し、考え続けてきたお母さんがたどり着いた“実感”…。とても重みの感じられる記事です。
 
 記事の中から、私の心に留まった記述を取り上げ、考えてみたいと思います。
 
記述①
「幼い頃から不安感が強い子で特に私から離れることにかなり抵抗がありました」
「毎朝、下駄箱で大泣きし、先生方に引っ張られて教室に入っていました」
~これらの記述から、感覚過敏の特性が強い子どもさんであることが分かります。同じように感覚過敏のために学校から足が遠のきがちな子どもをお持ちの親御さんには、「なぜ、うちの子はこうなんだろう?」と悩む方も多いのではないでしょうか。それは、「人によって感じやすさは十人十色」という認識が欠けているためであるように思います。たとえ健常者であっても、“感じやすさ(自閉特性)”がほぼ0の人から、障害域の人まで様々います(障害域の人は、正式な診断を受けていないだけなのだと思います)。詳細は本記事「教師が不登校を解決できない“カラクリ”とは? 〜教師達が気づかない子供達の心の感じやすさの違い〜」中のグラフ(健常者である男女の成人と大学生被験者の分布)を参照ください。この理解があれば、「ああ、うちの子は感じやすいタイプなのだな」と客観的に認識することができると思います。
 
記述②
「(息子に)この(泣かずに教室に入れるようになった)頃のことを聞くと、抵抗するのをあきらめたのだと話していました。「行きたくない」と何度も言ったのに、誰も話を聞いてくれなかった、お母さんも、と。私はこれを聞いて、子どもからの信用をなくしてしまった」
「『学童に行きたくない』と毎日のように言うようになりましたが、私も仕事を休めず、なだめすかして何とかやり過ごしました。夏休み明けまで、子どもは行き渋りながらも、毎日通学していました」
~子どもが、自分を受容してくれる母親を必死に求めていたことが分かります。しかし、「『行きたくない』と何度も言ったのに、お母さんでさえ話を聞いてくれなかったから、抵抗するのをあきらめた」というお子さんの反応は、まるで、乳児期に泣いて叫んでも母親が来てくれなかった赤ん坊が、自身の本能から母親を消し去る「脱愛着」状態のようです。母親に対する愛着(愛の絆)というものは、「この大人はいつも自分に愛情を注いでくれる人だ」という信頼感に裏付けられるものです。息子さんからの信用をなくしてしまったと感じたこのお母さんは正に、我が子と間の絆が失われるのを実感したのではないでしょうか。
 子どもが抱いている不安感を解消しないまま、あの手この手でなだめて学校に行かせることは、子どもをこの状態に追い込む行為であると言えるかも知れません。では、そんな時どうすればいいのか?については、もう少し後でお話ししたいと思います。
 
記述③
「数年にわたる不登校の期間は子どもからの信用を取り戻すために必要な時間だったと思っています」
「子どもを元気にする近道は、まず、お母さんが心身ともに健康であること」
「お母さんが楽しそうにしていたほうが子どもの回復も早まるようにも感じました」
~記事中のお子さんが高学年になって通えるようになったのは、不登校期間中に、母親が健康体であり笑顔で接したことが大きかったと感じます。つまり、お母さんの笑顔は子どもが学校へ通うためのエネルギーであったのです。お母さんが子どもに視線を送り、微笑み、穏やかに語りかける、それらの行為は、子どもに安心感を与える「安心7支援」による母性の働きに他なりません。
 昨今、「学校が辛くなったら登校しなくていい」という風潮が浸透してきているように感じています。しかし、この事例から分かるのは、子どもが「行きたくない」と訴えた時に必要なのは、最初から、子どもの希望するとおりに「行かなくていいよ」と言って“甘やかす”のではなく、先ずは、スキンシップを重点に子どもに安心感を与える、いわば“甘えさせる”ことが大切であるということだと思います(この「甘やかす」と「甘えさせる」の違いについては、本記事「子どもに「甘えさせる」こと、子どもを「甘やかす」こと」を参照ください)。その際の方法は、「ジャンケンコチョコチョ抱っこ」のような、安心感を保証する愛着(愛の絆)を形成のための愛情行為「安心7支援」をより効率的に行うことができるものが望ましいと思います。
 
記述④
「最初は登校後、図書室で私と過ごしていましたが、体育以外の授業に本当に少しずつ、少しずつですが出席できるようになりました」
「ゆっくりひとつひとつ参加できる授業が増えていきました」
「自分に自信がなく、動き出す気力もない…、そんな状態の子が元気に学校に行くためには、いつかの段階を踏む必要があります」
「まずは穏やかに過ごして、精神の安定を図る時期、少しずつ動き出し自信を取り戻す時期、多少動けるようになったら勇気を持って外に少しずつ(外に)出る時期」
~問題が深刻になればなるほど、焦らずスモールステップで、小さな目標が達成できるたびに褒めながら導く必要があります。
 私が現職だった頃、当時不登校で、ようやく教室の入り口まで来たのになかなか入れないでいた女の子にしびれを切らした他のクラスの先生が、その子の背中をドンと押しました。当然、その子は大泣きして、直ぐに家に帰ってしまいました。焦らず、少しずつ出来る度に「良くここまで来ることができたね。がんばったね」と褒めてやるべきでした。
 また、そのスモールステップの一番始めにするべき事は、スキンシップをはじめとした「安心7支援」のような愛着形成行為によって安心感を与え心の安定を図ることです。それができて初めて「少しずつ動き出す」「勇気を持って少しずつ(外に)出る」という探索行動が可能になるのです。

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 因みに、児童精神科医の杉山登志郎氏は、その著書「子育てで一番大切なこと~愛着形成と発達障害~」(講談社現代新書)の中で、子育てで最も大切な事として「母親と子どもの安心」と指摘しています。子どもに安心感が必要な事はもちろんですが、それを具現化するためには、母親自身の健康と安心が保障されていなければ、子どもを健全に受容することができなくなり、「勇気を出して学校に通う」「友達や先生との人間関係の中で自分を見失うことなく生活する」等、子どものあらゆる探索行動が実現されないわけですから、至極最もであると感じます。
 
 お母さんの笑顔がないと、子どもは前に進めないのです!
 子どもの最大のエネルギーが母親の“受容”行為であることを改めて教えられた事例でした。

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【補足】
 今回の記事は、子どもが登校を渋るようになった時の内容でした。
 しかし、一番望ましいのは、子どもがそういう状態に陥らないことです。そのために以下の記事が参考になるかも知れません。