【今回の記事】

【記事の概要】
   不登校の子を持つ親から「先生に相談したけどダメだった」という話を、この20年間、さんざん聞かされてきました。私が知るかぎり、不登校を“解決”した先生はほとんどいません。

   昨年は文部科学省の不登校調査を問題にしました。なぜ不登校になったのかという理由について「先生との関係」と答える割合が、子どもと先生の間で大きな差が出てくるのです。
   不登校経験者は4人に1人(全体の26.2%)が「先生との関係」が、不登校の理由になったと答えました。一方、学校(先生)に生徒たちの不登校理由を聞くと、「先生との関係」を理由に挙げたのは1.6%62人に1人にすぎませんでした。その差16倍。分析を担当した教育学者・内田良氏は「生徒本人は教職員との関係に『原因あり』と感じていても、先生はそのことを自覚していないと言える」との見解を示しました。ひらたく言えば「先生からは不登校の実態が見えていない」ということです。

【感想】
   不登校に陥っている子供からすると、担任に原因があると思っているのに、担任にはその自覚がない。なぜこの様なズレが起きるのでしょうか?

   おそらく多くの教師達は、「発達障害児それ以外の健常児」という「2択」の捉え方をしているのではないかと思います。発達障害児が不登校になれば、「この子は発達障害だから」という理由で、特別支援学級や特別支援学校への編入や進学を勧めます。以前の投稿で紹介した、特別支援学級や特別支援学校に在籍する子供の数が急増し、深刻な教室不足が続き、2016年10月現在、3430教室が足りないという実態がその事を物語っています。
   問題は、残された「健常」と“思われている”子供達です。この子供達の中から、不登校児が生まれているのです。しかし、記事にある通り、教師は自分に原因があるとは思っていません。なぜ、でしょうか?
   そのカラクリを教えてくれるのが、千葉大学の若林氏が、1000人以上の健常者と障害者を対象に、50問の設問で自閉症スペクトラム障害(ASD)に顕著な感覚過敏の特質を測定した実験です。その中で提示された被験者の分布状況を表したグラフが以下のグラフです。
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   このグラフを見ると注目すべき点が2つあります。(「成人」+「大学生」が男女とも健常者、「PDD」が自閉症障害者=ASD。横軸の「得点」がASDの傾向の強さ、縦軸「%」が人数の割合を表している。)
①1つめは、健常者を含め1,000人以上の被験者でASD傾向の該当数が50問中0問、感覚過敏、つまり“感じやすさ”が「0」だったという人は1人もいなかった点です。つまり、健常者と見なされている人も大なり小なり感覚過敏の傾向をもっているという訳です。
②2つめは、健常者である「大学生」の曲線と障害者の曲線が交わっている点です。障害者と診断された人達が分布している所に、健常者である「成人」+「大学生」の一部が重なって分布しているのです。グラフで言うと「得点(ASDの傾向の強さ)」が22点から40点の部分です。単純に言えば、22点から40点の部分にいる健常者も感覚過敏の強さは障害者と同等かそれに近い人達である、つまり本人は自分が障害者域にいるとは自覚していないだけで、正式な受診を受ければ「ASD障害者」と診断される可能性が高い(またはグレー域の)人達であるという事です。

 知的遅れがなく、見た目は全く普通の子であるASD等の発達障害の子どもの存在を認めて、通常学級で配慮して指導しようということになったのは平成19年からです。多くの教師達は、これまでそういう研修を余り受けてきていないために、現時点では、これら①と②の事について認識するまでに至っていないのです。つまり、教師は現時点では、子供の表面上の様子しか目に入らず、子供の心の感じやすさ(ASDの感覚過敏の面)の面まで理解していないのです。そのため、上記のグラフの例でいうと、教師から健常と思われている22点から40点の部分にいる感覚過敏の子供達が、教師による22点未満の“真の健常児”向けの強い言動による指導の犠牲となり、担任に対して拒否感を抱くのです。しかし、上記の①と②を認識していない担任は、なぜその子ども達が登校できなくなったのかが理解できないし、ましてや自分に原因があるとは認識していないのです。

   ある学校で起きた実話です。高学年の男子2人が廊下を走っていました。それを見つけたある先生が、その2人に対してかなり強烈なカミナリを落としました。すると、そのうちの1人は叱られた後もケロッとしていたのですが、もう1人の子供は号泣し半分パニックに陥りました。その子供はASD障害の診断が下りている障害児ではなかったのですが、以前頭に神経性の脱毛症を患ったことがあるほど感覚過敏の子供だったのです。この事実が、上記の②を物語っています。

   感覚過敏の子ども達は「自分達は穏やかで肯定的な指導をしてくれれば、他の友達のようにきちんと生活できるんだ」と訴えているのです。いえ、むしろ他の子ども達よりも深い興味を持って課題に向かうことができる素晴らしい可能性を秘めた子ども達です
 残念ながら、教師達が子供達の感じやすさの違いを理解しない限り、今の様な実態が無くなることは無いと思います。