前回からの続きです)
   これから成人する若者達が、そのような新しい社会にも適応できる大人になるためには、私達大人は今どんなことを子ども達に教える必要があるのでしょうか?

   そんな折、私はあるネット記事を思い出しました。それはこの記事です。
   2020年度、つまり来年度から、公立学校での学習内容が一部変わるのですが、そのことについて紹介したこの記事の中には、次のような内容が書かれていました。
「近年、グローバル化や、スマートフォンの普及、ビッグデータや人工知能(AI)の活用などによる技術革新が進んでいます。10年前では考えられなかったような激しい変化が起きており、今後も、社会の変化はさらに進むでしょう。子どもたちが学校で学ぶことは、社会と切り離されたものではありません。社会の変化を見据えて、子供たちがこれから生きていくために必要な資質・能力を踏まえて学習指導要領を改訂しています。」
「新しい学習指導要領では、教育課程全体や各教科などの学びを通じて『何ができるようになるのか』という観点から、『知識及び技能』『思考力・判断力・表現力など』『学びに向かう力、人間性など』の3つの柱からなる“資質・能力”を総合的にバランスよく育んでいくことを目指します」

   つまり、今後待ち受けている急激な社会の変化子ども達が適応して生きていけるようにするために、知識及び技能」「思考力・判断力・表現力など」「学びに向かう力、人間性など」の3つの柱からなる“資質・能力”を総合的にバランスよく育んでいくというのです。正に、中高年世代を苦しめて来た“社会の変化”に子ども達が適応し、引きこもりに陥らないようにする上で、先の3つの柱からなる“資質・能力”が必要になるのです。


   さて、今後急激に変化する社会で必要とされる先の3つの力のうち「知識及び技能」は、従来の学校での受験対策型指導によっても身につけることができるでしょう。しかし、特に「思考力・判断力・表現力など」「学びに向かう力、人間性など」の能力については、これらを絶対に学び得ない生活環境があります。それは、教師や親から一方的に伝えられる学習環境です(先の受験対策型指導然り)。もちろん学校では、学習指導要領の改訂に伴って、新たな指導の在り方に関わる教師による研修が進められます。
   となると、子どもによって差が生まれるのは、家庭での養育ということになります。特に、過保護・過干渉教育が行われている家庭環境では、子どもがするべきことの多くは親が決めており、先のように子ども自らが考えたり、判断したり、学びに向かったりする力が育まれることは絶対にありません。

   では、どんな養育環境であれば、先の「思考力・判断力・表現力など」「学びに向かう力、人間性など」の能力を身に付けることができるでしょうか。それは、「何が問題か?」「どうすれば問題を解決するための方法が分かるか?」「誰とやれば解決できるか?」「何をがんばれば解決できるか?」「今のままで解決できるのか?」等を、子ども自身に任せ、考えさせ、判断させ、行動させる、いわゆる“「問題解決体験”をさせる養育環境です。即ち、子どもに任せて、子どもの行動を見守り、子どもからSOSを求めてきた時に諭して、子どもができたら褒める見守り4支援」による養育です。

   この「問題解決」体験ができる場面は、日常生活の中のあらゆるところに転がっています。例えば、自分で靴下を履こうと思ったら、上手に履けなかった時、「あれ?」と思い「自分は靴下が上手に履けない」という問題を自分で発見するところから、また、「自分は“割合”の問題が苦手」と自分で気付くところから、それぞれ子ども自身による「問題解決」体験は始まります(因みに、ベネッセ教育総合研究所と東京大学社会科学研究所による調査によると、何が分かっていないか確かめながら勉強している高校生は、成績が上昇したという結果が明らかになっています)。このような時に、親の方から助言したりしてしまったり、親が代わりにやってあげたりすると、子どもの「問題解決」体験は水の泡になります。

