【ツイート①】

記事①「娘を放置し死亡させ母親逮捕 「精神的に疲れて...」

「精神的に疲れて1人になりたかった。娘をおいて家を出て、戻ってきたら死んでいた」と土屋容疑者。

   おそらく「ワンオペ育児」で精神的に追い詰められた結果だったのだろう。旦那さんがいて、更に その旦那さんが育児に携わっていたらこんな悲劇は起きなかっただろうと思う。

記事②「「育児疲れた」夫切りつけた女を逮捕

「植村容疑者は昌央さんと生後2カ月の娘の3人暮らし。『育児に疲れていた』等とも話しているといい、同署は事件の経緯を調べている」

   この事件もやはり育児ノイローゼによるものだろう。


   どんなに安定した人格を持った母親でも、孤独な育児環境に置かれれば、誰が同じような状況に陥ったとしても不思議ではないと思う。

   母親が、過酷な「ワンオペ育児」によって精神的に追い込まれた状態で乳児期の育児に当たる事は、子供の一生の人格形成に対して悪影響与えることになる(⇨ https://ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12364364609.html)。

   更に喫緊の問題では、母親が育児ノイローゼに陥った 状態で育児に当たると虐待行為に走るリスクが高まることが報告されている   (⇨https://ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12405990572.html)。

   そのような状態を生まないためにも、父親や家族の協力は不可欠。


【ツイート②】

記事「「2歳から殴られてきた女児」「着替えも夕食も与えられない小2」…しつけと体罰を分けるものは?

   躾と体罰の違いとは…?

   文科省の資料によれば、子供が納得できる基準が設定されており、且つ、親がその基準通りに養育しているのが躾。正しい基準があっても親の気分次第で破られるのは体罰となる。(⇨https://ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12286596222.html)。


【ツイート③】

記事「元農水次官事件、同居で関係崩壊 「自分も死のうと思った」

   引きこもり長男と同居したことによって問題が深刻化したという元農水省次官一家。

   第一のポイントは、①引きこもっている人と同居している家族がどのような態度で当人と接するか。第二のポイントは、②どうすれば引きこもりが生まれ難くなるか?だと思う。

(⇨①https://ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12412676825.html)(⇨②https://ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12454403377.html)


【ツイート④】

記事「ワンオペ育児で疲れたとき、少しでも楽になる方法を模索してみた

   ワンオペ育児で疲れた時、少しでも楽になる方法を模索し、食事作りや掃除を諦め、スマホにも随分頼ったと言う筆者。「ほんの10分20分のことですが、言葉にならない位リフレッシュできました」との事。

「スマホ育児」は“使わせ方”さえ守れば問題はない(⇨https://ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12448238008.html)。


【ツイート⑤】

記事「体罰で中学生に炎天下の校庭を約3時間走らせる 男性教諭を減給処分

「男性教諭は5月25日午後0時5分頃、サッカー部に所属する中学1年の男子生徒に、前日の小テストでカンニングをしたことへの指導だとして『校庭を100周走れ』と指示した」との報道。

   いくら走ってもテストで測る教科の力はつかないため、これは「指導」ではなく単なる「罰」。実はこれを混同している指導者が意外に多い。「罰」によって、子供は一時的にはがんばるが、根本的な力の向上にはつながらない。逆に「罰」がないと頑張らない子供になってしまう恐れがある。「おどし育児」(https://ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12432812263.html)も同じ。


【ツイート⑥】

記事「篠原涼子、子どもの反抗期を告白 「『ちょっと触らないで』って言われて寂しい」

「親子関係で気を付けていることはコミュニケーションとスキンシップ。昔は触ったりするとすごく喜んでくれたけど、最近は反抗期に入ってきて『ちょっと触らないで』って言われるようになっちゃった」と篠原。

   子供の発達段階に応じて親もギアチェンジが必要。⇨https://ameblo.jp/stc408tokubetusien/entry-12239026880.html


【ツイート⑦】

記事「精神障害者を小屋に閉じ込め 闇に埋もれた「私宅監置」

   1950年代から60年代当時は合法的処置だったという 精神障害者を小屋に閉じ込める『私宅監置』。当事者の家族や監置に関わった元保健所職員たちは今も悔やみつつこう投げかける。「障害者を排除する風潮は、過去のことなのでしょうか」

   今では信じられない人権無視行為。真実が知られていなかったということがこれだけの悲劇を生む。しかし今でも「精神障害者の問題行為は、周囲の環境が不適切であるための二次的障害である」ということは殆ど知られていない。精神障害者の苦しみは今もなお消えていないのだ。