   さて、このように、子どもが「あれ?」と思い、問題を自分で発見した時に、親が手を出さずに子どもに任せていれば、子どもは本当に自分から「問題解決」体験を始めるのか?という疑問を抱いた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
   このことをお話しするためには、ある心理学の考えが関係してきます(私が30歳頃に現職留学した大学院で、認知心理学を専門とする先生の研究室に所属した関係から学んだもの)。人間は、安定した心理状態でいたところに、「あれ?」と不可解で不安定な問題場面に置かれると、無意識のうちにこれを元の安定した状態に戻そうとするのだそうです。これが「問題解決」の働きです。これも、安定した生活をし続け後世に子孫を残すための生物としての本能ではないでしょうか。この時の心理的作用がいわゆる「知的好奇心」と言われるものです。つまり、子どもが自分で「あれ?」と思った後に子どもに任せていれば、人間本来の本能で「知的好奇心」が発生して、無意識のうちにその問題を解決しようとするのです。

   なお、この「問題解決」体験を子どもにさせる場合、褒める時に大切なのは、“結果”ではなく“過程”を褒めることです。いい“結果”が出せたかどうかは関係なく、あくまでも「問題解決」のための“努力”ができたかが重要です。そのため、いい結果になっていなくても、「何が良くないのか自分で気付いてたね!」「自分で考えて決めていたね!」「すぐに諦めないで粘り強くやり通したね!」等、態度面でできた点を褒めるのです。良い“結果”はどんなに頑張っても現れないことがありますが、「問題」解決の過程で“努力”することは自分のやる気次第でコントロールできるので、それを評価の観点にしてやると、子どもは見違えるようにやる気を出します。

   いざ就職したものの、「職場の環境が予想と違っていた」「思っていた以上に成果が出せない」といった時に、「問題解決」体験をしていない子どもはショックで失望するだけかも知れませんが、体験をしてきた子どもは、自分が抱いて来たイメージとのギャップを客観的に察知して、「今まで考えていた環境とどこが違うのか?」に自分で気付き、「何を頑張れば今後もこの職場で務めていけるのか?」を考え、ねばり強く適応していくことができるでしょう。

   因みに、このように、退職しても再び社会に適応する能力を指導する際の「見守り4支援」による働きは「父性」の働きと同じです(詳細は、拙稿「「愛着」の維持のために⑨ 〜子育ての基本は 母性の「安心7支援」と 父性の「見守り4支援」〜)。また、前回の記事で紹介された退職理由2位にあたる、職場での「人間関係」に悩んだ時にカギを握っているのは、「愛着」が育む人間関係能力です。その「愛着」を育むのは安心7支援」による働きであり、こちらは「母性」による働きです。まとめると、このようになります。
①「愛着不全による引きこもりに陥らないためには、「母性」の働きを持つ「安心7支援」が必要
②「社会適応力不全による引きこもりに陥らないためには、「父性」の働きを持つ「見守り4支援」が必要

   ところで、先の拙稿では、「子育ての基本は『母性』と『父性』」とお話しました。しかし、その“両性”の働きは子育ての基本というだけでなく、子どもが将来社会人になった時に引きこもりに陥らせないための基本にもなっていた、ということは単なる“偶然”でしょうか?
    自然界に生きる動物達は、例外なく、オスとメスとが協力して我が子を産み育てます。初めは親の保護の下、安全な環境で過ごしていた子ども達も、いずれは人間よりも何倍も厳しい外界の環境へと送り出されます。その際、子どもがその激しい環境の変化に耐え得るだけの力を身に付けていなければ、自分達の子孫を後世に残すことはできません。つまり、生物はその力を本能的に我が子に育んでいるのでしょう。やはり、「母性」と「父性」という両輪の働きで子どもを養うことは、私達生物が神様から託された使命なのです。しかし、私達人間の場合は、この時に親が余計な手助けをしてしまうために、本来の「父性」の働きが働かなくなり、社会に復職できず引きこもるという、本来生物界では有り得ない“環境への不適応”が起こるのです。これも、生物界に過去に類を見ないほど文明を繁栄させ、絶滅の心配が少なくなった我々人類の油断から生じた“本能の放棄”と言えるのかもしれません。